2018年12月30日日曜日

ジャージー・ボーイズ

今日は仕事納めだった。



我ながら、今の仕事を半年以上、続けられるとは思わなかった。時給は安いが環境があっているんだと思う。

帰宅するとカノジョがビーフシチューを作ってくれた。死ぬほど美味しかった。


その後、『ジャージー・ボーイズ』と言う映画を観た。途中まで気が付かなかったのだが、実は私の音楽の『原体験』である

『フォーシーズンズ』

の伝記映画だった。クリン・イーストウッドが監督だから独断と偏見もあるんだと思うのだが、衝撃だった。

あのフォーシーズンズのメンバーは、イタリア移民で、デビュー前は完全にチンピラ。

刑務所行き寸前だった。





でも、観ながらフォーシーズンズの歌が聞こえてくる。




私にとってフォーシーズンズは『永遠のアイドル』であり、救世主だった。



中学生か小学生高学年だったか。親から古いオーディオを貰った。LPとラジオ、カセットテープが聴けた。

其れで父親が持っていた『ベスト・オブ・オールディーズ』みたいなモノを貰った。其れにはレイ・チャールズとかも入っていたのだけど、一番、好きだったのは

『フォーシーズンズ』で


Big Girls Don't Cry



Sherry
 





だった。



私は幼年期は幻覚や幻聴に悩まされた事があった。統合失調症か?って感じだが幼年期は脳味噌が出来上がってないので、そう言う事例は多かったらしい。
其れに家庭内は、DVと濃厚なSEXって言う『DV一家あるある』だったから、その恐怖感もあったのかも。

だから寝るときは怖くて仕方がなかった。


ある時、祖母がヌイグルミをくれて、其れで「これで一人じゃないんだ!」と思った。だから、ヌイグルミを強く抱きしめて眠っていた。

だが、夜は怖い。

父親が特種な人だったし、母親も苦労していた。

私には友達と呼べるような存在が皆無で困っていた。当時はインターネットもSNSもないから、途方もない孤独感、と言うか。



孤独感だけど、登下校の際に私は友人が小学生の段階で皆無だった。寂しいから歌いながら帰っていた。

変声期前だったから私の歌声は天高く、地平線まで響いた。

高音域による倍音は快感だったし、素敵だった。だから、フォーシーズンズを聴いたときはビックリした。

「自分よりも遥かに高い音で歌っている人がいる!」

だが、その歌声はとても優しくて、草深い九州の深夜を過ごすには、とても美しかった。

親が苦情を言うので小さな音量でフォーシーズンズの『シェリー』。



その頃も夜がとても怖かった。



本当に怖かった。怖くて、眠れない程だった。寝付きが悪い体質は同じだったし、幽霊だとか・・・と思っていたのだが、思えば既に家庭内の不協和音を感じていたのかもしれない。

だから、寝る前にカセットテープは大事な事だった。其れでフォーシーズンズは、とても淋しくて、震え上がる夜をソっと抱きしめてくれていた。


その後、中学生2年生になり、異変があった。


私は音楽の授業が大好きだった。合唱で自分の声がハーモニーとして形成される事は、精通を迎えていない私にとって性的リビドーを遥かに超える『快楽』『快感』だった。

だが、ある時から国際宇宙ステーションにまで響いた私の高音が出なくなった。

声が出ない、と言うか一生懸命に声を張り上げるのだが、全く駄目だった。


其れで、自分が変声期を迎えた事を同級生からカラカワれて、屈辱だった。



物凄いショックだった。



何かを失った、と思った。変声期は知っていたけども自分にも訪れるとは思っていなかった。
確かに同級生だった女子達の身体が変化していたり、自分にも性的な気持ちが沸き起こったり、異変は感じていたのだけども、其れが『声』として現れると言うのは考えたことすらなかった。


当時の私の友は

①象とロバのヌイグルミ
②地平線にまで届く歌声

だけだった。だから、ガックリした。ヌイグルミは「13歳でヌイグルミは駄目だ!」と思って封印してしまったから、完全に孤独になった。

学友は居たけども、何処か・・・今もそうだけども『友人との交際方法』が分からない部分がある。
だから、学友が何を考えていて、何をしているのかサッパリ分からなかった。


私が、ピアノを習ったり、シンセサイザーを買ったり、インスト音楽を好んだり・・・服装やクラブ、ダンスに走ったのは高校生だけども、

『失ったモノ』

を何かで埋めようとしていた気がする。


今はトランペットだが、トランペットで高い音を出すのはやっぱり快感だけども。



でも、14歳で変声期に気がついてから一切、歌っていない。カラオケ・ブームなんて言う下らないモノがあったけど、なるべく行かなかった。
歌い方が分からなかった。




『Big Girls Don't Cry』
『Sherry』




は、バンド名も知らなかった。カセットテープのラベルは読みに辛くて分からなかったし、当時は調べる方法もなかった。

でも、フォーシーズンズは今でも『変声期』『失われた歌声』を思い出す。

小学生の頃、私は鳥のように、そして落雷よりも大きな声で歌えた。その大音量でありながらも、高音の倍音に愛されていたし、愛していた。

ジミ・ヘンドリックスがエレキ・ギターと言う楽器に愛されていたように、私は自分の喉と、そこから発せられる音に愛されていた・・・と思う。

その頃を再現する事は不可能だが、孤独感を慰めてくれたのは自分の喉と、カセットテープに入っていたフォーシーズンズだった。



今はトランペットだが、このトランペットと言う楽器は面倒くさい楽器で、日々の基礎練習を怠ると、途端に音が出なくなる。
唇のメンテナンスも必要だし。


「あの頃は、勝手に楽器で表現不可能な程、メロディーを扱えたもんだが・・・」

と思う。



でも、孤独は乗り越えなくてはならないし、気がつけば『孤独感』が私の性格とライフ・スタイルになった。
だから、楽曲が作れるんだけどもフォーシーズンズの映画を観ながら

「あの頃の声を維持出来ていれば、俺は楽器に手を出さなかったかもなぁ」

と思う。

なんと言うか、私の喉から出る歌は、私の親友だった。

死んでしまった、幼い頃の親友、と言うか。


フォーシーズンズを聴くと、今もそんな気持ちになる。


Christmas of Chico Hamilton

クリスマスは職場は忙しかった。
ただ、「クリスマスのプレゼントに中古PC!」と言うワケではなく、たんに「年末だから」と言う理由っぽい。
私も長年、使い続けてきたゲートウェイの元々、windowsXPが入っていたメモリ1GBのPCにリナックスを積んでいた奴からメモリ4GBのPCに変えたし(店長に無理を言って数千円で買った)。


そんな折。


忙しい仕事が一段落つきそうな状態になった頃に一人の老人が来た。
「動画サイトを見ると妙なポップアップが出て困る。直し方が分からない」
と言う。
要するにコンピュータ・ウィルスに感染している、と言う事である。話は簡単でウィルス・セキリティ・ソフトをインストールすれば良いだけの話である。
だが、「分からない」と言うので
「じゃあ、暇だったら持ってきてくださいよ。見るだけなら、見ますし。
まぁ、時間があればですが」
と言ったら4時間後に持ってきた。


爺さんは昭和16年に産まれた。だが、産まれた場所は当時の中国(と言うか当時は日本の県とか市である)。
産まれて直ぐに大陸から命からがら逃げてきたらしい。
それで商社に入り、流石に私でも見たことがない
『紙パンチ式コンピュータ』
で色々とやっていたんだとか。
磁気メディアのコンピュータは見たことはあるが『紙パンチメディア』は見たことがない。
ってか、当時のコンピュータなんて『計算機』であってワードやエクセルだとか通信なんて皆無である。





「凄いですね・・・」
「でも、当時に比べたら今のパソコンは凄いね!。私にはサッパリ分からない」
「いや、紙パンチのコンピュータの方が遥かに難しいでしょ!」
と言いながら、爺さんのPCを拝見。


爺さん曰く「動画sサイトを見るとポップアップが出る」と言う。
YOUTUBEでは可能性が低いのだが
「まぁ・・・男性向けの・・・」
と言うのでエロ動画。
娘に「俺のパソコン、ちょっとオカシイんだよ」と言った処、娘さんは感が良いのか「お父さんみたいな人の為にパソコンがあるわけではない!」と激怒されたらしい。
だが、世の中・・・と言うか日本でPC(スマホも含む)が普及した理由は3つだけだ。
①エロ動画やエロ画像
②グロ画像やグロ動画
③MIXIに始まるSNS
である。男性ならば200000%の確率で、上記の2つはやっている。
SNSも駆使すればSEXも可能だ。


「いやいや、何を言っているんですか。ネットなんざぁ、そのためにあるんですよ。それに男性ならば必ず見るサイトですから」

と言ってPCの中身を拝見すると、どうもブログをやっているらしく、
『私にとってのJAZZ』
と言った草案があった。

「JAZZですか」
「まぁ、好きでねぇ」
「私も好きです。パーカーとか」

と言うと、バップやハード・バップは好きじゃないらしく、スィング・ジャズだけらしい。



パソコンで「エロ動画を見るとポップアップが出る」と言う事なので、まずはエロ動画サイトに行く。
爺さんが、どのサイトを見ているのか分からないので『入門編』として有名な『Xvideos』に行く。
幸い、客がいないので良かったのだが、流石に職務上、コンポライアンスがあるのか皆無なのか分からない職場だが、ノートPCのディスプレイを思いっきり傾けて



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―――


こんな感じでXvideosを見ると、確かにポップアップが出る。

しかし、職場で老人と私でエロ動画を見る、と言うシュールさ、それと

『今日はクリスマス』

と言う凄まじい状況は泣けるを超えて、私が面白くなってしまった。

で、本気で対応・・・やっては駄目なんだが・・・やってしまった。

まずは通常のセキリティ・ソフトでは駄目なので特殊な奴をダウンロードしてインストール。
それで駆除。

あとは、セキリティ・ソフトを2000円で買ってもらいインストール。

最後は、また二人でエロ動画を見てポップアップが出ないことを確認して終了。



『クリスマスにエロ動画を老人と一緒に鑑賞』



と言うのは凄い気がする。

「最近のは凄いよねぇ〜!」
「ねぇ。昔は苦労してレンタルしたもんですが」
「やはり、見ちゃうんだよね」
「そりゃ、男性なら当然ですよ。そのためにパソコンはあるんですから」

と白人女性のSEXを見ながら談話。


その後、JAZZの話になる。
スウィング・ジャズが好きらしく「ベニー・グッドマンは好きだった」と言う。
私もJAZZを最初に聴いたのは父親が持っていたカセットテープでの『ベニー・グッドマン』
だったし、ビックバンドのジャズは今、聴いても新鮮である。
一番、最高なのは戦中の『Vディスク』とかディーク・エリントン、カウント・ベイシーだが、それでもベニー・グッドマンは最高だ。
すると
「チコ・ハミルトン」「アーティー・ショウ」と私も知らないミュージシャンを言う。
「知らないですね」
と言いながら爺さんのPCでYOUTUBEで聴いてみると結構、良い。
「カッコイイですね!」
と言ったら
「あんたは明日、出勤してる?」
と言う。
「明後日なら出勤ですが」
と言うとLPを貰ってくれ、と言う。
業務上のコンポライアンス的にOKなのかNGなのか分からないが、小一時間に渡る爺さんとの会話で、なんとなく仲良くなった気がするのでOKした。
 

翌々日。

実際に爺さんが来てLPを4枚、持ってきた。
爺さんの父親がJAZZが大好きだったらしく、子供の頃に父親に言われてLPを買っていたらしい。

父親の影響で本人もJAZZが好き・・・と言うモノなんだとか。

だが、爺さんの年齢と話を聞くと、当時のLPって今の金額に換算すると3〜4万円、または其れ以上の金額である。

戦前にベートーヴェンの組曲をSPで買ったらボーナスが消えたらしいので、今の金額で換算すると30〜40万円。

因みに戦前を代表するレコード・コレクターは『宮沢健二』である。
冨田勲が初めて買ったLPはストラヴィンスキーの『春の祭典』だったのだが、高額で親戚に金を借りて買ったらしいので10万円くらいか。
だから『名曲喫茶』『ジャズ喫茶』と言う特殊な喫茶店があったのだが(ロック喫茶もあったらしい)。
音楽メディアは現状、値下がり続けている。


とは言え爺さんの思い出の品々である。50年代とは言え、演奏者はロイ・エルドリッジ、ハリー・ジェイムスにビリー・ホリデイと蒼々たる面子であり、手元に置いておいて損はしないモノばかりである。
其れに50年代のビック・バンド・ジャズは『ジャズ』が、まだ『プロトタイプ・ブラック・ミュージック』と言うか、サウンドとして面白いモノである(ジャズが「ジャズでーす」となったのはバップからだったと思う。と言うかジャズはバップである、と断言しても良い)。



「貴方が私に親切にしてくれたお礼としてね・・・。あと、こう言う盤を若い人に託したいんですよ。
これは・・・私の『終活』なんですよ」
と言う。
おいおい、重たいモノを持ってくるな、と思ったが、受け取った。

しかし、「人生の最後のための活動」と言いながらもエロ動画をチェックする精力があるなら、大丈夫じゃないっすか?と思った。





因みに、帰宅して聴いてみるが、あまり好みの音ではない。元データがSPだから音質はペラペラだし(蓄音機で聴ければ最高なんだがLPだ)、何より私が風邪を引いてしまったので聞けず。
次の元号の際に聞きますかねぇ。