2018年3月30日金曜日

少し復活/KO.DO.NA

昨日は一年ぶりにKO.DO.NAだった。




思えば本当に一年間、エフェクターに電源すら入れていなかったのである。
其のためなのか、エフェクターの調子が非常に悪くて後半はボロボロになってしまった。

其れ以前に前日に緊張して腹痛→翌日は下痢、と言う最悪のコンデションだったが、コンディション作りも演奏のうちなので、復活ライブは「まぁ・・・そんなもんでしょ」と言うか。

落ち込んだが、機材的な問題と、この時期(花粉)や、生活の変化なども大きかったし、エフェクターが一台、致命的に駄目になっている事を考えても可也、頑張ったと言うか「あの状態でよく出来た」と思う。

1曲目はテープの巻き戻しを間違えており、巻き戻しながら演奏と言う『現代音楽ですか?』みたいな状態になるし、焦るし。
一年のブランクは少なからずあった。

前日にスタジオでゲネプロも行えなかったので、最善は尽くせたか・・・のだろうか。
主催のDAVEと、対バンの石井さんやDave氏が喜んでくれたので良かった。









































帰宅して、「昨日の現象を解明」と広げるとエフェクターをチェックするとディレイが駄目になっていた。
BOSS RDD-20と言うハーフラックのエフェクターを使っているのだが、音の劣化が良い塩梅で気に入っているのである。
だが、音が出ない。
ネジを外して開けてみるが意味が分からない。テープ・ディレイなら直せる気がするのだが(あれはテープレコーダーと中身は同じ)デジタル・ディレイはお手上げだ。
「嗚呼。此れで俺の16年は一旦、終了って事か」
と途方に暮れて、セッティングを変える(エフェクターを新調する)か、同じモデルを買うか考えていたら、何故か突然、火の如くと言うか

①女心
②4歳児の行動
③水子供養
④新年の朝日
⑤モスクワの春
⑥思春期の恋心
⑦15の夜
⑧猫の発情期
⑨交通事故

の如く復活した。


この原因が何なんだろう?と思う。一時的なトラブルであれば(一年間、電源すら入れなかった事)問題はないし、実は「たんに今、動いているだけ」なら交換を考えなければならない。

『バーガリガリが霊的に不味い場所』

と言うのも考えたが、バーガリガリで『良い演奏』が出来た事の方が圧倒的に多いので霊的な問題はクリアしている。

スピリチュアル系が大嫌いな私だが実は20歳から20代半ばまで気合の入ったオカルト系だった。
所属していた福岡の劇団の体質もあったが世のイロハを知らない私はゾッコンになった。
自宅インターネット回線も珍しかった頃にネカフェで錬金術を調べたり、少なくとも杉並区内の図書館の関連書物(陰陽道だとか、悪魔とか、霊的な云々とか錬金術とか)を凄まじい勢いで調べ尽くした結果、

「悪魔だとか錬金術だとか陰陽道を調べてもトランペットは上手くならない」
「俺がやろうとしている音楽とオカルトは何の関係もない」
「っつーか、オカルトをテーマにしている音楽は面白くない」

と思い、全て『黒歴史』として鉛のケースに入れて六ケ所村再処理工場に埋めた。


しかし、デジタル機器の「オカルト性」は何処か、心の何処かで感じる事はあり、其れは「突然、動かなくなる」
「意識せずに素晴らしいセッティングになって曲が出来上がる」
と言う事はあるわけで。
『コンピュータとオカルト』は意外と縁深い。
-
少なくとも私が使っているデジタル・エフェクターの性能はYMOやクラフトワークの機材よりはハイスペックなワケで、オカルトがあるんだろうか。
だが、オカルトがあった処で私は宜保愛子ではないので対処しようがないので、この『動作している状態』が続くのを祈るしか無い・・・




と思っていたのだが、流石にディレイだけは買い替える必要があるらしい。



何しろ当日のライブ中はディレイが鳴らないので、ディレイを殴りながら演奏していた程である。

『殴ると音が出る』

と言うのは決定的な処で、内部のICやハンダが死んでいる、と言う事である。殴ることで復活する、と言うのはゾンビを動かしているようなモンで、次のライブで不動になる可能性は高い。

この時期に出費は致し方がない。

しかし、冷静に考えてみると

①小型ミキサー
②オクターバー

とか、色々と買えなきゃならないんだろうけども。取り敢えず、復活に必要なのはディレイだ。

2018年3月19日月曜日

311

March 11, 2011.





This country lost many people's names and many land areas.
It was neither a civil war nor an aggressive war nor a bomb, he lost.



I think that earthquakes can be reconstructed roughly. It is a natural disaster, since ancient times it has collapsed by an earthquake, tsunami, volcano, and has revived.

However, the accident at Fukushima Daiichi Nuclear Power Plant occurred that day was different.



It is already seven years.



Already a second grade primary school if children were born at the time of the disaster.
If you are a junior high school student going on to graduate from high school.



A part of Fukushima Prefecture, in the same space as the Tokyo Metropolitan Government, there is a thing called "a difficulty to return."

The place can not be entered without protective clothing. An ordinary person can not enter. Only a limited number of people, such as researchers, scientists, and Atomic Energy Commission, will enter.



As Chernobyl became a treasure trove of wild animals, part of Fukushima Daiichi Nuclear Power Plant became a treasure trove of wild animals.

However, there is only one point different from wild animals.

All of the animals are eroded by the radioactivity in the body. Being exposed to radiation.

Researchers found the corpses of the birds and examined it. The body was caught by cesium, but it was the brain that had the largest amount of cesium.



Genetic abnormality rate of wild animals.

0.0% in Aomori Prefecture
Forest of Fukushima Daiichi Nuclear Power Station 0.6%



There are individuals whose chromosome is broken. Speaking of natural science, "impossible thing" is 0.6%, but it exists.



Soils and trees are also terrible pollution. Take out the Geiger counter and shake off the needle.

I am encountering a nuclear power plant, or Fukushima Daiichi Nuclear Power Plant accident



Opposite

Agree



I try not to say either. Perhaps it may have been from long ago, but in seven years time, "opposite" "agreement" is extremely separated.



"KKK"
When
"Black Panther"



There is only it.



A nuclear power plant accident was an incident for which many people were required to say "think by yourself".
It is also for the opposition faction.



However, the Japanese are not good at saying "think by yourself". Discussion and discussion are not good.

To overwhelm others with a loud voice. That is discussion and discussion for the Japanese.



So, the opposition to nuclear accident has also been rounded out to two or three people "who plays a loud voice who has not thought of anything". The opposition to nuclear power plants is close to synonymous with those who abandoned their intelligence.
At least, there are many people who think so.


Stupid controversy, ridiculous logic, incitement, hoax, abusive.



Agreement is the same as above.



Initially, "Only seven years have passed since nuclear power plant accident".

How comfortable it would be if this was a story of another country. How comfortable is it if you talk about Chernobyl?

However, this story is our story.



Regarding nuclear power plant accidents, there is no choice but to look at the ruthlessly and blackly, ruthlessly.



I do not say agree or disagree. However, I think that it has carried the history.
On 11th March 2011 I was carrying a mission to keep telling me what happened.

If it is my age, it will be possible to tell two generations.



I have no choice but to tell.



However, there is a single anxiety. Large amounts of radioactivity fell to the downtown area of ​​Tokyo from nuclear power plant as of March.
Many people breathed it.



What is the result of this?



I will tell you two generations. But I wonder if I am alive.





2050 years.

"In the past, people lived there, there were industries, entertainment, people, people, and cars, why are they being painted black now, this is the case You did it !, "



I wonder if I can talk so.

I need to tell you if I can speak.

The crime and shame we committed.

If it is an ancient Japanese, I should have done it.

I have to tell.
------------------------------------------------------------------
2011年3月11日。


この国は多くの人名と、多くの国土を失った。
其れは内乱でも侵略戦争でも爆弾でもなく、失った。

地震は大雑把に言えば復興可能だと思う。其れは自然災害であり、古来より地震や津波、火山で崩壊し、そして復興して来た。
だが、その日に起きた福島第一原子力発電所の事故は違った。

もう、7年だ。

震災の時に生まれた子供ならば既に小学校2年生。
中学生なら高校を卒業して進学している。

福島県の一部、其れは東京都と同じスペースに『帰還困難地区』と言うモノがある。
その場所は防護服が無ければ入れない。一般人は入れない。研究者、科学者、原子力委員会と言った限られてた人だけが入れる。

チェルノブイリが野生動物の宝庫になったように、福島第一原子力発電所の一部も野生動物の宝庫となった。
だが、野生動物と違う処が一点だけある。
その動物達が皆、放射能によって身体中を蝕まれている。被爆している事。
研究者が小鳥の死骸を見つけて、其れを調べた。身体中がセシウムに犯されていたが、最もセシウムの量が多かったのは脳だった。

野生動物の遺伝子異常率。
青森県で0.0%
福島第一原子力発電所の森は0.6%

染色体が壊れている個体がいる。自然科学で言えば「ありえない事」が、0.6%とは言え、存在している。

土壌、木々も凄まじい汚染だ。ガイガーカウンターを取り出せば針を振り切る。
私は原子力発電所、または福島第一原子力発電所事故に関して遭えて

反対
賛成

どちらとも言わないようにしている。もしかすると昔からそうだったのかも知れないが、7年の時間の中で『反対』『賛成』と言うのが極端に別れてしまっている。

『KKK』

『ブラック•パンサー』

しかいない。

原子力発電所事故は多くの人にとって、「自分で考える」と言う事を要求された事件だった。
其れは反対派にとっても賛成派にとって。

だけど、日本人は「自分で考える」と言う事が苦手だ。議論、ディスカッションが苦手だ。
大声で他を圧倒する事。其れが日本人にとっての議論、ディスカッションだ。

だから、原発事故反対論も2〜3人の『何も考えていない大声を出す人』に丸投げしている。原発反対派と言うのは、知性を捨てた人達と同義語に近い。
少なくとも、そう思っている人は多い。
馬鹿げた論争、馬鹿げたロジック、煽動、デマ、罵倒。

賛成派も上記と同じだ。

そもそも、原子力発電所事故から『7年間しか経過していない』のである。
此れが他国の話だったら、どんなに楽だろうか。チェルノブイリの話なら、どんなに楽だろうか。
だが、この話は私達の話なのである。

原発事故に関しては、只管、ブラックに、冷酷に見て行くしか無い。

私は反対とも、賛成とも言わない。ただ、歴史を背負ってしまったのだと思う。
2011年3月11日に何が起きたかを伝え続ける使命を背負ってしまった。
私の年齢ならば、2世代先まで伝える事が可能だろう。

伝えるしかない。

しかし、一抹の不安はある。3月の時点で原発から大量の放射能が東京都心に降った。
其れを多くの人が吸い込んだ。

この事が、どんな結果になるのか。

2世代まで伝えようと思う。だが、私は生きているのだろうか。


2050年。
「昔、あそこは人が住んでいたんだよ。産業もあり、娯楽もあり、人もいて、車も走っていた。何故、今は黒く塗りつぶされているか?。其れは、こんな事があったんだよ、、、」

そう語る事が出来るんだろうか。
語る事が出来るのであれば語らなくてはならない。
私達が犯した罪と恥を。
大昔の日本人ならば切腹すべきだった事を。
語らなくては。

------------------------------------------

2018年3月15日木曜日

愛と幻想のブラック・ミュージック/イエロー・ミュージック後編

『ブラック・ミュージック』と言うモノが確率され始めた頃。



其処へイギリスからビートルズが登場する。世界中が熱狂したし、アメリカも熱狂した。
其の際、黒人公民権運動家の先鋭だったマルコム・Xは

「彼等(白人)は私達(黒人)から大昔から搾取しつ続けた。だが、彼等が喜んでいるモノは私達が作り上げたモノであり、其れは劣化コピーでしかない」

と言っている。

ちょっと冷静に考えるとビートルズに『黒人音楽っぽさ』ってあるか?と思うのだが、ビートルズが大好きだった音楽がモータウンだったので(当時のイギリスのユースカルチャーはモータウン抜きには語れない)そうなのかも知れないが。

マルコムXとしては「俺達からパクリやがって!」と言わなきゃならない立場なんだろし、だからこそ上記のような発言になるのだと思うが『白人が黒人をパクった』と言うのは正しくはない。
厳密ではなく大雑把な意見でも

『黒人が白人文化をパクった』

が正しい。既に存在してた白人音楽に様々な理由(酒場で受ける、客受け、仲間受け。マスを無視した黒人音楽は皆無だ)で、『民族性』『人種』ではない理由で『色付け』したものが、恐らくブルースからヒップホップやデトロイト・テクノである。


前回、書いたようにYMOが「クラフトワークみたいな音が作れない」「紙とか竹の文化」と認識した時こそが、実は『イエロー・ミュージック』誕生だったんではないか?と思う。
イエロー・マジック・オーケストラだし。
『赤い自民服』
『意味のない歌詞』
『ローテクをハイテクに見せる』
『政治的イデオロギー抜きに軍服』
YMOは意図的、または自覚無しに日本っぽさをアピールしたが、其れは黒人音楽による、黒人が『黒人性』をアピールしたのと同じである。


ビートルズやローリング・ストーンズが1911年の黒人音楽事情の逆パターンを行い、いよいよ大御所のジミ・ヘンドリックスが登場する。

ジミ・ヘンドリックスは『非黒人』が考える『黒人っぽさ』を露骨にアピールした。其れは黒人(此の頃には既にヒスパニック系もいるから『白人&黒人』で考えるのは無理があるが)へのアピールではなく、白人である。

最初のマネージャーが『アニマルズ』だし、バンド・メンバーは本人以外は白人。

しかも、ジミ・ヘンドリックスが大好きだった音楽は『ボブ・ディラン』と『カントリー・ソング』であり、ジェームス・ブラウンでも、ハウリングウルフでも、モータウンでも無かった。

カントリーに関してはカーター・ファミリーが好きだったんではないか?と私は思う。カーター・ファミリーには打楽器がいなくて弦楽的な要素が強いが、発表はされなかったがブートでジミ・ヘンドリックスが4trレコーダーを使って『ギターだけ』で『ヴォードゥーチャイルド』を録音している。

『ギターだけで』となるとレス・ポールがやっているが、レス・ポールはカントリー・ミュージックに属する人である(当時のポップスは全てカントリーだが)。


ジミ・ヘンドリックスはブルース畑出身だから、一般論的に『黒い』のだが面白いのがジミ・ヘンドリックスとマイルス・デイビスとの共演が潰れた理由である。

当時、マイルス・デイビスはエレクトリック期だった。其処にジミ・ヘンドリックスを入れたがっていた。加入は無理だとしてもラボ的に試したかったんだと思う。
だが、ジミ・ヘンドリックスは『カインド・オブ・ブルー』のような演奏を要求した。
其れに対して双方が折れずに終わった、と言うのが真相らしい。

ジミ・ヘンドリックスが『カインド・オブ・ブルー』と言う、真っ白な音楽を要求したってのがミソである。
『カインド・オブ・ブルー』と言う名盤はマイルス・デイビスと言うよりも、ビル・エヴァンスの色彩が強い。
『マイルス・デイビス自叙伝』には「あのアルバムは失敗作だった。どうして受けたのか判らない」と言う発言があるのだが、マイルス・デイビスの思惑よりもビル・エヴァンスの思惑の方が強かった。
または、『if』ではあるが「ビル・エヴァンスがカルテッドを結成したら」と言うサウンドなのかも知れない(本家のビル・エヴァンスは、その後、更に過激なサウンドとなった)。


ジミ・ヘンドリックスに関しては多く語っても仕方がないから、そろそろ止めようと思う。
ジミ・ヘンドリックスについて詳しい人は沢山いるし、高円寺には『高円寺のジミ・ヘンドリックス』と呼ばれる人が、私が知る限り5人いる。
ジミ・ヘンドリックスについては『高円寺のジミ・ヘンドリックス』の方が詳しいと思うし。


現在のブラック・ミュージックと言えばヒップホップとデトロイト・テクノである。此の二つはコミニティ無き黒人文化の最後の一手!と言う青色吐息な気もするが。

ヒップホップのベースとなるリリックやリズミックな言葉の応酬は70年代には若い黒人層には存在していたらしい。だから、初期のヒップホップが『ラップ』と言いながらも『歌っている』部分が多く感じるのは、ストリートのラップを『そのまま』にやることは『芸がない』事だったのかもしれない。

初期のヒップホップがオールドスクールとなり、ラップが、其れこそ『ラップです!』となったのは、そのコミュニティでの言葉遊びが廃れて、リバイバルとなったのかもな、と思う。


ヒップホップ・カルチャーで重要な部分はターンテーブル。そのコンテストの『DMCバトル』は第一回を除けば可也、長い期間、黒人ではなく『ヒスパニック系』が優勝を掻っ攫っていた。
だから、私達がヒップホップを聴く際に聴く、ターンテーブルのテクニックや音の選び方、スクラッチ等はヒスパニック系が作った、と言っても過言ではない。
勿論、元々は黒人。
でも、そのターンテーブル2台でループって言うやり方もレゲエをパクったモノだしなぁ。

あと、此処は凄く重要なんだけども。

初期のヒップホップDJ達が愛した音源と言うのが二つある。

『クラフトワーク』
『イエロー・マジック・オーケストラ』

YMOに関しては幾らファンの私としても苦しい処があるのだが『D.J. AFRIKA BAMBAATAA / DEATH MIX』と言うCDでYMOの『ファイヤークラッカー』をリミックスしているので証拠物件と言うか。
YMOの海外戦略に関しては、A&Mが倒産するので『海外進出!』と言ってもHITしたのは『ファイヤークラッカー』だけだと思うが。

しかし、『クラフトワーク』に関してはグランド・マスター・フラッシュが「あんなファンキーな音を、ドイツの白人が作っている事が信じられなかった」と発言。
で、『クラフトワーク』はジェームス・ブラウンやスライ&ファミリーストーンが死ぬほど好き(思えばテレックスもスライが好きなんだよな)。

ヒップホップを黒人音楽、またはブラック・ミュージックと呼べない日は近いと思う。だって、今では小学生ですら父親に機材を買ってもらって歌っているし、エムネミの成功もあるし、もっと言えば『黒人の秘儀』であるトラックも小学生がシンセサイザーで作ってしまう。


最後はデトロイト・テクノだろうか。デトロイト・テクノの大御所のジェフ・ミルズは今はフランス在住で、ジャズを愛した国がフランスで、WW2以降、フランスに移住したジャズ・ミュージシャンは多かったが、似た行動と言うか。

デトロイト・テクノ自体が、デリック・メイだったかジェフ・ミルズか忘れたがシカゴ・ハウスの熱狂を見て「オラの村(デトロイト)でも、こげな熱狂ば作るっぺ!」と言う事で作られた音楽である。

シカゴ・ハウスは元々、ゲイ・コミニティの音楽であり、その排他性による静かな狂気のような熱狂っぷりは純文学作家である山田詠美の記述が非常に面白い。

「告知もないし、チャージはあるが、ドリンク(アルコール)はない。其の代わりに樽にリンゴが山積みしており、其れを食え、と言う。客は皆、ゲイでありドラックを使うのでアルコールが不要なのだ。良い男に限ってゲイだから、非常に寂しい」

だそうで。確か80年代後半から90年代に掛けてNYなどではスマート・ドラックが流行し、アルコールで酩酊することは『ダサい』事になっていた。スマート・ドラックと言っても心療内科が出すクスリなので、アルコールよりダサいんだけど、NYはそうだったらしい(らしい、である)。


デトロイト・テクノを語る野田努は「黒人は宇宙へと向かう」と凄い意見を言う。


少なくともNASAの宇宙観測隊に黒人は現状、居ない。だが、「宇宙へと向かう」と。其れはジプシーでも同じことが言えるやんけ、って思うのだが

「アフリカと言う故郷を喪失し、自らの黒人性(or黒人コミニティ)も喪失した黒人が向かう処は、彼等にとっての宇宙だ」

と言うか。手元に原本があるワケでもないのにスラスラと思い出せるのは当時の『エレキング』『リミックス』と言う雑誌で、親の敵の如く書かれていて、純朴な高校生は覚えてしまったからである。

実際、ジェフ・ミルズは宇宙をテーマとしたアルバムを出しているが「宇宙って感じか?此れまでの作品と変わらんやんけ」と思った。

使っている機材が一時期・・・今でも・・・物凄いプレミアが付いたのだが、実際のデトロイト・テクノの連中の機材ってアナログ・シンセは殆ど使ってないんだよな。リズムはTR-909だが、其れは『たまたま安かったから』であり、Drリズムとかでも良かったんだろうけども。
--------------------------------------------------------
恐らく『ブラック・ミュージック』と言う謎の音楽ジャンルが確立されているのは、そのデータの豊富さだと思う。

『ブラジル音楽』と言う言葉もあるが、国を表しているジャンルは多い。『スパニッシュ』や『ウィンナ・ワルツ』

『人種』『肌の色』をジャンル名にしているのは『ブラック・ミュージック』と『ジプシー・ジャズ』位なもんではないだろうか。

だが、そのブラック・ミュージックと言うモノは白人側(私は白人を『権力側』『制圧者』とは呼ばない。州や時代によって違うし、黒人とコミットしない白人も多かったはずだから)が作った

『幻想』

ではあるが、実の処、当事者である黒人が作った

『幻想』

でもある。ブルーノート・レコードがユダヤ系白人のレーベルだったように、『黒人VS白人』と言う単純な対立は1911年、ロバート・ジョンソンが生まれた時には既に皆無だった。
此の頃は白人居住地と黒人居住地が思う存分に分かれていたので関わりようが無かった事も原因かと思う。

しかし、『黒人VS白人』と言う対立図は黒人だけではなく、白人ですらロマンチックとさえ言える程、語っていた。
そして、その『白人VS黒人』と言う『善と悪』『キリストとユダ』『悪魔と天使』『資本家と労働者』のような絵柄となり、それは究極的にはロマンスであり『ロミオとジュリエット』『トリスタンとイゾルデ』のような絵柄となった。

だからこそ、世界中の非黒人が「黒人性なるもの」に憧れる事が出来た。

其れは存在しないモノだからこそ、憧れる事が出来るのである。其れが存在するモノであれば憧れる対象ではなく、研究対象となり、音に敏感な19世紀クラシック音楽家が『黒人っぽい』曲を大量生産していたはずである。
バッハが教会音楽と市井の音楽をミックスしたように。ラヴェルは『子供と魔法』『ボレロ』でジャズをモチーフにしているが、基本的なスタンスとしては「っけ!あんなニグロの阿波踊りが」と軽蔑の対象だった。其れはドビッシューも同じである。

つまり、ラヴェルやドビッシューにとって黒人音楽と呼ばれるモノ(ディキシーランドやブルース、ラグやブギ)は白人には真似が出来ない、特権的黒人性による特殊な音楽ではない事を理解していたはずである。



そんな事を考えながら飯を食っていて。

元々、

『ブラック・ミュージックと言う音楽は存在するのか?』

と言う事と、

『ブラック・ミュージックがあるとすればイエロー・ミュージックはあるのか?』

を考えていたのだがブラック・ミュージックに関してはデータが豊富なので私程度のウンチクは誰でも話せる。
問題は『イエロー・ミュージック』である。

「うーん」と考える。日本の歴史で音楽が重要なポジションを占めたのは平安時代くらいなもんである。
音楽と言うよりもノイズ・ミュージックのような『サウンド』『物語』が渾然一体となっているため、音楽だけを切り取ることが難しい。


其処へ。


坂口安吾の『安吾の新日本地理10 高麗神社の祭りの笛』から抜粋してみる。

能の原点はジャンル名すら付けられてない『舞い』だった。国立の神社で保存委員会がやっているのだが1時間から2時間の舞いと物語をやる。人と獅子が舞いながら音を出す。

「処が、この獅子舞はオスの二匹が取りっこするというけれど、実は隠れたメスを探しっこするのである。つまり、やっぱりカクレンボである。
『もういいかーい』
『まーだだよーオ』
と言う隠れんぼの呼び声は今や全国的であるけどれども、その発祥は武蔵野で、武蔵野界隈にだけ古くから伝わっていたに過ぎないもののようだ。此の獅子舞。笛の音と、繋がりがあるのではないでしょうか」

音楽のジャンルを定義するモノは大半がリズムである。

『隠れんぼ』での「もういいかーい」「まーだだよーオ」だとか、「グリコ、チョコレート、パイン」のリズミックな言葉使い。
軍艦じゃんけんの「せーんーそ!」→「軍艦、軍艦、朝鮮!」→「朝鮮、ハワイ、軍艦!」と言うスピード感。

此れが、実の処、宮廷音楽でも時代の流行でもなく、子供とは言えストリート的なイエロー・ミュージックだったのかも知れない。

音楽とは遊びであり游びである。

遊びとは音楽である。


音楽の発祥を奴隷制度と言う経済問題と絡めて解説されるブラック・ミュージックと言うものは、実の処、当事者にしても、評論家としても、愛好家としても、可也、『胡散臭い』モノなのかもしれない。

愛と幻想のブラック・ミュージック/イエロー・ミュージック前編

『黒人音楽』と言う言葉がある。



私が知る限り『肌の色』が特定のジャンル名を示すモノは『ブラック・ミュージック』だけだ。『黒人』と言う途方もなく大雑把な人種のカテゴライズと、其処に漂うロマンチズム。

この「黒人音楽」ブラック・ミュージック」「黒人性」と言う言葉はジャズやファンク、ブルース、デトロイト・テクノ等が語られる際に必ず出てくる単語と言うか『便利な言い回し』である。
以前、「ブラック・ミュージックはあっても、イエロー・ミュージックって無いよな」と書いた翌日に

「ってかブラック・ミュージックは存在するのか?」

と思った。ブラック・ミュージックに対しての『ホワイト・ミュージック』はないし、アジア的に『イエロー・ミュージック』『ブラウン・ミュージック』もない。


では、何故、ブラック・ミュージックだけが『ブラック』と言う形容詞と共に存在するんだろうか。




YMOが結成された際に彼等が参考にしたのはクラフトワークだった。クラフトワークを参考にした音を作ろうしたが全く真似が出来ず、
「クラフトワークの音は、全くもってドイツの音だ。鉄鋼業的と言うか、鋼鉄のコンセプト」
と思ったらしい。

この話は、例えばブルースやジャズを語る人が、その音楽の「黒人性」について語るのと良く似ている。

ヤン富田がサン・ラを語る際に「人種が違いすぎる。私達が星空を見て思う事と、黒人が星空を見て思うこと。その時点で黒人は違いすぎる」と黒人優位論っぽい事を言っている。

YMOもヤン富田も世代的には団塊世代だが、『ブラック』『黒人』と言うモノへの誤解と偏見と憧れ。
其れは戦前~戦後、フランス人が黒人文化に憧れた事よりも屈折している気がする。


YMOのクラフトワークへの考え方、ヤン富田のサン・ラへの考え方。
尤もらしく聞こえるが、其れは誤解と偏見でしかない。

YMOが参考にしたクラフトワークだが、クラフトワークが参考にした音はジェームス・ブラウンであり、ビーチボーイズであり、サイケデリック文化(アメリカ文化)である。
其処に鋼鉄のコンセプトとかドイツ的、と言うモノは皆無だ。クラフトワークの音楽に『ドイツ民謡』の鱗片は皆無だ。

サン・ラは意図的に黒人性を・・・露骨と言えるほど・・・出していただけで、ヤン富田が言うような「特権的黒人」ではない。
少なくともディーク・エリントン直系のピアニストであり、つまり「白人文化からテクニックを学んだ演奏」であり、なおかつ本人は黒人でもアメリカ人でもなく、異星人だ、と言っているから『人種』『民族』と言うモノへ懐疑的だったと思う。


山下洋輔のエッセイにあるのだが、60年代初頭の『風雲の志抑えがたい』と言う若手ミュージシャン達は色々な方法で「黒人性」を獲得しようとしていた。
一番、面白いのは『菊地雅章』である。

菊地雅章氏は復帰直前のマイルス・バンドに参加している(何故、正規メンバーにならなかったのかは不明)。

菊地雅章氏は「ジャズ→黒人→貧しくハングリー」と言う無茶苦茶な論理で路上で寝泊まりしていたり、数日ほど食事を抜いたり、風呂に入らないようにしたり(ヒッピーの時代ではない)既にプロ・ミュージシャンだから金はあったのに、意味もなく貧乏な生活をしていた時期がある。

この辺が『ブラック・ミュージック』への偏見、独断、思い込みの良い例だと思うし、例えば『暗黒大陸じゃがたら』もP-FUNKに衝撃を受けて、合宿でギタリストのOTO氏とドラムが延々と

「ドン、ツ、ドン、ツ」

と言うリズム(4ビート)だけを練習して「違う!」「もっとタメて」「違う!」とやり続けたらしいんだが、彼等が参考にしたのは『ライヴ!!P・ファンク・アース・ツアー』と言うライブ盤であり、オン・マイクではなく、会場にもマイクを設置したオフ・マイクである。

ライブ録音と言うよりもブート盤のような客席にマイクを持ち込んだような音なので『じゃがたら』が考えるビートではなく、距離的な問題で本来はジャストで叩いているのに、物凄いファットさになった、と言うだけで、其れはスタジオで再現できるモノではないし、P-funk側にも再現出来ないモノだったワケだが、『じゃがたら』側としては「黒人は・・・」と言う感じだったんではないか?と思う。


黒人

奴隷

辛い日々

人種差別も辛い

其れを歌にした

ブルース誕生

ジャズ誕生

ファンク誕生

色々なモノが誕生

黒人特有or黒人にしか出来ないテクニックばかり

と言う図式は意外と今でも通用するのかも知れない。

しかし、黒人が奴隷として扱き使われていたのは19世紀までであり、その奴隷制度上での労働時間や労働環境は実は日本の派遣社員、正規雇用、ブラック企業よりも遥かに『マシ』なモノだった。
もしかすると、アフリカでの生活の方が辛かったのではないか、とさえ思えるモノである。
過酷だったのは郵送船だったかも知れないが、奴隷船と安い旅客機は仕組みは同じなので「死ぬほど辛い」と言うモノでもない。
何しろ奴隷は値段が高い。
普通のサラリーマン程度の収入では買えないモノであり、高級品だったので酷い扱いは受けなかった人が大半だったはずで(いつの時代も例外はいるが)。

因みに、此の時代から既に『黒人=アフリカ』と言う図式は崩れている。

奴隷の黒人が逃げ出して、インディアン自治区へ行き、其処で生活し、インディアンと結婚して子孫を残す、と言う例が多くなるからである。
または、森の中に逃げて、コミューンを作る例もある。

そして、その『元奴隷の黒人達』は、後に「インディアン」「アメリカ先住民」を名乗ることになる。


奴隷時代が終わった事は黒人奴隷にとっては余り良いモノではなかった。衣食住が保証されている生活から、貯金もないのに独立しなきゃならないので、此処で『人種差別が辛い』と言うよりも結果的に小作人として白人へ『給与』と言う形で雇われるしかなく、其処には『解雇』や『賃金』と言った問題が生じてくる。

『人種差別が辛い』と言うのを分り易い例としては『第一期KKK』だろう。

だが、此の頃の『KKK』は教育を受けた事がない黒人(文字も読めない)へ『オバケの格好』をして脅かす、と言う程度のモノである(KKKの衣装は、当時の『オバケ』の格好であり、つまり『オバケのQ太郎』なのである)。



ブラック・ミュージックに話を戻すが、黒人生活でブルースが生まれたワケではない。『コンゴ広場』の話は有名だが、『コンゴ広場』で演奏されていたアフリカ音楽とゴスペルやブルースに共通項は皆無だ。
労働中に歌っていた『ワークソング』はあったかも知れないが、それが『奴隷時代』なのか『小作人時代』なのか判らない。
奴隷時代だとすれば、各々の話す言語は違っていたはずなのでコール&レスポンスは成り立たない、と考えるのは普通な気がする。

「近いから言葉も近かっただろう」と言うのは、日本語とハングルが違う事を思い出せば良い。



で、多くの人が憧れるブラック・ミュージックの第一発目が『ブルース』である。何故かワークソングやゴスペルは無視される。

ロバート・ジョンソンが産まれたのは1911年で、日本だと夏目漱石が文学界を斡旋し、平塚らいてうが言ってしまえば今のLGBTBに繋がるジェンダー運動を開始している。そして(制限付きだが)普通選挙が開始されている。

此れだけで、既に時代は『近代』と言うよりも『現代』である事が分かる。

だから、大昔のブラック・ミュージックと言う印象を受けるブルースは実は『現代の音楽』である。
そして『黒人音楽の現代性』は、ブルースの多くが

ギター
ピアノ

と言う白人文化から生まれた楽器が用いられている部分である。カリンバだとか打楽器ではなく、ギターと言う処からして既に『黒人=奴隷=アフリカ』と言う図式は消えている。大雑把に言ってしまうが、アフリカには『ギター』のような楽器はない。『コラ』と言うハープはあるが、カリンバと同じで、1~2小節のフレーズを延々と繰り返す為の楽器であり、12音階楽器ではない。
アフリカの楽器の大半(全部?)はリズム楽器であり、打楽器であり、ビートがメインかも知れないがロバート・ジョンソン以前のブルースは少なくとも西洋音楽、音楽理論で説明が付くモノであり、すなわち黒人音楽と言うよりも牧歌的なフォークソングである。

ロバート・ジョンソンのギターに『強烈なリズム性』があるのか?と言うと私には、其れは感じられない。ロバート・ジョンソンの先輩であるサンハウスもリズムと言うよりは『節』であり、パルス的なビートとではない。

ピアノでブルース、って言うのはギターよりは少ないが、クレオールと言うかピアノは何時の時代も高級品なので裕福な子しか持てない。

ピアノによるブルースはラグ、ブギウギとなり、この強烈なリズムが黒人特有の・・・と言うのもあるんだけど、ラグ、ブギウギは元々、フランスのダンス・ミュージックであり、其れを黒人が演奏した、と言う処である。

この「白人のダンス・ミュージックを黒人が見様見真似で演奏する」と言う処は物凄く重要なポイントである。
もしも『ブラック・ミュージック』と言うモノが存在するならば、それは『白人のダンス・ミュージックを黒人が演奏する』である。

50年代~60年代にイギリスやアメリカで人気を得た『ロックンロール』と言う音楽の本質は自由でも反抗でもドラックでもなく、

『白人が黒人音楽を見様見真似で演奏する』

と言う事である。此れはビートルズもローリング・ストーンズも、もっと言えばグレイトフル・デッドも同じである(デッドの初期のレパートリーはウィルソン・ピケットの『In The Midnight Hour』である)。

恐らくブルースと言う音楽も、当時のカントリー(の原型であるイギリス民謡やフランス民謡)をモチーフとしているはずで。

黒人だから『無』から『有』が作れるワケではない。

誤解を恐れずに言ってしまえば『無』から『有』を作ることが出来たのは白人文化やアジア文化の方であり、長い歴史で考えれば白人文化は中東やヨーロッパの辺境文化のミックス、リミックスであり、浮世絵が西洋美術に与えた衝撃で分かるように、アジアはヨーロッパに影響を与え続け、ヨーロッパはアジアに影響を与え続けたワケで、膨大な時間の中だからこそ出来上がったモノである。音楽、ファッション、科学と魔法、恋愛、階級、料理。
だが、『ホワイト・カルチャー』と言う言葉はない。


昨日、ボンヤリとしながら考えたのだが『純粋黒人音楽』と言うモノを100000歩譲って考えると

『ビ・バップ』

位しかないんじゃないか?と思う。バップもアルト・サックスやピアノと言った西洋楽器で行うのだから十分、白いのだが少なくともミントン・プレイハウスには黒人以外が来ていた、と言う記述は観たことがない。

しかし、チャーリー・パーカーを知らずに、その伝説を聴いて期待してCD(LP)のスイッチを入れて、出てくる音は『真っ黒』と言うモノではなく『真っ白』である。
其れはエレガントと言う形容詞で表すことが出来るかも知れない。

多くの人が考える『ブラック・ミュージック』と対極にあるのが実は『チャーリー・パーカー』であり、遡ればデューク・エリントン(デュイーク・エリントン楽団がジャズっぽい演奏を始めるのは戦後)である。

私事で恐縮だが、高校時代に「ソウル」「ブラック・ミュージック」への憧れがあり、書籍で『マーヴィン・ゲイ』を知って直ぐに買いに行った。

CDからは「さぞかしファンキーな音が・・・」と思ったらムーディーでソフトでエレガントな音であり、50年代プレスリーよりもソフィケイトな音でガックリした覚えがある。

R&B、ソウル・ミュージック、モータウン、スタックス。

此等をブラック・ミュージックと考えていたのだが、冷静に考えるとR&Bもソウルもモータウンも50~60年代に作られた音楽であり、マーケットは黒人オンリーではなく白人だった。

この事実はロバート・ジョンソンやブラインド・レモンの音源がレイス・ミュージックとしてマーケットが黒人だけ(または民族音楽)とは真逆である。


バップが黒いのか?と言う事はマイルス・デイビスと言う『黒人文化の論客』であり『黒人でありながら、黒人文化を客観視、または第三者的視点を持った人物』が

「バップは真っ黒だった」

と言うのだから間違いないのだろう。だが、マイルスの意見を否定するワケではないがバップの『黒さ』は演奏だけではなく、ファッション、ドラック、振る舞い(マナー)を包括したものだったんだと思う。

サウンドだけで言えばWW2~朝鮮戦争の頃に作られた『Vディスク』でのベニー・グッドマン&カウント・ベイシー楽団の音源での『ベニー・グッドマン(ユダヤ系白人)』の狂ったようなクラリネットは恐ろしく黒い。そして狂気的とも言える迫力がある。

そのベニー・グッドマンが雇っていたギタリストがチャーリー・クリスチャンで、『バップとはチャーリー・パーカーとディジー・ガレスピーが作った音楽』と言うモノに常に疑問を抱かせる人がいる。

あ、ちょっと話は変わるんだけども『ビ・バップとはチャーリー・パーカーとディジー・ガレスピーが作った音楽』ってよく聞くんだけど、『ミントン・プレイハウス』の音源はチャーリー・クリスチャンがメインなんだよな。チャーリー・クリスチャンの演奏を録音にきたコロンビア大学の学生がいたんだから。
実際、マイルス・デイビスも自叙伝ではバップ時代においてチャーリー・クリスチャンのギターは誰もが取り入れた、と言っている。

セロニアス・モンクなど大勢がいる中でチャーリー・パーカーやディジー・ガレスピーの存在が『ミントン・プレイハウス』では、どの程度だったのか?と言う疑問が未だに残っている。
ミントン・プレイハウス音源で、現代の耳で聴いても生き急ぐような、リスナーの背筋を凍らせるような演奏をしているのはチャーリー・クリスチャンであり、其処にチャーリー・パーカーは居ない。



話を戻すが、バップが黒かった事をメタ黒人であるマイルス・デイビスが言っているのだから認めるとして、『ジャズはブラック・ミュージックか?』と言う事も疑問に思う。

バップ以前はベニー・グッドマンがTOPであり、それは「白人だから受けた」とは言わせないサウンドを作っている(『ライヴ・アット・カーネギー・ホール』でのハリー・ジェイムスのソロは黒人よりも黒く、重く、速い)。
スウィング時代にもディーク・エリントンと言う王がいるが、ディーク・エリントンの戦前の演奏は、今で言うマーチン・デニーのようなエキゾチック音楽であり、メタ環境音楽である。

じゃあ、スウィング時代以前は?と言うと、ディキシージャズがあるが、ディキシージャズと言っても、ディキシースタイルの最初の音源は『オリジナル・ディキシー・ジャズ・バンド』と言う白人演奏家だ。

音源の効果は大きいはずで、ニューオリンズのスタイルを白人が演奏し、其れをニュージャージー州の黒人が「スッゲェ!カッコいい!」と興奮した可能性は私は否定しない。恐らく『オリジナル・ディキシー・ジャズ・バンド』の影響は大きかっただろうし、大きくなければ地方の奇妙なダンス・ミュージックがアメリカ全土にいる黒人に波及しなかったはずで。

黒人によるディキシージャズは勿論、あった。そのスターはルイ・アームストロングで、彼は『マスコットとしての黒人』『コメディアンとしての黒人』を演じながらも超絶技巧のトランペット(トランペットと言う楽器はルイ・アームストロングが使った楽器である、と断言しても良い)。
だが、その内心は人種問題に対して非常にラディカルな人だった・・・らしい。

とは言え、ルイ・アームストロングがスターとなれたのは、その愛嬌や白人受けする部分だったと思う。彼が吹き込んだ音源でヒットしたものは白人作曲家によるものだ。

私はルイ・アームストロングが大好きなので彼の黒人性を否定はしない。少なくとも『スキャット』と言う後のヒップホップにせよTB-303によるデトロイト・テクノのルーツを作ったのはルイ・アームストロングだから。



長いな。


次に続く