2019年5月12日日曜日

ロバート・ジョンソン/Robert Johnson

数日前、Netflixで『ロバート・ジョンソン』と言うドキュメンタリーを観た。





このドキュメンタリー会社の作品は常に駄作なんだが、まぁ此れも駄作だった。
新事実が!とかは皆無。
9割はwikiに記載されている事である。



1911年産まれなので、生きていたら108歳。
長寿志向の現代であれば生存していても不思議ではないし、1911年って明治時代後期であり、死亡は1930年代なので都市部ではスウィング・ジャズの時代であり、ブルースと言うのは『会津磐梯山』とか、黒田節みたいなモンで『田舎の音楽』だったのかもなぁと思う。



1911年産まれなので親族は生きている。そう言う親族のインタビューがあれば良かったのだが殆ど無い。


強いて言えば、ロバート・ジョンソンの『甥』と言うか親戚の子供に会いに行ったら、親族から
「お前は悪魔の音楽をやっているから会わせない!」
と言われて、「お子様へ・・・」とお金を渡した話だけ。



ロバート・ジョンソンの音楽が『悪魔の音楽』と呼ばれたのは(恐らくロバート・ジョンソンだけではなく、サンハウスやレッドベリー、ブラインド・レモンも同じように言われていたのではないか?と思うのだが)当時の黒人教会の問題だったらしい。


明治時代後期の話だから『昔』ではなく『現代』の人なのだが、教会としては酒場の音楽は悪魔の音楽だ!とカテゴリーしていたんだとか。
キリスト教の特徴なのだが、勧善懲悪的と言うか『悪魔か聖なるか』と言う二次元的である(イエス・キリストは多角的な人だっったが)。


あと、クロスロード伝説は勿論、嘘である。


短期間でギターが馬鹿テクになったのは短期間に良い師匠に出会って必死に練習したからである。




しかし『酒場の音楽』となっているが当時の酒場で、ロバート・ジョンソンで踊り狂っていたんだろうか?と言う疑問がある。
アコースティック・ギター1本で皆が踊れるのか?と言うか。



ダンス・ミュージック・・・と言うかダンスと言う衝動は暴力的な衝動である。
SEXとダンスは破壊、暴力衝動なワケで。
だからこそ、ダンス・ミュージックの歴史は低音部の歴史なワケで。
ロバート・ジョンソンは『アコースティック・ギター』であり、『コントラバス』とか『バンド編成』ではない。



踊る、と言うよりは『酒のツマミ』『酒場のBGM』であって、彼のギターで店がヒャッハー!となったとは正直、考えにくい。



因みに、ディキシーランド・ジャズ・・・と言うかJAZZトランペッターで歴史上、史上最強であり、同時に最強のダンス・マシンだった『ルイ・アームストロング』は1901年産まれなので、ロバート・ジョンソンが活動していた頃は、全盛期を過ぎようとしていた頃である(サッチモの全盛期は1920年代)。


サッチモの全盛期が1920年代で、サッチモの大先輩である『バディ・ボールデン』は1907年に死んでいる。



ロバート・ジョンソンとJAZZは交流は皆無だったと思うが、録音されたロバート・ジョンソンを聴いても「こりゃ、スゲぇ踊れる音楽だぜ!」とは思わない。


同時代の戦前ブルースを聴いた後にロバート・ジョンソンを聴き直すと、そのギターは


『洗練の極み』
『エレガント』


とすら思える。
自分とギターのコール・アンド・レスポンスは同時代の・・・と言うかブルースの御家芸だが、ロバート・ジョンソンのギターは、どう考えても音量を稼げるギターではない。
むしろ繊細に、緻密に作られる音である。
彼の死後に発展するBE・BAPに近いと言うか。ビル・エヴァンスみたいな。
ビル・エバンスやアート・テイタム(時代は違えど)もクソが付くほどファンキーだが、音は神経症のように繊細である。
心がザワザワするが、踊れる音楽ではない。
それはチャーリー・パーカーも同じで。
酒場を活動していた、と言うが音は内相的だ。歌詞はブルースだが、ギターは物凄く内向的な音である。



彼が旅をしていたのは「一箇所に留まれなかった」と本人の体質もあるんだろうけども、実は
『酒場で演奏するにはエレガント過ぎ、前衛的過ぎ』
と言う問題があったりして・・・と思ったりする。
要するに伝説と違って、意外と受けが悪かった、とか。



それと新事実ってワケじゃないんだけど、ロバート・ジョンソンが戦わなければならなかった相手は、白人とか差別ではなく、彼が所属している黒人社会や黒人コミニティだった、と言うのがパラドックスで悲しい。

ブルースが悪魔の音楽、と言うならばルネッサンス期に栄えたオペラも悪魔の音楽である。
音楽を色々と教えてくれる人が言っていたのだが

「人がねぇ。『はい、自由に歌ったりして良いよ!』となると、まずは『愚痴』と『恋愛』『SEX』なんだよ。だから、ルネッサンス期には『神が死んだ!マジ、悲しい!』と、自分の失恋を重ねて歌っちゃうワケ。そんなもんだよ」

らしい。確かに、そうだと思う。


ただ、当時の黒人教会は、愚痴やSEX、恋愛や失恋を激しく歌う音楽は悪魔の音楽である!
それで、『悪魔に魂を売った』と自称しているんだから間違いねえらしい。あの野郎は悪魔に魂を売ったから、あんなスゲぇギターが弾けるんだ。
だから、彼は悪魔なんだ。
と言うロジックだったんだろうか。

ただ、『伝説』と言うのは、特に音楽ジャンルに『伝説』は多いのだが、調べてみると意外と「はぁ?それって伝説でも何でもねぇーじゃん!」ってのが多い。

まぁ、ロバート・ジョンソンを伝説にしていた方が良い人達がいるんだろうけども。



ちなみに私はロバート・ジョンソン、好きです。







2019年5月3日金曜日

鬼太鼓座/鼓動

今日、TVを見ながら飯を食っていたら、スイスの女性が『鼓動』と言う太鼓グループに入って奮闘する・・・みたいな内容があって、ウンザリした。

『鬼太鼓座』『鼓動』って海外ではどう思われているんだろう?。
と言うか、国内でも
「あれぞ日本のTAIKO!」
「日本の伝統!」
と思っているんだろうか。

個人的に言えば鬼太鼓座とか鼓動の太鼓は小学生以下と言うか、下手の極みだと思う。

と言うか、何らかのテクニックがあったとしても、其れを発揮できないように叩いている。

あんな馬鹿げた集団は全盛期のオウム真理教とか、宮内庁とか天皇家くらいしか思い浮かばない。

鬼太鼓座にせよ、鼓動にせよ、彼等・彼女達にとって『太鼓』と言うのは太く、逞しい、筋肉で、脳味噌まで筋肉で出来た馬鹿達(掛け算で2の段すら怪しい奴等)が、力の限り、全身全霊で殴りつけるモノであって、リズムだとか音色等を考えているとは到底、思えない。

彼等・彼女達が作る音色や音列は20年前のシンセサイザーで十分、再現可能であり、電子楽器で再現可能な音を人力で行うなんて馬鹿げている。

PCMシンセサイザーで再現不可能だから人力でやるのであって、シーケンサーで作れるもんなぁ。あの連中の音は。







大体太鼓は確かに昔からある。

っつーか、構造が単純なので縄文土器の頃からある。

ただ、鼓動だとか鬼太鼓座のような大きな太鼓は『和太鼓』の歴史から考えれば

『つい、最近』
『このまえ』
『2〜3日前』
『あ、昨日ね』

だ。江戸時代の太鼓なんて米俵よりも小さい。ゴミ箱程度の大きさで、音色は『ドンドコドーン!』ではなく
「とんとっことーん」
と牧歌的。
リズム楽器と言うよりはコンガやボンゴのようなパーカッション楽器であって、迫力の低音と爆音ではない。

と言うか日本の楽器で『低音楽器』って殆ど無いんだよな。
太鼓は小さいし、能で使われる鼓は低音は出ない。
強いて言えば『寺の鐘』だけである。

寺の鐘も、京都辺りの古い寺の鐘はサイズは大きくない。

大昔の日本人にとっての『低音域』への捉え方はどうだったんだろうか。

嘗ての日本人は声が高い。

辞職した平成天皇の声は凄く高いのだが、大昔の日本人の声質は、あの爺さんみたいな声がデフォ。
新天皇なんて現代人としての声質だもんな(民間の血なのか)。

楽器が、その土地に住む人々の『声』に左右されるもんなんだろうか。
アラビア語を話す人々の声は、鳥の囀りの如く高いが、中近東の楽器には低音域の楽器もある。



TVでの『鼓動』を見て不思議で仕方がないのは、腹筋で身体を支えながら叩く、と言う意味不明な叩き方である。
あんな叩き方で、良い音が出るワケがないんだが

「根性」
「負けるな」
「もっと行け」

と言う意味不明な言葉で怒鳴られる。
どこのブラック企業だよ。




『鬼太鼓座』『鼓動』は元々は同じグループだが、その思想としては
「太鼓は農民の楽器だった。だから、当時の農民と同じように身体を鍛えなくてはならない」
らしい。
それでフルマラソンだとかジョギングが取り入れられてる(ボストンマラソン完走後に六尺褌だけで太鼓を叩きまくるとか)。


学生運動から発したグループの為か「農民の・・・」と言う響きに「革命・・・」みたいな浪漫を感じるんだろうか。



(これほど酷い音で太鼓を叩けるのは才能かも知れない。)


だったら、当時の農民と同じように30歳で死ね、と思うのだが。
頑張って遡って明治時代の農村で太鼓なんて年に一回の1〜3日間だけである。
だからこそ、ストリート・ミュージックになったワケで、マラソンだとか筋トレと農作業は全く違うし、昭和の後半までの農村で太鼓を年がら年中、叩ける余裕は無かった。
それに太鼓は高級楽器だったので、村々で合同を出資して買っていたワケで。

ヤマギシ会と同じで、学生運動に泣いた人達は『THE 農民!』『最後の百姓一揆』に憧れるんだろうか。
山本直樹の『レッド』読んで泣け。







『鼓動』はフリーメイソンかよ、って言う順位があり

『メンバー』
『準メンバー』
『研修生』

と言う編成で成り立っている。メンバーは神様みたいなモンか。
準メンバーは研修生を鍛えて、其処から給与を貰っているんだろうか。
研修生は2年間は合宿生活で

①携帯電話
②パソコン
③恋愛
④ラジオ

が禁止。
外部情報は地域の新聞だけ。外部へ連絡手段は寮に一つだけある固定電話だけ。



まぁ、規則を作っても皆、恋愛とかSEXはしているんだと思うけども。
劇団唐組に居た頃も、劇団内恋愛禁止だったのだが、やる事がないので皆、付き合っていたしなぁ。


そう言えば『津軽三味線』の高橋竹山ってのが居たが、津軽三味線は伝統芸能でも何でも無くて、高橋竹山が作ったので成立は1960年代であり、戦後だ。
で、津軽三味線に興味を抱いて「これぞ日本の文化っすよ!偉大なるアートは北から来るんっすよ!」と風雲の志を抱いた奴は、高橋竹山の弟子になるしかないのだが、弟子になる為には高橋竹山に150万円を支払わなければならない。
それで、高橋竹山が経営する居酒屋で数年間、無給で働いて云々、らしい。




何かが伝統になるか、否か?
と言うモノは、特に戦後は

「金になるか、否か?」

である。
皇族をdisるつもりはないが(私は皇室ウォッチャーでもあるから)、天皇家が明治時代から神格化され、それは未でも同じような状態なのは
「天皇家がカネになるか」
であり、誰かが何処かで利権をGET出来ているからである。


『鬼太鼓座』『鼓動』みたいなグループだけど、違うのは『芸能山城組』だろうか。
あれは「亜細亜の云々」ではなくて、主宰者の山城祥二が元々、LSDの研究者で、「脳味噌に良いモノwを・・・」を追求したらブルガリアン・ボイスとかケチャやガムランになった、と言うモノである。
だから、六尺褌の脳味噌まで筋肉で出来たクソ童貞達が、渾身の力で太鼓を叩けば芸になる、と言うのは『芸』のようで『芸』ではない。
『みんなの筋肉体操』
みたいなもんだモンだ。
芸能山城組で食っている人はいないが、太鼓グループは食える。


数年前。
郷里に帰省していた時に『小倉祇園太鼓』と言うお祭りに行った。
市役所のポスターには「20時まで」と記載があるのだが、実際には「20時から」
と言うか。深夜まで凄まじい演奏をする。
其処でビックリしたのは、小学生のグループとかもあるんだよな。
本来は女性と子供は御法度だったらが(元は飢饉や天災を避けるための呪術的イベントだったので)、少子高齢化により女性、子供も参加となった。
男性は力の限り叩きまくるのだが、小学生の女の子が叩く太鼓の方が音が響くのである。
「ドコンコンン!!!」
と言うノイバウンテン的な音とは対象的に
「コロンコロン」
と言うか。
腕力がないので、自然に力が抜けた音になるのだが、楽器って力づくでは音は出ない。
リラックスした、または非力な方が音は良い(脱力するために鍛える、と言うのはあるが)。


TVで何を勘違いしたのか『鼓動』でクソ太鼓を叩くスイス人女性を見ながらウンザリした。 
「なんで、こんなクソ太鼓を聴きながら飯を食わなきゃならんのだ・・・」
だが、鶏肉のネギ塩炒めは美味しかった。


2019年5月1日水曜日

令和崩御元年

と言う天皇が辞職したので元号が変わったらしい。



昭和崩御の頃、私は小学校6年生か5年生で、九州地方は雨が降っていた(北九州市は日本海側なので天候が荒れやすい)。

まだ春休みだったので暇になった。

テレビでは「昭和の記録」を延々とやっていて、退屈したので友人達と遊びに行ったのだが、街はシーン・・・としている。
思えば北九州市って軍都であり、日露戦争からWW2、空襲を生き延びた人が多かったので、自粛モードだったのかも知れない。


昭和天皇の人生を考えると、あのオッサンの人生って無茶苦茶なんだよな。
初SEXのブス女と結婚、って言うニートみたいな女関係だし(梅毒で死んだ大正天皇とは大違い)、226事件の時は自分一人で決起しようとするし、WW2で『御聖断』と言う、超違法を行っちゃうし。
時代なんだろうが、派手な人生だった、と言うか(奥さん、ブスだし、寝た女は一人だけ、と地味だが)

死んだ時も『中央自動車道切り通し爆破事件』と言う素晴らしいテロが起きている。
死んだ時に、東大の地下室で英霊達がバンザイをしていた、と言うオカルト話もあり「昭和のオッサンなら、ありえるな」と言うか。

アングラ演劇は昭和天皇wをdisれば良かったし、思えば戦後のサブカルは結構、楽と言うか青写真があったと言うか。

然し、平成天皇と言うオッサンの事を考えると

「つくづく、ババを引き続けた人」

と言う気がする。正直、平成と言う時代は昭和を遥かに凌ぐ『破壊に次ぐ破壊』だった、と言うか。
大体、31年程度だったのに、此れほど国土、国、国民が苦労したり、自殺したりした時代は神武天皇から数えても「初」だった・・・と言うか。

その破壊は終わってないから令和も『破壊から始めまーす!』である。

個人的に、元号がドウノコウノ、滑った転んだ、あーでもない&こーでもない、とは言いたくない。
どうも、COOLでもないし、元号を使った時間より西暦を使った時間の方が長いし。
私が皇族について憤慨している件は


『真子様が処女ではない』

『真子は小室と一発やっている』



と言う一点である。

誉れ高き皇紀2400年が、『県民』『平民』『市民』に処女を捧げるなんざぁ、靖国の英霊達が黙ってない。


大体、テメェの祖父の為に死んだ『ひめゆり学徒隊』なんて、皆、処女で死んでんだぞ?。

ついでに同盟国だったドイツの『アンネ・フランク』も処女だ!。

もう一つ、ついでに『マザー・テレサ』も処女で死亡!

敵国だったイギリスの『ナイチンゲール』も処女後悔!。

普通の神経なら『アンネの日記』を片手に、沖縄の『ひめゆりの塔』の前で割腹自殺するのが筋ってもんだ。





で、令和だが言語センスは悪くない、と思う。

天皇が時間を決める、と言う事じゃないか!と言うのをツイッターで見るのだが、実際に『天皇家』が権力を持っていた時代は応仁の乱と、壇ノ浦の戦いで終わっている。

明治時代に神輿になるまで、死ぬほど貧乏で、公務と言うか、その金がないから大名に借金の手紙を、ツイッターの如く書いていたらしいし(借金を返したのかは不明)。

大体、誰も元号なんて気にしてない。

そもそも、元号は明治時代になるまで天皇存命中に4回くらい変わっている時もある。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E5%8F%B7%E4%B8%80%E8%A6%A7_(%E6%97%A5%E6%9C%AC)?fbclid=IwAR3sBJ9IvWNxH0UxtBYwnE8zUQ_O2f4ZAawIenhiilZxnlt1sjbHkrGNpsE

理由は
「怪奇の為」
「地震の為」
「疫病」
「クーデター」
「天変地異」
「飢餓」
とかである。読むと、よく分からない理由で変更されている時もある。
そもそも、明治時代になるまで日本は州制度に近い国で、時間観念と言うのも今は間違いなく違ったワケで、一般的には盆暮れ正月、七五三に、田植えの季節だけだったかも知れないワケだしなぁ。

天皇なんて、中高齢のアイドルなワケだし(私の母は陛下が大好き)、どうでも良い気がする。

「令和になったら平均時給が1500円になる!」
「ノストラダムスの予言が当たる!」
「令和元年のみDAWソフトが90%OFF」

ってな事があれば「嗚呼、時代が変わるんだな」と思うが、明日も昨日も同じなワケで。

平成最後に食べたモノは『せい屋』のラーメンだった。

令和元年初日にやることはウサギのウンコを捨てる事である。