2015年8月27日木曜日

放生会

妙なモノに出くわす、と言うのは深夜と早朝。しかも雨上がり、と相場が決まっている。
練習を終えて蚕糸の森公園を出ようとしたら


『亀』



が道端で佇んでいる。露骨に野生亀でクサガメさん。
仕方がないので抱きかかえて池に放す。

雨で増水すると両生類が「ほーな、ちょいちょい」と数時間もすれば確実にデスゾーンに出てくる。
毎年、ガマガエルかミミズだったのだが今年は亀。
礼の一つも言わずに「っせぇなぁ」と言う塩梅で水中に消えた。



2015年8月24日月曜日

花々とBL

BL研究は進む。




BLを好む腐女子だが、此れが所謂『2ちゃんねらー』とは全く違う人種である事に気がつく。清潔感がある、とかじゃないのである。

なんだか変な感じがする。


東池袋の『まんだらけ』『K-BOOKS』に行くと「この光景は見たことがあるな」と思える。

私が高校~学生時代だが『渋谷系』『レア・グルーヴ』全盛期だった。その頃の中古レコード屋はこんな感じだったなぁ・・・と。
わき目も振らずに必死で買い捲る、と言うか。

当時と今では若年層の所持金が違うが、所謂『コピー本』なんぞに1万円のプレミアが付いていたりする。

「売れるのか?」

と思うが売れるらしい。



で、其れをBLに詳しい人に言わせると

「そりゃ買うよ!自分のドグマや内面を具体化してくれるモノなら買うだろ!」

と言う。

だが、中身は『BL』と言うパターン化された漫画なのである。


30冊程度ではあるが、

『純愛』

『一途』

『最後は同棲(男性同士が登場人物なので結婚不可なので)』

である。以前はもっと『BLのパターン』に縛りがあったらしいが(登場人物は30代/高学歴/エリート/取引による同棲との性行為/最後は同棲)最近は

『純愛』

『一途』

『最後は同棲』

と簡略化されている。

2006年を代表する『BL漫画』となると「窮鼠はチーズの夢を見る」。




この漫画だと


①三十代

②エリート

③取引によりホモへ走る

④純愛

⑤最後は同棲


と言うパターンの典型である。


『大奥』で有名になってしまった『よしながふみ』は矢張り違うのだろう。予めパターンから逃れている。


で、私が衝撃を受けたのは

『コピー本』

である。

『愚か者賛歌』






此れはマシな方だが、どう考えても黒マジックとボールペンだけで描かれている。

衝撃を受けたのは此れである。


『あばよ邪悪な理性!!』










此れは衝撃的だだった。「BL本を書きたい!」と言う初期衝動だけで描かれているのだが、絵が下手すぎて、此れが同性なのか異性なのかも分からないし、どう考えてもボールペン一本で書かれている。

殆ど『初期衝動』だけで描かれている


「此れが女性の初期衝動と言う奴か・・・」

と思った。



そこへ



男性側としての初期衝動といえば『パンク』である。少なくともメディア的にはそうなっている。

時折、『ガールズ・パンク・バンド』がいるが女性がロック~パンクをやる事は50年代からいるのだが、(もっと言えば40年代からスウィングジャズのバンドがいた)、こう言ったバンドを男性がどう見ていたか?と言えば

『ガールズ・バンド』

とカテゴライズされている事から分かるように『女の子が男性の真似をする』と言うニュアンスで観られていたと思う。
だから音楽性云々よりも可愛い女の子・・・少なくとも男性メインのサブカルチャーの現場に女性は少ないので多少、難があっても可愛くみえる・・・が自分達の真似をしている、と言うか。


じゃあ、実際の女性にとっての文化って何か?って言えば、個人的には『BL』になるんじゃないか?と思ってしまう。

思ってしまう、と言うより例えば男性が阿部薫を聴いて自分のドグマやトラウマ、思春期のグダグダが具体化されて、大げさに言えば『魂の救済』が得られるかのように、と言うか。

此れが文化じゃなかったら何なんだ。


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若年層がセレクトする文化って、アングラにせよ、セゾン文化にせよ、クラブ文化にせよ、海外からの輸入物だった。

イギリスやアメリカで流行しているモノを、そのまま輸入して使う、と言うか。


近いものとしては明治時代の『鹿鳴館』


だからアングラ・カルチャーもセゾン文化もクラブ文化も次世代の為に何か残せたか?と言えば個人的には殆ど功績は皆無と言っても過言ではない。

もしも、此れまでの音楽や演劇を中心とした文化が後世に何か残せた、とするならばアングラやセゾン文化、クラブやライブハウスも閑古鳥と言う事はないだろう。


『鹿鳴館』が後世に何も残さなかったように、と言うか。


もう一つが、此れまでの『~文化』って予め『パッケージング化』されたモノを愛する、と言うか。

アングラ演劇でも渋谷系でも何でも良いのだが、

①パッケージングされている

②全国的な流通に乗る

③大手のメディアに掲載される

と思えば壮大なモノである。ヤング・カルチャーの萌芽として『アングラ演劇』があげられるが、アレも思えば全国的なメディアに掲載されたからこそ、なワケで『口コミ』ではないし、東京トップダウン型のモノでしかなかったわけで。

当然、ネットもない時代なので雑誌媒体などしかないのは分かるのだが、それを例えば田舎ならば田舎が自己流にアレンジしたか?と言うと疑問が残る。


因みに『腐女子』『やおらー』は80年代から存在した、と言う説もある。この辺の信憑性は難しいが00年代から10年にかけて爆発的になった、と考えるのが真っ当な気がする

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不思議なのは『男性』と言う生物は本能的なのか『コレクション』する処がある。趣味の物体で自宅を埋め尽くす、と言うか。


所謂『ヲタ』の部屋、と言うか。


私は趣味で蓄音機のSP盤を集めるが、凄まじい人になると家中、SP盤らしく『昭和館』のオーナーなんて妻に先立たれたのだが、妻の仏壇にまでSP盤を収納していたらしい。

処が、最近は音楽にせよ、2次動画~2次画像(漫画)のデータ化が激しい。

IT機器の発達によりituneが火蓋を切っている感じもするが、itineで落とせる音源って音質が悪いんだよな。

紙媒体には紙媒体の良さがあるわけで。

だが、男性的にはデータ化されてもOK、と言う事になるらしい。つまり自分が所有している端末やPCに入っていれば良い、と言うか。

そうなると、『只管、二進法のデータを集める』と言う事になる。物体ではなく『データ』である。

其れとは真逆の方向なのが『腐女子』で、『同人誌』と言う媒体が大きい為か、薄い本を集めまくるんだよな。

キャリーカートを持っている子が東池袋にいたりするが、あのキャリーカートに詰め込めるだけ詰め込むらしい。

量が桁外れなので、キャリーカートになるんだとか(カバンだと重たい)。

コレクター気質と言えば腐女子の方が今ではコレクターである。だから、逆転している気がする。


BL同人誌をデータ配信出来るか?と言えば出来る。実際にやっている。


ただ、『論理的・倫理的・道徳的にタブー』過ぎる同人誌も多いので、アンダーグラウンド的に売るしかない、と言うか。

①身体障害者

②国

③実在の漫画のパロディ

④社会的にタブーなモノ

⑤絵が下手過ぎるモノ

等。

BLに関しては『論理・倫理・道徳』と言うモノが皆無に近い。例えば『灰野敬二』をBL化する、ってのは男性的論理で言えばアウトなワケである。

灰野敬二をdisする事もアウトなのである。何故かアウト、と言う事になっている。

男性がメインで形成する文化には意味不明な『アウト』が多い。其れは殆ど小学校の授業で習う『道徳』に近いモノ、と言うか。
または憲兵に近い、と言うか。密告が当たり前、と言うか。

以前、

『灰野敬二を聴く事と、AKB48を聴く事は同じだ』

『灰野敬二=アイドル』

と言うのをツイートしたら2chで叩かれまくったもんなぁ。

宗教化するのが男性文化、と言うか。バチカン市国で「キリストとユダは殆どホモ関係ですよね」と言うようなモンである。

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此処からが本題なのだが00年代~10年代にクラブにせよ、ライブハウスにせよ『次世代』を取りこぼしてきた。

取りこぼしてきた、と言うより排除していた、と言うか。勿論、無意識なのだろうが08年~09年にかけての『派遣切り』がニュースになり


『若年層の所持金の無さ』

『若年層に求められる桁外れの労働力』

『若年層に与えられるインド並みの低賃金』


が露見したはずで。

若年層に金がないのは何時の時代も同じだが、「今後は賃金があがります」と言うモノではなく生涯1300円と言う状態が続くのである、と。


其処へ『鹿鳴館』的な音楽を聴く余裕がある若年層は減る一方で、増える事はない、ってのを誰も認識していなかったと思う。

自分達がやっている事は実は単なる『舶来音楽のカバー』でしかなく、『舶来音楽』を聴く余裕がある人は減り続ける、と言うか。

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結果として無料コンテンツやネットでの情報で満足してしまう、と言う事になる。
リスナーを完全に無視した構造が延々と続いた結果、と言うか。

同時に80年代初頭に行われたCDと言う媒体、90年代~00年代に出てきたネット媒体により、『ロックのバンド』がカバーし続けてきた『洋楽(舶来音楽)』が手軽に聴ける事になったし、同時に『舶来音楽の下手なカバーでしかなかった』と言う事が露見したと思うんだよな。

アングラ文化がヤング・カルチャーの萌芽とすれば、例えば伝説になっている『村八分』のライブのチケット代金が当時の金額で500円。
現在の金額に直すと5000~6000円である。

『第三舞台』のチケットが当時の金額で1万2000円。

当時の東京都の最低賃金が650円だった時代に、である。

実際、70年代にヒッピーカルチャーを体験出来た階層って『金持ちのご子息』程度だったし、小劇場ブームを体験出来たのも金持ちのご子息だったし、ジュリアナ東京にせよ、クラブにせよ、同じだったワケで。

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プレスリーや、ビートルズ、バンド・ブームの頃の過激なバンド。

これらに熱狂的だったのは、それらが『求められいたから』と言うか。だから自分達のスターであり、萌えの対象であり、と言うか。
(付け加えるがビートルズは日本ではリアルタイムでは殆ど流行っていなかった。来日した際は『外タレ』と言う扱いで、熱狂的なファンもいただろうが全国的な流行ではなかった。実際に皆が聞き始めたのは全国レベルで言えばビートルズの『解散後』である)。

『求めていた』から『受け入れられた』と言うか。

東池袋の『ROCK館』と言うのがあるのだが、矢張りビジュアル系だけである。腐女子にとって『ロックのバンド』はビジュアル系。

ビジュアル系のファン・サービスは凄まじい。


もう一つは『自分』と言うモノを肯定してくれるモノでないと、と言うか。


『全肯定』と言う事になるとBLになる、と言う気がする(腐女子にとっては)。


パンクにせよ、ファンクにせよ、どらビデオにせよ、肯定してくれる存在か?と言えば『嘗て』はそうだった部分もあったの『かも知れない』が、今では違うんだろうなぁと思う。

クラブ文化も言ってしまえば音楽ヲタ達が集う場所でしかなかったモノが、今ではリア充専用と言うニュアンスである。


資本主義が末期状態になり、自己を肯定するモノが既に電通的な『パッケージング化』された商品となり、大半は100円均一で買えるモノが、ブランドイメージ先行で1万円になる。しかも、買うにはリア充的なニュアンス。

いったい、誰がそんなモノに飛びつくと言うのだ。

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ただ、私事で恐縮だがパッケージング化が不可のモノには、まだ未来がある気がする。

『自己のパッケージング化/ブランド化』

に成功したのは最近だと灰野敬二とボアダムズ、非常階段だと思う。時間は掛かったがブランド化とパッケージング化には成功していると思う。

ただ、其れは『終焉』と言う気もする。

個人的には『レベッカ』と『灰野敬二』は同じものだし、灰野敬二がフジロックに出てもおかしくない(disるワケじゃないが、国際的な知名度で言えばフジロックのメインで出演しても可笑しくないはずなのだが)。


ガラガラのライブハウス。

客は年齢層高め。

身内でワイワイと楽しむ。

第三者の参入を拒む。

発泡酒なのに『ビール』とされて800円の請求。

飲酒の強要

出演者には高額なチケット・ノルマ

キャパ100程度のハコに100wのマーシャルアンプ

水が漏れている便所

臭い

ぶっきらぼうな店員


誰が好き好んで行くんだ?と言う疑問はない。
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NYに行った時に思ったのはアヴァンギャルドにせよ、フリージャズにせよ、カントリーにせよ、一定の集客がある。

と言うか「音楽を聴きに行く習慣」と言うモノがある。

ただ、日本の場合は『音楽を聴きに行く』と言うのは、庶民が『鹿鳴館の舞踊会に参加する』並みの敷居の高さがある。

経済的にも

音楽的にも

階層的にも

何もかも。

何故、こうなったか?と言えば、主催者・ミュージシャン・ハコ側が只管、自分達の行動を『鹿鳴館化』した結果である。

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私は、そう言うモノは何もかも破壊してしまいたい、と言う気持ちが強い。

チョイとひとつ上の台座にあるものを引きずり下ろしたい、と言うか。


「あいつ等の音楽」

「あいつ等の場所」


ではなく


「私達の音楽」

「私達のイベント」

「私達の居場所」


を作りたいと思う。


BLを調べて、思い知ったのは『音楽~演劇の完敗』と言うか。

気が付けば大敗していた、と言う状態。で、此れに関しては取り返しが付かない。06年からSDLXで自分で今と変わらないコンセプトでイベントを続けてきて、其れは既存の音楽システムに対して『NO』と突きつけて来たつもりなのだが、私や、ライバルだった『TESTTONE』が細々とやっていたにしても全体は変わるどころか益々、保守的に成るばかり。


じゃあ、集客を見込んで『初音ミク』や『アニソン』のイベントをやれば良いのか?となると具体性や経済的なモノは大きいのかもしれないが、何か違う気がする。



私自身は現状を踏まえたうえで『音楽』や『パフォーマンス』と言うモノの力を信じたい。

そして変えて行きたい、と思う。

音楽に対しての集客は減りはすれども、増えはしないだろう。此れは『初音ミク』にせよ『パッケージング化されたノイズ』にせよ、同じ事だ。


じゃあ、減ったからと言ってやめるか?と言えば、そんなワケがない。


遭えて複数形で書くが



私達から音楽が消えたら。

私達の社会から音楽が消えたら。

私達の次の世代に音楽が残せなかったら。


芸は花だ。


愛する女性に花を。

産まれてくる子供に花を。

嬉しいときには花を。

死ぬ時は花に囲まれて。



人間は花なしには産まれる事も死ぬ事も出来ない。ituneのデータやアプリでは何が出来ると言うのか。

音楽は宗教の一部だ。

其れは自己肯定であり

恐怖と経済へのカウンターだ。

ブランドもパッケージも糞もヘッタくれもない。

鳥は泣くのではなく歌う。

もう一度、音楽を。

音楽を我等に!!!





2015年8月19日水曜日

腐る女の子/BL考


BL本を20~30冊集めてみて思うのは、大体はパターンがあるのである。

『BLのパターン』を踏んでいない漫画は皆無に近い。

濡れ場があるか否かは余り問題でもないらしい(書き手の画力や性的体験の少なさ由縁するのかもしれないが濡れ場は確かに描くのが難しい気もする)。



『関係性』
『独占性』


の二つがメインである。だから登場人物がジャンプ系だろうと、『洗剤とスポンジ』だろうと問題はない。

しかし、と思う。

こう言った本が10~20代前半の女の子のドグマだとかドロドロだとか悶々を救済して
いる(具体化させる)のであれば、では

『音楽』
『演劇』
『現代美術』


は、この15年間、何をしていたのか?と言う気がしてくる。
「もしかして」と思う。
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本来は10代の『ナード』の魂の救済と言うか、その悶々やドグマを受け止めて『具体化』してきたジャンル(私の場合はノイズやフリージャズ、暗黒舞踏やアングラ演劇だったが)は実は



『聞き手不在のまま15年間』
『観客不在のまま数十年』



だったのではないか?と。もっと言えば聞き手を包囲しようとしていたが、実は多くは同世代であり、次世代の大半は完全に無視された状態だったのではないか?と言うか。


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『自分の悶々や苛立ちを具体化』と言うのがサブカルチャーにせよ、カウンターカルチャーにせよ、その役割だと思う。


だが『リア充』『非リア充』と言う二分割があり、此れまでの『サブカルチャー』は狙ったか、狙わなかったか『リア充』と言う部類にだけ向けられており、その半分以上を占める『非リア充』と言うモノに対しては嫌悪こそすれども取り入れようとはしていなかった、と言うか。



サブカルチャーなるものの、中心部にいる自分こそが嘗ては『非モテ』『非リア充』だったにも関わらず、である。
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90年代ってヲタは非常に蔑まれ、嫌われる存在だった。だが、同時に『渋谷系』と言う思えば今のコスプレイヤーも唖然とするような『ガチヲタ』『コスプレイヤー』は歓迎された。どうも奇妙な文化だった。


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音楽界隈全体で言えば『渋谷系』と言うのはエポックメイキングで、それまでの音楽の聴き方、セレクト出来る音楽の幅は可也、広がったと思う。現代音楽からヒップホップまで、と言うか。
ただ、『へヴィメタル』は黙殺されていた。


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『初音ミク』のボカロPを聴いていると、その楽曲の構造がいわゆる『メタル系』である事が分かる。
実際、初期はメタル系だった人がDTMに行き、ボカロPになる、と言うパターンが多かったし、今もそう言う子が多い。
実際、日本の音楽シーンに最も影響を与えたのはベンチャーズとへヴィ・メタルなんだもの。
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90年代~00年代初頭まで『取りこぼしはない』『全方位面を網羅した』と言う感じだった広義の意味での『ロック・ミュージック』は実は60~70年代と同様に


『舶来音楽のカバー』

でしかなかった、と言う気がする。クラブにせよライブハウスにせよ、である。

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『舶来品』だから値段は高い。
『舶来品』だから舶来風にしてね・・・みたいな。

其処に『敷居の高さ』を感じるのではないか?と。その『敷居の高さ』を感じているのは別にキモヲタとかだけじゃなくて、実は今の10~20代はそう感じているのではないか?と。
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『渋谷系』って正直、死ぬほど敷居が高かった。ウンザリするほど高かった。


音楽のジャンルとは思えない程で、私はクラブ・イベントに行く時でも緊張したもんなぁ。

テクノ系に行く時はドキドキだったのだが渋谷系は可也、違った。

思えば所詮は『音楽サークル』だったのだと思うのだけども、その輪と言うか、サークル

に認められるか否か、と言うのは恐怖に近かった。

しかも『認められる為の雛形がない』と言うのも恐ろしい。『あさま山荘:山岳ベース』とか中国の文革かよ、って言う。


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此処からは超個人的な感触なんだけども「灰野敬二」にせよ「非常階段」にせよ、『渋谷系化』が進んでいる感じがしてしまう。


何と言うか『ブランド化』であり『敷居の高さ』みたいな。

実際には国際的な知名度の方が高いのだから、渋谷系以前からそうなってもおかしくはなかったはずなのだが、それを拒む何かがあった気もする。

90年代は『オザケン』であり『大槻ケンジ』で、10年代は『灰野敬二』と『非常階段』で、と。
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灰野敬二氏は自らの生活もあるし、音楽で食っていかなきゃならない、と言うのもあるだろうし、JOJO広重氏にすれば「ようやく食える!」と言うのもあるだろうし。
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しかし、それは『音楽メディア』の終焉であり、その終焉を引き伸ばすための苦肉の策でしかない、売るためのコンテンツが最早、ノイズや灰野敬二しか残ってない、と言う事の表れなんじゃないか?と言う気がしてくる。
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私事で恐縮だが18~19歳の頃、矢張り悶々としていた。彼女もいないし、友人もいない。渋谷系全盛期で余り居心地が良い時期でもなかった。


高校時代、3年間のバイトで購入したKORGの01W(23万円)でテクノやアブストラクトなヒップホップが作りたかったが、今の基準で考えると冗談みたいにスペックが低く、『作りたいと思う音楽』の大半は作れなかった。


其処へ『非常階段』『インキャパシタンツ』のCDを聴いたときに「此れなら!」と思って、誰に聴かせるでもなく音源を作っていた。



「ノイズ」と言うジャンルであれば機材等に左右される事はなく、完全に自由だ、と思ったのである。


このジャンルであれば自分の思っている事、悶々としている事、心象風景の森羅万象を現せる、と。
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気がつくとノイズは作らなくなっていた。

もう少し時間が経ってみると当時、感じた『自由な音楽』ではなくなっている。



「世界に何人いるか分からないけども『私達の音楽』だ」



と思っていたのだが、何と言うかな。

『渋谷系』であり『オザケン』的なモノになってしまったなぁ・・・と言う感じがしてしまう。
其れは当人達が望んだのか、望んでいない(資本が投入)モノなのか分からないけども。
ただ、実際『突然段ボール』の弟氏は「基地外やメンヘラはライブに来ないでほしい」とツイッターで言っている。
随分と・・・と思うが、当人が自分達をそう思うのだから良いのだろうが。

だったら初台のオペラシティでライブやれば?と思うが、そうも行かない事情があるのだろう。考えても仕方がないが。

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もし、私が37歳ではなく17歳だったら多分、ノイズ・ミュージックを聴こうとは思わない気がする。


既に自分とは違う(経済的にも年齢的にも)『大人』の何かが入りすぎている、と思ってしまう気がする。

17歳だったら、と言うのは流石に20年前なので想像するのが難しいが『ブランド化』されたモノに行くか?と考えると多分、行かないと思う。
学校やクラスに一人位はいるような『ヒネクレ者』な10代だったし。
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「ノイズ・ミュージックが認められた」のではなく『ブランド化に成功した』のだと思う

2015年8月12日水曜日

ノイズとボーイズ・ラブ

東池袋の『まんだらけ』。




様々なジャンルの『パロディ:BL』が多い。メインは少年ジャンプ系だが、個人的に驚いたのは


『フリッパーズ・ギター』

『ヘタリア』

『劇団新感線』


がBLとして成立しており、尚且つコーナーまである事だった。ちなみに『ヘタリア』は



国を擬人化



なのである。だから「やめろよ・・・ふらぁ・・・んすぅ・・・!」「かわいい・・・イギリス・・・」と言う凄まじい台詞が出てくる。

国を擬人化って凄いな、と思った。


ってか、フリッパーズとかオザケンをBLってどーなんだ?と思うが、それよりも



『劇団新感線』


である。一介の小劇場あがりの劇団がBLになるのであれば

『状況劇場』

『演劇実験室:天井桟敷』

『曲馬館』

『東京グランギニョル』

『月食歌劇団』

『早稲田小劇場』

『青年団』

『劇団ゴキブリ・コンビナート』

『劇団乾電池』

『劇団つんぼ桟敷』


もBL化されているのではないか?と思ったが、当然なかった。

仕事が暇だったので『状況劇場~劇団唐組BL』を考えてみた。


唐組の看板役者は稲荷卓央と言う役者である。稲荷さんが唐さんに

「か・・・唐さん!」

「稲荷!なにを・・・」

「ぼくは・・・ぼくは・・・」

「稲荷!やめろ・・・っ!ぅ!」

と考えてみたのだが、どうしても唐十郎の年齢が高すぎるので『単なるホモ小説』にしかならない気がする。

で、天井桟敷に関しては作品自体がBL系も多いので、あえてBL化する事もないだろうし。


で、フリッパーズのBLがあるのである。

「だったら・・・」

と思い

裸のラリーズ

灰野敬二

非常階段

『インキャパシタンツ』

『19』

『ボアダムズ』

『ハナタラシ』

『メルツバウ』


のBLはないか?と店内を昼休憩時間が許す限り探してみたが、やはり無かった。


「ノイズは腐女子に受けないのか?」


と思ったが、有識者曰く

「Bis階段で普段、ノイズを聴かない人もノイズ・ミュージックに興味を持ち始めた、らしい」


と言う。



その有識者の意見が間違いないのであれば腐女子が「灰野さん、萌えるわぁ~と言っていても良いはずだが、10代~20代前半の子が灰野氏やラリーズ、インキャパや非常階段を聴くとは余り想像がつかない。

10代の頃の私は(今もそうだが)非モテ・非リア充・童貞でノイズを聴いていたが、やはり変な男の子だったんだろうか。


しかし、『なければ作る』が腐女子カルチャーである。


とりあえず手に入れた12冊のBL漫画~小説をモチーフに書いてみよう。

ただ、BLの有識者曰く

「非常階段のメンバーはルックス的にBLに適していない」


と言う。確かに頷ける意見である。
(非常階段:JOJO広重)







だったら、誰になるのか?すわ

『灰野敬二』



『裸のラリーズ』

だろう。両者を『ノイズ・ミュージック』と定義してしまうのは若干、抵抗があるが


「分かり易さ」

「見た目のインパクト」

「痩せている」

「皆が大好き」

「信者が多い」

「太ってない」


と言う点でBL化は可能かと思われる。ちなみに生年月日を調べると水谷孝(裸のラリーズ)の生年月日は1949年。順当に考えると水谷孝が『責め』で、灰野敬二が若干、年下なので『受け』だろう。


知らない人の為にYOUTUBEを貼り付けると裸のラリーズ(水谷孝)はこんな感じ。




で、灰野敬二はこんな感じ。











水谷孝(裸のラリーズ)




水谷孝(裸のラリーズ)








灰野敬二





灰野敬二






ルックス的には悪い部類ではない、と『思う』。

設定としては『ラリーズ(責め)』『灰野敬二(受け)』である。



3時間かけて書いてみた。ってか、殆ど別の作品のパクリだが。
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ロックの味がする。


地べたに擦り付けた唇を、閉じる余裕がなかった。灰野は青臭いピックの欠片と、湿気の多い床を歯の縁で削って食った。


テクニックに屈して這いずるフリージャズの為の食い物だ。


デビューしたころから幾度となく理不尽な評価に叩きのめされて、その味を覚えた。
惨め過ぎる境遇に逆らって、自分もエレキ・ギターを買った。
6本の弦をコントロール出来れば、未来を変えられる、思ったこともあった。
輝ける『ロック・スター』等という、身の程を知らぬ高みを望んだ。

地獄のフリージャズから逃げ出し、自由になりたかった。


―けれども全部は幻だ。


何もかも空虚な、がらんどうだ。


―どうせ、俺は何処にいても雑音しか出せないギタリストじゃないか。


救いがたく間違ったミュージシャンだから、吉祥寺マイナーの内側に封じ込められなければならない。

決して変われない野良犬だから、いつまでも鞭打たれなければならない。

幸福にはならない。

幸福なぞは何処にもない。


―それなのに、幸福に似た幻を見た。


灼熱の真夏に、手では触れられぬ妖艶を見たのと、同じだった。

「水谷・・・」

灰野は呻く。

這いつくばるから躰の節々が軋んで痛む。

うつぶせ、無理な体勢で押さえつけられている。



「・・・嫌っ・・・だ・・・」


何度も嫌だと繰り返した。
誰が来ても不思議ではないライブハウスの楽屋だった。こんな危うい場所で抱かれているワケにはいかなかった。
本気で拒んだ。



「嫌だ・・・っ。っ・・・嫌・・・っ」



水谷の腕の下でもがき、暴れ、抵抗した。

無論、敵わなかった。

水谷の熱い躰にのしかかられ、後ろから犯された。

手荒な暴行だった。

自分にはお似合いの顛末だ。
愛も行為も一切、関わりなく、ただ世界の必然として古参のミュージシャンは、卑しいアヴァンギャルド音楽家を喰えば良い。
あらゆる誇りを剥奪し、踏みにじり、殺せ。

殺してくれ。


ろくな前戯もなく解されぬ肛門に重たく突き入れられた熱量を、灰野の肉体は受容できず、のたうち、悲鳴をあげ、涙を流す。


この男とは何度も性交してきたのに真実の辱めを、まだ与えられていなかった。




まだ与えられていなかったから・・・欲しかった。
水谷の全てを欲しかった。
正気の沙汰ではないのだろう。
どうしようもなく、狂いすぎているのだろう。



ライブハウスの、安っぽい照明が両目を曇らせる。


開けっ放しの楽屋に、醜悪な喘ぎ声がどれほど洩れ響いてしまっているのか、自分では知ることも出来ない。


脳天まで突き通すショックと、己の内部に横溢する異物の猛々しさに、意識を激しく揺さ振られた。

ガクガクと灰野は痙攣し、まるで煉獄へ落下しかかった者のように地面に縋りついた。



「水谷・・・水谷・・・」



理由もなく名前を呼んだ。
うわごとだ。
落ちていく恐怖から救われたかったのか。

俺と一緒に落ちてくれ、と懇願したかったのか。

駄目だ・・・・。

今更、許されない言葉だ。




「うわ・・・・・あっ・・・・・・ア・・・・・・ぁ・・・・・・。ぁ・・・・・・!」



水谷の欲望の形が突き入れられ、痛切に内壁を抉るたびに、泣き叫ばずにいられない。

なのに同時に、いっそう水谷を求める極端な衝動が育つ。



「い・・・・・・や、ぁっ・・・・・・んぅ・・・・・・・ン・・アァ・・・・・・!」



痛みを超越した隠微な感覚が、本能の奥底から引き出され、灰野は慄然とする。

苦悶に見せかけた悦びの扉を開いたのは、誰だ。

水谷を追い込んで、この強姦を招いたのは、誰だ。


―そうじゃない。


麻痺した心の片隅で否定する。



―そんなつもりじゃなかったんだ。



この男が俺を不幸にするなんて、知らなかったんだ・・・・・・・。
手遅れの告解だ。



「ぁ・・・・・・・あぁ・・・・・・ああぁ・・・・・・・あ、あ・・・・・・・!」



単なる悲鳴でも得意のスクリーミングで済まない、淫猥で強欲な声が、押し殺しても喉から溢れてくる。



「あっ、ぅ・・・・・・く・・・・・・っ」



涙と唾液にまみれた顔を地面に押し付けても、躰の反応は隠しようがない。

自動的に腰が蠢き、えげつなく快楽を貪ろうとする。

内壁の粘膜が、咥え込んだ熱量に絡まるように吸い付く。



「求めているのか」



灰野の背に覆い被さり、耳元で水谷が囁いた。

汗に濡れた水谷の胸板を感じて、ぞくりとした。

この男の手で存分に愛撫されたい。

くちづけが欲しい。




「違・・・っ、ぅ・・・・・・」




きれぎれの呼吸の合間、首を横に振った。


「殺せよ・・・」


涙声で言った。

水谷は答えなかった。

不意に後頭部を鷲掴みにされ、髪を後ろに強く引かれて、灰野は喉を仰け反らせた。痛みと苦しさで、我慢できずに、また喘いだ。



「灰野君。オマエがそれを言うたびに、水谷がどんなにたまらない気持ちになるか分かっているのか」


水谷の甘い声が灰野の鼓膜をも犯す。

灰野の耳朶を、水谷が一度噛んだ。背筋を走る魔的な電流に、灰野は身をこわばらせた。

水谷の舌先が灰野の耳朶の表面をねぶり、やがて唾液と共に、ぬるりと耳孔に潜り込んだ。ひっ、と灰野は悲鳴を発した。



「あっぁ・・・・・・・ぁぁ・・・・・・・ん、ン・・・・・・ん・・・・・・・、ぁ・・・・・・・!」



巧みな唇と舌で性感の存処を煽られた。

自らの皮膚の濡らされる音が、いやらしく大きく聴覚に響き、熱病のように全身がヒクヒクと反応した。



「はぁっ・・・・・・・・ぁぁ・・・・・・っ」



抗う余力が四肢から消え去った。もう、水谷の思い通りになるだけだった。


「ぅ・・・・・んぅ・・・・ぅ、ぅ・・・・・・」


嗚咽が止まらない。

耐え難い敗北であり、羞恥だ。

この男の前で泣き続けるなんて。啼き続けるなんて。

死ぬほどの屈辱であり、同時に逆転した、暗い歓喜だ。



「何故、泣いている」



水谷が尋ねた。


「後悔しているか」


後悔・・・・・・何を?

過去のどの時点から間違え続けているのか、灰野には分からなくなってきていた。

逆らわずに裸のラリーズのファンとして愛される道を選べば、お互いに傷つかずに済んだのか?
そして、この男の悪評を増やし、ヒッピー達の中に繋ぎとめておけば俺は幸福になれたのか?



「・・・だから・・・言ったじゃないか・・・」



喘ぎすぎて潰れた咽喉で、灰野は呟く。


「水谷・・・君に僕はがっかりしていたんだ・・・」


「・・・・」


水谷が黙った。

灰野の暴言を罰するかのいように、水谷の手が灰野の下腹部へ回りこんだ。

これまでずっと放置されていたにも関わらず、その部分はとうに勃ちあがり濡れそぼってさえいた。
灰野のあらゆる欺瞞と虚勢を看破する手つきで、水谷の熱い指がソレを掴んだ。

昂揚を露わにしている灰野の陰茎を、ただ確かめるためだけの触り方をした。

淫乱な牝犬。そう罵られるに近かった。

灰野は身悶えした。破裂してしまうと思った。

壊れる・・・気が狂う・・・!




「みずぅ・・・・・・たぁ・・・ぁ・・・」


「灰野君・・・・水谷は川崎クラブチッタのステージにあがっても、オマエを待つことは出来るだろう」


水谷が言った。


「ひとかけらも、水谷を信じる気がないのか」


朦朧と揺れる意思の底で、灰野は水谷の声を聞いた。

・・・・何を言っているんだ!と思った。

雨と雨の間隔すら待てずに、僕は狂っているのに。

これ以上、まだ、もっと、この男と・・・。


水谷が去った後の、無限の孤独を想像した。大地が熔けて無くなるような眩暈を感じた。



「そん、な・・・・半端な触り方しないで・・・・・いかせて・・・・」



ちゃんとした音声にならぬ、吐息だけの声で灰野は哀願した。


「後ろも、君の好きに使って・・・・いいから・・・・。」


「水谷に返事をし給え。それからだ」


「返事・・・」


ぐちゃぐちゃに混獨した頭から、正しい回答など引き出せやしない。


灰野は考えるのをやめた。


「君がいなくなったら、僕は・・・」


再び、涙がこみ上げてきた。
生きていけない、と思った。

それほどまでに、この男に運命を縛られている。



「そしたら・・・・僕は吉祥寺マイナーの出演をやめて・・・フリージャズのバンドでギターでも弾いて・・・すぐに売れなくなって、君を僕から自由にしてあげるよ」


馬鹿な事を言った。

水谷を信じると、とは言えなかった。水谷を追って自分もサイケデリック~ノイズを目指すのだと、答えられなかった。

水谷の望む返事を与えられなかった。


「・・・・・っ、あ!」


灰野は身を竦めた。水谷の指が灰野の昂ぶった陰茎を強引に擦り上げ、射精させた。
自分の気持ちとは、無関係な、無理やりに強いられたソレに、快感はなかった。

ずるっと水谷の男根を躰の奥から引き抜かれた。

灰野は瞬きをした。

肉体に与えられた衝撃と虚脱感で、少し呆然とした。

自分の体内に水谷が射精しなかったことが、悲しかった。
道具以下の役立たずに、自分が成り下がった気がした。

「・・・Last One・・・?」

しゃがれ声で、それだけ尋ねた。

水谷が灰野の躰を手放した。

横倒しに、楽屋に転がされた。


「夜明けがきた」


水谷が言った。


「時代は変わっても、こちらは変わらない。とどまり、進み続ける。そして両者の間に壁があるとするならば、それも壊してやろうじゃないか。名声、名誉、それらどれもくだらないものだ。敗北の中にも勝利はある。こちらにとって勝利も敗北も関係ない。敗北したからと言って、それがなんだ。こちらはすじを通す為に戦い続けるであろう。もし勝利という言葉があるならば、それを意味するであろう」


「はっは・・・」


灰野は小さく笑った。

破鐘のように頭蓋骨が痛んだ。硬く瞼を閉じた。水谷の姿を見たくなかった。世界の全てを真っ黒に塗り潰したかった。


「うまくできない・・・・」


呪いの言葉を吐いた。


殺して貰えないなら、それを言うしかなかった。

灰野の指が、無言で、灰野の頬を撫でた。

そこにこびり付く、埃やチリを拭った。

触るな!と言いたかった。

こんな有様になってまで、優しくするなと言いたかった。

だが水谷の手をはねのける気力が、沸かなかった。

されるがままにしておいた。



「ステージで水谷と会い給え」


水谷が言った。


「音量の海から逃げてはいけない。君は僕とBlue Cheerのコピーバンドを組んだことがあるのだから」


どうしてBlue Cheerなんか。

我慢できなくなって、灰野は声を荒げた。


「消えてしまえ。君と話すことなんて、ない」


「・・・驚かないでくれ給え」


水谷の指が、灰野の頬から離れた。
身じろぎせずに、灰野は水谷の気配を背中で感じた。

水谷が黒い皮ジャンを拾い、遠ざかっていく。
その物音を、灰野は息を殺して聴き続けた。


「・・・・・・」


のろのろと躰を起こし、下着やサングラスの乱れを直した。
全身が疲労し、だるかった。


「・・・水谷」


呼びたくないのに、唇がその名前を反復する。


「水谷・・・水谷・・・」


時間を戻して、もう一度、間違っていない道を探せたとしても・・・。

結局、どうしたってこの胸全体を覆う痛みは変わらなかっただろう。


立ち上がって灰野はよろめいた。両膝をつき、四つんばいになって、嘔吐した。

胃が空になるまで、吐いた。涙も枯れるまで流した。

壊れた心も、壊した恋も、滅茶苦茶に、躰の外に吐き出してしまえたらいい。
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いくつかの作品をパクって書いてみたのだが、文章が無茶苦茶に下手で模写するのが大変である。
矢鱈と『余り使われない漢字』が多いうえに『体言止め』と言う文体が多く、非常に読み辛い。


うーむ。


リクエストがあれば続きを書くが、どーなんだろうか。

2015年8月6日木曜日

ハイジャック犯はボーイズ・ラブ

前回の日記で『夏目漱石風にBL小説を書く』と言う無意味で無駄な実験を行った結果、プロの小説から「これぞBL小説!」と太鼓判を押され、出版社に勤務していた女性からもメールにて「これぞBL小説!」と太鼓判を押された。

http://kodona.blogspot.jp/2015/08/blog-post_6.html

テキトーな気分で書いたモノが『BL小説』となるのであれば、果たして「BLとは何か?」と言う疑問に私は立ち向かわなくてはならないだろう。
つまり

「何処から何処までが『BL』なのか?」

と。余談になるが私は唐十郎の元にいた分際で実はサミュエル・ベケットが大好きだった。ってか今でも好きだが。

ベケットの戯曲は意味不明な難解どころを超えて「殆ど無意味」に近い物が多い。多い、と言うか全てである。


●役者が骨壷から顔だけだして3人一緒に延々と話すだけ


●口元だけにライトが照らされて只管、1時間位、意味不明な事を言うだけ


●怒っている人が延々と回りに怒り散らしているだけ


●ホームレスが二人で話しているだけ


●箱が動くだけ


●10人位の役者が一瞬だけ飛び出てきて、後は息遣いだけしか聴こえない


●役者が身体半分、土に埋まった状態で延々と話すだけ


●役者がテープレコーダーに向って話し、其れを再生するだけ



と言う既に『演劇』なのか、どうなのか疑わしいモノが多い。ベケット研究に関しては右に出るものが居ないと思われる別役実(私は殆どミーハー的にファンである。娘の『べつやくれい』も素敵)ですら

「面白い作品ばかりだが上演は難しい。下世話な話になるが、こんな芝居で客から金を取れるとは到底、思えない」

と言っている程である(実際に上演されていない作品も多い)。


私が思うにベケットは偏執狂的に「演劇って何処までが演劇なんだよ?」と言う議題に取り組んでいたんではないか?と思う。其れは

『舞台に何かがある』=『演劇』→なのか?

と言うか。20世紀の演劇はサミュエル・ベケットに始まり、そして20世紀演劇はベケットの物だった、と思う。ベケット的視点からチェーホフ演劇が見直され、そして平田オリザから『チェルフィッチュ』である。


そんなワケで。



昨日、書いた『BL小説』だが私は思うに「若しかしたら『喘ぎ声』さえあれば『BL小説』になるのではないか?」と思った。その『喘ぎ声』の前後の言葉は特に意味は無くて「ん!」とか「っう!」とかさえあれば友人のツイッターの言葉でも宜しいのではないか?と。

と言うワケで実験してみた。前後の言葉は名高きハイジャック事件

『全日空61便ハイジャック事件』

である。キャラクター設定もストーリー設定も出来上がっている。



ストーリー:1999年7月23日午前11時25分、出発してすぐの羽田発新千歳行きの全日空061便ジャンボ機が男にハイジャックされたという連絡が入った。さらに正午過ぎには「長島直之機長(51歳)が刺された」という無線が入る。男は副操縦士に取り押さえられたが、長島機長は死亡。墜落寸前だったが、副操縦士が操縦を代わり、乗客503人は無事だった。 
男は江戸川区小岩の無職・西沢裕司(当時28歳)。フライトシミュレーションのゲームをしており、「レインボーブリッジをくぐりたかった」と供述した。 

登場人物

長島機長(51歳):全日空061便ジャンボ機機長 
西沢裕司(28歳):無職のフライトシュミレーション・マニア 


この事件のボイスレコーダーを元に書いてみよう。


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「コックピットから今出るように言ってます。えーと、単独犯のようです。今、コ・バイ(副操縦士)が外に押し出されました」

「・・・いいよ・・・」

「もうすぐ旋廻しますよ」

「・・・んっ!」

「あの、ここ下、見ていただければ、三浦ですね」

「・・・うっ・・・」

「えー、横須賀で、あれが江ノ島。見えますか。右手、あそこに江ノ島が見えますね。」

「・・・あっ、そこは」

「今、回りましたね」

「や!と・・・あっあっ」

「このままにしてますから。大島のほうに向かってますから」

「・・・あ!・・・あう・・・」

「南風20ノットですね。陸上の風は強い風ですよ、はい、難しいですよ。」

「あっ、あー!」

「管制の方が、大島の後どうするかという風に聞いているんですけど、・・・・横田に向かえばいいってこと。」

「・・・んんっ!んー!」

「今度大島から横田に行きたいって言って、横田に行っていいよって言ったら、・・・・その右の上に、ちゃんと横田の・・・、あとどのくらいで横田だって出てくるから。」

「んっ!んっ!んっ!」

「それは、それはわかります。」

「っ!・・・あ・・・」

「だから、このままでもいいと思います。」

「・・・あ!!」

「じゃあ、あの管制の方に、えー横田に行きたいって言いますね。」

「あっ・・・出る・・・っ」

「あとちょっと、これ非常に高度が低くて、ちょっと、もうちょっと上げた方がいいと思うんですよね。」

「あ・・・っ!!そんな、ああ、出る・・・っ!!」

「大島と・・・、こう・・・、まあ雲も出てるし、ねえ、もうう100フィート(約300m)上げましょう」

「ああ・・・ああ・・・ああ・・・早く挿れて・・・」

「それで、じゃあ、横田の方の距離がわかるようにしますからね。」

「・・・挿れてくれ!」

「ちょっと揺れてきたから、高度どうでしょうね」

「そ・・・そこっ!!そこっやっあっやっあーーーー!」

「上げた方が揺れがおさまると思うんですけど、このまんまじゃないとだめですが」

「あっあっ 長島・・・早く、はや・・・く・・・っ・ああ」

「こんなこと聞いて怒んないでね。あのー、どこかで降りますよね。当たり前ですけどね。あ、そのうち指示くれるんでしょうけど、お昼くらいになってくると、どんどんさっきよりも、雲がすごく出てきたでしょう。」

「ヘンになる・・・っ!こ・・・こんなのやだ、ヘンになる、ヘンになっちゃ・・・っ!!」

「うん、昨日も一昨日も、あの東京、ほら、すごく練馬で大雨が降ったでしょう。あれと同じようにあの、これから、あの、もこもこもこもこ白い雲が出てくるから、あのー、今日の予報がそうなんですけど。」

「あっ・・・」

「今こうやって、いいお天気でよく見えるから、3000フィート(約900m)で問題ないんだけれども、これからもっともっと雲が出てくると、ちょっとだんだん飛べなくなってきて、雲に入って来たりすると、他の飛行機と衝突したりする危険が出てくるから、高度かえるとか、あと降りるとか、あの、しないといけないので、それも考えておいて下さい。」

「ん~!ん~!ん~!」

「で、燃料があと2時間、もうないだろうから・・・、もうすでにね、40分、50分も経っているから」

「・・・うそ!早!え?あ・・・」

「あれは江ノ島ですからね、右手に見えるの。」

「っ・・・。ま・・・た・・・いっ・・・くっ・・・・・・!!」

「ここ、外見といてね。見といてねと言うのは、厚木とかあるから。」

「う・・・っそ・・・っ!!どうになかっちゃうよっ!!長島君 死んじゃうっ・・・!」

「他の飛行機もいっぱい飛んでいるから、うん、ちょっと危ないから。」

「や・・・やっ・・・だっ・・・!!」

「あと丹沢の山も、あそこ、見えてきたでしょ」

「恥・・・ぃ・・ずかし・・・いだろ・・・っ・・!!」

「もうちょっと、本当はもう1000フィートくらい高度上げたいんですよね」

「長っ・・・!!やめ・・・もう無理っ・・・!!ねがっ・・・・」


(午前11時55分頃)
長島機長の悲鳴。以後連絡はなし。



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どうだろうか?因みに「喘ぎ声」は『よしながふみ』から全文、引用したのだが「っ」「!」と言う文字が矢鱈と多いのが特徴的である。意外と『BL』しているんではないか?と思った。BLしてなくとも『特殊なエロス』はあるのではないか?と。

『よしながふみ』風に松尾芭蕉の俳句を書くと


「ふっ・・・っ古池っ・・・っや!!か!か!蛙・・・!!とっ!・・・・びこっ・・・むーーーーーーー!みっ・・・水っつ・・・・のー!お・・・っ・・・と・・・っ!」


既に俳句にならない。5・7・5の世界にエロスは存在し難いのかもしれない。

では短歌だったらどうだろう。

短歌と言えば寺山修二だ。


「マッ!・・・・チ!擦っる・・・・つかーーーっ・・・の・・・間っ!!の海っ!!に霧っ!!!深しーーーーー! 身捨っ!つっるっ!・・・ほど・・・の祖国はぁっ!ありやーーーー」


既に何の短歌だか判らない。



矢張り対話形式である。対話していなくても良いんだけども、恐らく人間ってのは相手の『喘ぎ声』に矢鱈と反応する生物で、エロスとはそう言うモノなのかもしれない。


安アパートに住んでいる為、時折、近隣のアパートの住民の『睦言』を聞くことがある。大抵は学生さんである。
聞いていると何だか『昔のAV』みたいな声が多い。

「んんーっ!」

とか

「あっ!あっ!あっ!」

とか。


友人は以前、交際していた恋人が「あ」ではなく「お」で喘ぐ女性で、其れが嫌で判れた事がある、と言っていた。
話を聴くと途中までは普通に「んっ!んっ!」とか「あっ!」とかなんだが、興が乗ると

「おーー!!!おおーーー!うおーーー!おーーー!おぉぉぉぉーーー!」

だったそうで。

「醒めるんっすよ。之がまた・・・」

とマクドナルドのコーヒーを啜りながらシミジミと言っていた。

エロスの道は千里の道だ。

『悲しいか?人生は悲しい事ばかりだ』by清水大敬(AV監督)

夏目漱石のボーイズ・ラブ

友人と電話で話していて『BL系』の話になった。 




バンドメンバーが『BL系漫画』を貸してくれて、その内容に「げげ!」と思っていたのだが友人によると『BL漫画』だけではなく『BL小説』もあるらしい。どんなモノなのか全く検討がつかない。 

私がバンドメンバーから借りた『よしながふみ』の『1限めはやるきの民法』2冊と憶測だけでモノは試しに『BL系小説』を書いてみようと思う。 
只、書くだけでは面白くないので『夏目漱石』風に書いてみよう。 






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吾輩はホモである。タチではまだ無い。 
どこで目覚めたかとトンと検討がつかぬ。 
何でも薄暗いジメジメした所で1人、『男色系雑誌』を眺めながらオナニーをしていた事はは記憶して居る。吾輩は此処で始めて『BL』といふものを見た。

然もあとで聞くとそれは『ガチホモ』といふ人間の中で一番獰猛な種族であつたそうだ。
此ガチホモと言うのは時々「やらないか・・・?」と我々を捕へてトイレでケツの穴を掘る捲くるという話である。 


然し其の時は何と言う考えもなかつたから別段恐しいとも思はなかつた。只、彼の手に一物を掴まれてスーと擦られた時何だかフハフハした感じが有つた許りである。 



其の後、苦学の末、上智大学神学の教授となったのだが実際に教授となってみると日々の生活はおろか仕事も忙し事この上ない。2丁目の輩のように過せないのが苦しい限りである。 


さういう理由もあり我輩の相手は我家に居候する書生の小林秀雄君である。 
年齢的にも私の方が上であるから日々の営みは私が小林君に挿入する側であったが、同じ身体構造でもあるにも拘らず毎回、同じ立場を取るのは帝国主義的である気もするので数日前からケツマンコの開発を行い私が「猫」である。 

「なるほど。なるほど。之は之で愉快でも或る」 

と思っている処で小林君が奇声を発した。 

「ぬっふぅ!」 

私の上で果てていた。 

「先生、すみません・・・。今日は我慢がきかなくて・・・」 

小林君は項垂れているが何分、初めてのタチでもあるから責める道理はないだろう。 

「構わない。私も良い経験になった。其れよりも我輩のも咥えてもらおう。其れは全て口に含んでくれたまえ」 

「は・・・はい」 

「ん・・・!」 


身体が一気に硬直し、其の後、力が抜ける。 

数日前から雨続きで蒸し暑くて仕方がない。 

ベランダに植えている花壇が目に映った。薔薇が雨に打たれ萎れていた。 




夏も盛りとなり愚妻は郷里の青森へと一旦、帰郷した。私は学会に提出する論文の手直しが大幅に遅れていた為、今年は同伴できない事を告げ書斎に篭った。 


一頻、論文を書き終え床に就く。 


襖があき小林君が尋ねてくる。 


「先生、眠っていないのでしょう。中に入れて貰えますでしょうか・・・」 

「うむ」 


何時もの事であるが行為が始る。 


「先生、好きです」 

「うむ」 

「先生、好きなんです」 

「うむ」 

「先生、聞いていますか?」 


小林君は神学部でテンプル騎士団についての推敲や歴史については私も一目を置く学生ではあるが些かシツコイ処があり、私も辟易する事も或る。 


「君、少し黙りたまえ。学生の身分で分を弁えたまえ!穴は広がっているのだから直ぐさま挿入したまえ!」 


行為が終わった後、小林君は少し落ち込んでいた。だが教育者としての立場上、弟子に厳しい事を言わざるを得ない事も或る。教師と言うモノは詰まらん職業だ。 


外で子供の声が聞こえる。玄関に立って見ると近所の子供が線香花火をやっている最中だった。 






夏の盛りも過ぎ、仕事も落ち着き始めた。愚妻が婦人会にて旅行に行っているので食事は外食し蕎麦を食す。 

夜になり小林君が尋ねてきた。 


「あっ・・・」 

「好きです。先生」 

「んっ・・・」 

「っはぁ・・・」 

「先生・・・」 

「あ・・あっ」 

「回答は求めません。しかし言わせて下さい」 

「何をだね?」 

「愛しているよ。漱石」 



普段、教授職であり寧ろ『堅物』の異名をとる私ではあるが、之には参った。些か恥じらいを感じる。 


「先生、勃っております」 

「はぁ・・・っ!」 

「とても勃っています」 

「はぁっ・・・はぁっ・・・はぁっ・・・」 

「先っぽも濡れているのでしょうか?」 

「私にも羞恥心と言うものがるのが判らないかね!」 

「愛らしいです。私よりも先生の方が乙女ではありませぬか」 

「君の発言を許可した覚えは無い!此の世の何処に勃起し、尿道球腺液を出す乙女がいると言うのだね?」 



疲労した身体を横にし小林君に伝える事がある事を思い出した。 


「どうして私が嫌悪する人物の肉棒を陰毛が歯に挟まる程、口に含んだり、あまつさえ精液を飲んでやらなくてはならないのかね。他の人達がどうだかは統計をとっていないので私は知らないが、之でも私はカトリック信者だ。出来る事ではない」 

「先生!・・・それって・・・」 

「判ったであろう。学は成り難し。二度教える事ではない」 



小林君が部屋から出て行き床につく頃。 


1人、庭にて三日月を眺めていた。向日葵は萎れていたが様子を見ると鳥が種を啄ばんでいるらしい。 

月が雲に隠れる頃。 
私はアヌスに『ボラギノール』を塗り床についた。部屋の改築の際に『ウォッシュレット』にしておいて良かった、と悦に浸るのであった。 






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