2014年3月23日日曜日

ムーミン谷のKO.DO.NA

デンマークに行く前に変圧器を買わなくてはならない。





何故、日本は100Vで50Hzなのか?他の国を見ていても韓国も200V以上だし、NYは120V。
お陰で糞重たい変圧器を購入しなくてはならない。


韓国に行った際に変圧器は買ったのだが結構、重たいので確かゲストハウスに置いて帰ったのである(ハンジュ、ゴメン)。その時は既に体調は可也、酷くて39度位あったんだろうけども、海外で演奏する機会が直ぐには来ないだろう、と思っていたのである。

ところが1年後にコペンハーゲンだ。


TOMMY氏からは「変圧器を用意するよ」と言われたのだが「変圧器くらい、此方で用意するよ」と答えたのだが、考えてみると『変圧器』はソウルで痛感したのだが現地で用意した方が良い。
そもそも国内では動作チェックが出来ない。

実際、ソウルで最初のライブでは変圧器はOKだったがプラグが合わず、急遽、用意して貰った(yukieさん有難う)。

旅行ガイドブックには乗ってないのだが韓国で使える変圧器は日本では『売ってない』のである。


プラグが国内だと少し細くて、韓国で使うとショートを起こしてしまう。お陰でライブ会場で何度も停電を起こしてしまったほど。

韓国で使える変圧器は韓国にしか売ってない。




『地球の歩き方』


を参考にしたのだが



書けよ!糞どもめ!思えば同書を片手にNYに行った時も全くの嘘八百でウンザリした。



ホテルやナンヤカンヤで使うのは安い奴を使えば良いと思うのだがライブだとエフェクター9台なので若干、不安ではある。矢張りお願いするしかないだろう。
大体、国内で買うと高くつく。


あとは物価だ。


デンマークは物価が高い事で知られているがNYに比べれば、まぁ安い方なのかも。。。と思ったりも。



しかし、最も心配しているのは


『身長差』


である。友人のイギリス人『デイブ氏』に聴いた。彼は身長185cm以上あるのだが、其れでもイギリスではデカい方。
で、デンマークには行った事があるが「僕と同じ位の人ばかりだった」と言う。

デイブとは『KO.DO.NA&デイブ』で何度かライブをやっているのだが、一緒にライブを観ているときに盛り上がって彼は私の肩を抱こうとしながらも結果的に身長差により私の


頭をなでる


と言う事になってしまう。「俺は小人じゃねー!」と思うのだが。私は160cmなので彼との身長差は多分、30cmほど。だが聴いた時は「余り正確に測ってないから」と言っていたので190cmはあると思う。


しかし、何人かに聞いたのだが「デンマーク人はデカイ」である。デザイン集団『生意気』のデビットに聞くと


「デカイ!兎に角、デカイ。そのデカイ奴等がデカイ自転車に乗って猛スピードで走っている。自転車道に足を踏み入れたらデカい人物に怒鳴られる。其処は気をつけて」


らしい。要注意!なんだとか。



身長差・・・



思えばデイブと一緒に時折、思い出したかのようにやっている『KO.DO.NA&DAVE』も見た人曰く

「凄い身長差のユニットだね」

と言われた。DAVEもデカイ。SDLXで盛り上がって、DAVEは私の肩を組もうとしたのだと思うが、身長差で『頭』になってしまい、何度か頭を撫でられた。


俺は猫か!!!



しかし『巨人の国』と言われているデンマーク。多分、こんな感じなんだろう。















これは恐ろしい・・・。


多分、コペンハーゲンに行ったら空港で

「Hi,Boy」

と言われるのである。

「NO!I dont Boy! I am man!」

と言っても

「hahahahah!.nice joke!」

で、パスポートを見せて漸く

「え?マジで?マジで?36歳?」


とか言われるのだ。入国からして屈辱だ。



で、デンマークの喫茶店に入るのだが何しろ巨人の国だ。だから私なんて椅子に座る、と言うよりは

『椅子によじ登る』

と言う状態になるに違いない。で、椅子に座っても机の上は見えないので立ち上がるしかない。

ホテルのベットは「え?キングサイズ?」と思ったらシングルである。


で、歯を磨こうと思ったらバスに『風呂用のブラシ』がある。

「何だよ。風呂は客が綺麗にしろ、ってか?」

と思ったら



『歯ブラシ』


なんである。実際に証拠画像を先ほど見つけた。

(日本の歯ブラシとデンマークの歯ブラシ)


(デンマークのスーパーで売っているネギ)





な!デンマーク人は歯もデカけりゃ、ネギもデカイ!


で、ライブを行う。

で、受けたとする。そしたら赤ん坊に「高い、たかーい」をするかのように抱きかかえられてしまうのである。

嫌だなぁ。


で、何故かライブ会場に小学生がいたりする。

「How Youre old?」

「I am 10years old!」

と10歳の少年なのだが私と同じ位の身長、または私よりもデカい。

「How youre old?」

私が聞かれる番だ。

「i am 36years old」

「WoW!really?Why is it so small?」(凄い!まじで?何でこんなに小さいの?)

「・・・hahahahah」

「Are you a dwarf?」(貴方は妖精=小人ですか?)

「・・・yes.I am  dwarf・・・」

「Is Japan a country of the dwarfs?」(日本は小人の国なの?)

「Yes・・・Japanese People many dwarfs.Therefore like animated cartoons.」(日本人は皆、妖精です。だからアニメが好きなのです)

「WoW!I am like a fairy tale! Emotion!」(お伽話みたいだ!感激!)

「hahaahaha,,,,(涙)」

「Are you Mumin?」(貴方はムーミンですか?)

「Yes・・・」

「Where is Moomin Valley?」(ムーミン谷は何処にあるのですか?)

「Moomin Valley is japan suginami-ku!」



こんな会話が成立ってしまうのである。10歳と36歳が!


仕舞いには


「Have you met Snow White?」(白雪姫に会ったことはありますか?)

とか聞かれてしまう。だが私もリップ・サービスで

「OFF COURSE! She is Very Beautiful!」

とか答えてしまうのである。




冗談じゃない!




何で俺が白雪姫に会わなくちゃならないんだ!ってか俺は妖精でもムーミンでもねー!



大丈夫なんだろうか・・・。と言うかこんな心配をするよりもSDLXの事もやらなくてはならない・・(涙)。

ウンザリだ・・・

2014年3月13日木曜日

千葉県のベートーヴェン

4日前



友人宅で食事をしていて、初めて『千葉県柏市通り魔事件』についてTVで知った。私の家にはTVがないので時勢に疎くなってしまう。


 殺されちゃった人には申し訳ないが、此れほど面白い殺人者がいるだろうか?と笑い転げた。だって、捕まった際に記者団に叫ぶ事って

「俺は無実だ!」

とか

「ボディーは透明なんじゃ!」

と、伝統芸があるのに彼は

「ヤフーチャット万歳!」

なんである。スカイプやLINE、FACEBOOK、ツイッター、MIXI、アメーバではなく



『YAHOO!チャット』



と言うマヌケさ。そして誰もが思い出しただろう。インターネットを開通させた頃、皆、検索サイトは『YAHOO!』であり、思えばマヌケなサイトだったのに、それで狂喜乱舞していた頃を!


しかし、未だに乳幼児の死亡原因が『チフス』『日本脳炎』であり、ペストが4年に一度、大流行し多くの千葉県民は死亡。
千葉県のピーナッツ畑で働く人の年収は日本円で3万円。ネギ畑も同じ位。
文盲率が国内ダントツで、日本で唯一『割礼』の習慣がある『千葉県』らしいネットの使い方だと思ったし、


『千葉県民が通り魔』


ってのも良い。長らく続いた『殺人者レジェンド』に終止符を打ち、新たな風潮を生み出したエポックメイキングな事件と言っても差し支えないだろう。



何しろ千葉県民は酷い。


成田空港もあり、ディズニーランドもあるから東京文化圏なのに、何であんなに酷いんだ?と言う気が。

埼玉県も酷いもんだが、埼玉県の酷さは

1:女性の胸が小さい
2:ヤリマンが多い
3:メンヘラが多い
4:ブサイクが多い(男女とも)
5:池袋の領土権を主張する図々しさ
6:池袋を「合併しちゃえば良いべ」と言う意味不明さ
7:私の歴代の恋人になる程の人生設計の無謀さと出鱈目さ


だが、千葉県は『据え膳食わぬは』の私でも嫌だもんなぁ。そう言えばオウム真理教の長女が千葉県のコンビニで万引きして、捕まった際に

「無礼者!私は木更津の女王だぞ!」

と怒鳴ったらしいのだが、千葉県と言う土地には人を「マヌケ」な方向に走らせる何かがあるんだと思う。


で、犯人の名前が

『竹井聖寿』

と言うキラキラ感も渋澤達彦ファンである人であれば心躍る名前である。もう、『ジル・ドレ伯爵』とか、やっぱ名前には『伯爵』とか『男爵』とか、ある種の

『中二感』

が欲しいもんだ。


で、竹井聖寿氏は警察に

「通り魔を行った後、バスジャックをし、空港に乗りつけ、ハイジャックをし、スカイツリーに激突させ、社会に一撃を加えたい」

と言っていたんだとか。この下りで私の脳裏に浮かんだのは此れである。





巨匠『成田あきら』氏がセックスをする際は出所不明な妄想を言われるらしいが

「オマエを奴隷にして」

「温泉に連れて行って」

「男たちの前で露出させ」

「スキンを配り」

「輪姦させてやる!」


1ピストン毎に言うらしい。何と言うか意味不明な『足し算的発想』って良いよな、と思う。


そう言えば千葉県と言えば『ネギ』である。


ネギと言えば風邪を引いたら『ネギ』だ。確か熱が出たときに『アナルにネギを入れる』と熱が下がるらしい。大昔の『探偵ナイトスクープ』で立証されていた(しかも、被験者は漫才師とは言え女性だった)。
喉を痛めたらネギを首に巻く、とか。

だが、千葉県と言えば放射能濃度が高い街でもある。


だから風邪で千葉県産のネギを使っちゃうと風邪完治どころじゃなくて一気に白血病とか癌とか、最悪、ドロドロに溶けちゃうんだよな~と思う。


溶けたかぁないねぇ・・・。



で、TVでは竹井聖寿氏が一人でカラオケで『尾崎豊』を熱唱している動画まで流れる。犯罪者となると、こんな恥ずかしい動画も全国で流されるのか、と思うと殺されちゃった人には申し訳ないが、『恥』の為なら死ぬ民族として「こんだけ恥をさらしたんだから無罪で良いじゃん?」とすら思うが、そうも行かないんだろうなぁと思う。

遠隔操作ウィルスの『ゆうちゃん』は保釈金1千万円を親に支払ってもらって刑務所から出てきたが(猫好きとしては嬉しいニュースだ)、竹井聖寿氏の実家は地元民相手の細々とした不動産屋らしい。

保釈金は出ないんだろうなぁ。




あとは『佐村河内守氏』だろうか。

漸く記者会見を開いたが、可也、落胆させられた。私は絶対に彼の口から

「私は既婚者でありながら、異性愛者でもあります。18年間、妻を騙し続けた事と謝罪します」

と言うと思っていた。


記者:新垣氏との関係は?

佐:愛し合っておりました。

記者:其れは音楽的にですか?

佐:身体的にも精神的にも、です。



とか。だって新垣氏の

「彼(佐村河内氏)の申し出は一種の息抜きでした。」

「うれしかった気持ちがあったことは否めません」

「彼の情熱と私の情熱が、共感しあえたときはあったと思っています」

「絶対服従を前提に徐々に従いがたい要求を出されるようになり」

「佐村河内さんの「共犯者」です。」

「彼に対して「こんなことはやめよう」と言いました。しかし、彼は聞き入れてくれませんでした。」

「あなたが曲を書かないと、私は自殺する」と言いました。」

「彼と会話するときには、彼と私の2人だけで」

「私も口外するべきではない」

「二人だけの秘密でした」




二人だけの秘密でした・・・でした・・・でした・・・秘密・・・でした・・・・



思わずエコーが掛かる『カミングアウト』である。


其れに対して『服従を強いた』と言う『タチ』の佐村河内守は完全否定。全く面白くない。だが、リミックスは出来る。


「これは2人だけの秘密で行われてきた、18年間のものです。私が詳細な設計図を書き、それを新垣氏が音にしていくというものでした。私が疑問に思うのは、なぜあれほど新垣さんは師匠である三善晃先生にバレることを恐れていたにも関わらず」


そうか・・・三善晃氏は同性愛に理解がなかったのか。日本の現代音楽のドンであり『電波ゆんゆ校歌』を作曲した、あの三善氏と言えども音楽に関しては不協和音は許せても、異性愛は許せなかった。

因みに新垣氏の師匠の最大のヒットソングは此れである。



ネットユーザーならば誰も知っている歌。

で、絶対的な服従を強いていた佐村氏

「彼は何の問題もなくそこに訪れ、私が言葉は汚いですが新垣氏に身体中にキスをするんですね。このくらいでと。すると必ず彼は最初は間違いなく首を横に振ります。次に私が彼の陰茎を口に含むと、おそらく渋い顔して「うーん」とやります。その後に私が両足を、こう・・・開きますよね。肛門が見えるように。すると彼は笑顔で「いいですよ」と。
これがこの18年の真実です。本当に心からこんなことはもう辞めたいと思った人の発言でしょうか?」

とか。


「やっぱり、いつかバレるんじゃないかという気持ちはすごくあって……。」

「質問者:ご自身の思うところで、今このタイミングで暴露されてしまったという、思い当たるところはないということですか?

佐:ありますが……。ちょっと今は避けようと思います。」

おお!「今は避けようと思います」って処がお茶の間を意識した性的マイノリティとしての自覚である!

「このように私自身もですね、大きくなるなんて、彼は全く信じてなかったみたいで」

この発言はちょっとガチホモっぽいな。

しかし、やっぱ此処だろうな。

「私が自分から話すことのほうが多くて、彼は、言葉は悪いですけどイエスマンだったので、ほとんど「ここをこうしてこうして、こうしてほしいんだよ」と言ってみても、「あーん」って言ってみたり」




アーンって言ってみたり・・・アーンって・・・アーンって・・・アぁーン・・・アァぁーン!・・・





あの記者会見を聞いても未だにBLとホモ漫画を最近は研究している私としては

「二人は絶対にデキている!」

と言う思わざるをえないのである。だって、これ、ガチホモじゃなかったら何なんだ?



でも、この部分は音楽屋としては良いな、と思った。

「なぜ交響曲を身銭を払ってまで作らなければならなかったかという疑問が多いかと思いますけれども、
これはあの、非常に語弊があって申し上げにくいんですが、
私は子供のころから音楽が大好きで、クラシック音楽も特に好んで聞いておりました。
そのなかで、日本で言えば70年間に渡る現代音楽というものに対して、私自身は肯定的ではありませんで、
昔の『調整音楽』というものの復権が、いちファンとして、そういう尖兵が現れて時代が変わればいいなあというような希望を持っておりましたけれども、
それを、やり方は間違っておりましたが、新垣さんというゴーストライターを使って。当然この70年間続いたアカデミズムの伝統ですから、
絶対に生きているうちにはこの長大な音楽、交響曲は演奏されないと思っておりました。」

「調性音楽にとってはせっかくの希望の光が、調性音楽を愛してらっしゃる方の、新曲を聞きたいという方々の気持ちが萎えてしまったり、この先、この偽物の佐村河内のあとに続くっていう人たちの気持ちが萎えてしまう、なくなってしまうということは、とても残念なことだと思っています。」

この辺は本音と言う気がする。


佐村河内守氏は元々、ロック畑の人らしいがロック系の人の


『現代音楽への憧憬と憎悪』


は実はハンパじゃない。言ってしまえばノイズ・ミュージックもフリージャズも『アカデミックな現代音楽へのカウンター』なんだもの。

しかし、ロック系の人はどうしても『楽器』や『編成』に縛られがち。メンバーとの熱い絆、とかギターテクニックとか。どうしてもエレキギターの歴史が『ロック・ギター』と言うニッチな使われ方がメインだったから仕方ないんだが(初期はハワイアンやジャズで使われていたのだが、ジミ・ヘンドリックが決定打)。


だから、『オーケストラへの憧れ』『調性音楽の復権』ってのは本音だったんだろうな、って言うか。



しかし、記者達が「ペテン師!」と叫んでいるが、そもそも日本の芸事界隈は全て『ペテン』で成立っているワケで。



因みに私は佐村河内守氏のCDも曲も聴いた事がない。
私は調性音楽よりも非調性音楽の方が好きだし、佐村河内守氏が言う「調性音楽の復権」って現代音楽が本当に「現代音楽」だった頃(60年代)にヨーロッパ辺りで散々やられていた。

もっと言えば調性音楽の最終形態って『へヴィメタル』だと思うんだよな。あの人がどんなロックバンドをやっていたか知らないが、メタルギターは、ヴァン・ヘレンがそうであるように、その究極なんだよね。



さて、明日も仕事か。


死にたい。俺も千葉県の通り魔に刺されたいよ・・・。

2014年3月12日水曜日

311に

昨日、ネット料金をうっかり未納で止められてしまったので今日、投稿。書いたのは昨日。


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311から3年間。




私は、あの日、死ぬんだと思った。

自分がやっている音楽の完成も、人生も見ずに死ぬんだと思った。

環八を装甲車が走り、東へ向かう軍用ヘリコプター。

軍都育ちの私にすれば自衛隊は『助けてくれる人々』ではなく矢張り『軍』であり、国内最大の暴力装置である。
軍が動いている、と言うだけでも怖かった。


何もかもが怖かった。


私が幾ら怯えようと、原発は爆発し続けているし成す術もなかった。


3年間。


色々な事があった。

漸く就職した介護施設もクビになったし(震災ノイローゼで)、また仕事を転々。

メンヘラ女性に脅迫文を会社に送られたり、色々。

初めて自主的に政治運動に参加。ジャ●ノイズと、その周辺と揉めたり。

初めて国外でライブをやったり・・・。

疲れ果てて、高知県の山岳地帯で隠居生活を送ったり、猫達に癒されたり。



震災・原発、と無関係な土地に住みたいな、と思った。NYか高知県か。
どちらかに住みたいと思った。

だけども、NYの医療保険の事もあったし、高知県での音楽活動にし難さもあったけども、抜本的には

『汚染地帯で生きるべきだ』

と思った。

『死が近いなら、死ぬまで音楽を続けよう』

って。




先ほど水を呑んだ。空気を吸い、水を飲み、タバコを燻らし、飯を食う。

それだけで私の身体は汚染され続ける。

東京の汚染っぷりは無視されるけども、良い按配で汚染されている事は周知だ。



実は髪の毛は311以降、結構、抜けた
明らかに、って言う位に。

2011年、私の目は真っ赤に腫れ上がりコンタクトレンズを付ける事が困難だった。
唇は荒れ捲くりTPが一時的に吹けなかった。
毎日、鼻血が出た。
間接が痛くなった。

蚊が少なくなった。

毎年、遭遇していたゴキブリも姿を消した。

実はゴキブリは「核戦争後の世界ではゴキブリしか生きられないだろう」と言われているが、実はゴキブリって汚染には強いが『放射能』には矢鱈と弱く、核戦争後とかそう言う世界では絶滅してしまうらしい。


あの日、全てが終ったんだと思う。本当に何もかもが終ったんだと思う。

終戦みたいなもんだ。

私は年齢的に終戦を知らない。だが当時、介護をしていた老人は

「終戦って実は大したモンじゃなかったんだよな。俺は出張で空襲は免れたんだけど、戻ってきたら意外と建物とか残ってんだよ。コンクリートの建物は全部ね。木造は燃えちゃったけどさ。でも、震災は何もかもだろ?原発で放射能だしな。比べモンにならんよ」

終わりなんだ、と痛感した。




終ってしまった事を皆、知らないフリをして生きている。
そうしないと此れまでやってきた事が全て無駄になるんじゃないか?って言う不安だと思うのだけども。


しかし


何度も言うが終ったんだ。だから、新しく作り直さなくちゃならないんだ、と思う。

何もかも。


国が傾くと右翼化する、と言う現象は世界中、変わらない。貧困が原因の一つだが『国が傾く』と言うか。

「この国は最早、此れまで」

と言うか。

今の『ネット保守』の子達が過激になり始めたのは311以降って気がする。

単に脱原発運動が盛り上がっているから彼等も、って言うカウンターではなく、実は『ネット保守』の子達の活動の方が本能的で、正直なんじゃないか?と思う。

儲け話を必死になって探している脱原発運動家よりも、『ネット保守』の子達の必死な眼差しは、ある意味、象徴的な気がする。

もしも私が写真家であれば、または絵描きであれば彼等を撮影するだろうし、描くだろう。

国が終る。

その時の反応を最も激しく、正直に示しているのは彼等・彼女達だから。

勿論、キモいけども、日本人は元々、キモい。



日本人の平均寿命は延び続けている。
だけども、2011年から一気に止まるだろう。

遠くの死が近くに来た、と言うか。

元々、東京なんて『死』と紙一重の街だ。日常的に死体が転がっている。

今日、すれ違った人が5分後には死んでいる。



その日はとても暑かった。派遣登録の為、スーツ姿だったのだがシャツも汗ばむ。とても疲れていた。

JR西荻窪駅で列車を待っていた。
運悪くJR立川駅で人身事故の為、既に30分も遅れていた。

ウンザリしてパイプに火を付けた。ホームは禁煙だが、この際、関係あるか!と思った。苛々していた。

30分を過ぎても列車は来ない。

パイプの火も消えかけた頃に話しかけられた。

「良い香りですね。逸れはタバコ?」

見ず知らずの中年男性だった。注意されるのかと思い

「あ、すみません。電車は来ないし苛々しちゃってタバコでも吸ってないと」

「良い香りだね。私も前まで一日2箱吸ってたんだけどね。昨年、禁煙させられちゃってね。喫煙セラピーとかでさ」

「喫煙者は肩身が狭いですからね」

「しかし、健康の為にってだけどさ。何れ死ぬのに何が健康って・・・なぁ?」

「はっはっは」


話していると漸く電車が来た。

「煙管とか良いのかもね」

「あれは美味しいですよ」

「何れ試してみるよ。じゃあね。有難う。良い香りだったよ」

すると静かに線路に降りた。


そして電車は更に1時間以上、遅れる事になった。

ウンザリして、その日、5本目になる『ジョージア・エメラルドブレンド:微糖』を飲んでいると、ベンチで座っていた学生が

「また人身かよ・・・勘弁して欲しいよ」

と言っていた。






震災から3年。


「俺は死ぬんだ」

と思った。だけども、まだ生きている。



毎年、憂鬱な一日だ。『あの日』を嫌でも思い出すし、『あの日』に感じた恐怖は未だに消えない。
多分、一生、消えないと思う。

今日は病院の日だった。処方箋を受け取る薬局でTVで『福島県の今』
みたいな番組をやっていた。

子供が体内に放射能がどれだけ溜まってるか?ってな診察(機械の中に入って検査)を受けている。

物凄く異常な光景で、物凄く恐ろしい光景だった。之が数年ではなく数十年、数百年、数千年と続くのかと思った。






だけども、親友の子供が3月8日に産まれた。

とても嬉しい。

子は宝。

彼の子供の為に何か残さなきゃならないんだと思う。


思う、じゃなくて『~ねばならない』だ。


落ち込むんじゃなくて、頑張らなきゃね・・・と思う。

荷は重たいが仕方がない。



其れと何時も生意気な事を言う私を許してくれている皆様。

本当に有難う御座います。

私は皆様と死ぬまで生きていたいと思います。

今後とも宜しくお願いします。