2017年8月24日木曜日

ナザレ地方のキリスト君

新約聖書を読むと色々と面白い。






純粋に信仰心で読むと堅苦しい書物なんだろうが、テキトーにダラダラと読んでいると面白い箇所が出てくる。

2週間前に飯を食いながら読みなおしてみると「あれ?」と言う箇所があった。



ナザレのキリストは布教中に何度も死者を蘇らせている。

①会堂長ヤイロの娘を生き返らせる(マルコ 5:21)
②ナインという町の門に近づくと、ある未亡人の一人息子が死んで棺が担ぎ出されるのを見る。イエスはこの母親を見て憐れに思い、「もう泣かなくてもよい」と告げ、棺に手を触れ、「若者よ、あなたに言う。起きなさい」と言うと死人が起き上がってものを言い始める。(ルカ 7:11)
③ベタニヤでイエスは涙を流しラザロを生き返らせる。 (ヨハネ 11:1)


この部分である。


キリストの活動の布教する際のテクニックとして、ある程度(桁外れの?)の医学的な知識があったかと思われる。

聖書では「触れただけで治る」みたいなモノがあるのだが、何しろ2000年以上前の書物なので実は医術が得意だったのではないか?と言う気もしてくる。

勿論、キリストと言う人物に不思議な力があった事は確かだろうが、ゲームの『チート・コード』みたいに「なんでもかんでも」と言うワケではないだろう。

それにキリスト教が難解でストイックさではハードコア過ぎる内容なのに庶民の支持を得たのは

『病気などの祈祷が無料』 

『効果てきめん!』 

の2点である。しかも、食事付き。

其の頃にも病気はあって、其れは祈祷師が彼是と呪文を唱えて治るのか、治らないのか。しかも、高額だった。
だが、キリストのコスパの良さは最強である。

何しろ無料だ。

中には香油で髪を洗った女性もいるけど、こいつはキリストのカノジョだからな。


じゃあ、その庶民達がその後もキリストを信仰していたか?っつーと、誰も信仰してない(キリスト教がヨーロッパで定着するのは11世紀〜13世紀頃)。

私の見解ではキリストの言葉や、性格、その能力や宗教的狭義を直系の弟子の中で唯一、理解し、信じていたのはユダだけだ。



12使徒達はキリストの命令で布教を「ソロ」で行う事もあり『奇跡』と言う名の医療知識を授けられたのではないか?と思う。

キリスト自身が持つ超能力みたいなモノを誰もが受け継げるワケではない。





『キリスト=医学者』

と言うのは日本で言えば戦国時代に活躍した錬金術師である『パラケルスス』が

『賢者の石』

を多用した、と言うが実はペニシリンだった説ってのがあってだ。ペニシリンと言うか『世界で初めて抗生物質』を使った、と言うのが大きい(医学も科学も錬金術の一種だ)。



だが、キリストの『最強無駄伝説』は『死体を蘇らせた』だろう。


何しろ、此れほど『無意味』で『意味が分からない』奇跡は此れしかねーんだわ!。

其のくせ、「なんで貧乏人ほど奇跡を見たがるのかねぇ。俺はマジシャンじゃねぇよ」とボヤいている。

だが、死体を(クソ暑い中東で死んだので4日目で腐って、死ぬほど臭くなっている死体)蘇らせる。


此れは可成り、重要な部分なんだよな。



此れは恐らくキリストと言う『人物』の『神への挑戦状』と言うか唯一の『反逆者』なんだよな。


何故なら人の死、破壊、もろもろは予め神が決めている事だからキリストに死者を蘇らせる権利はないのである。

生前のキリストは『神の使者』であったかも知れないが神ではない。聖書には

「私が来たのは聖書の教えを完璧にするため」

と聖書完全攻略のためである。だから、あくまでも『預言者』どまりで、もっと言えば『牧師』みたいなもんである。

キリスト教以外にも、当時は旧約聖書(ユダヤ教)をベースとした宗教はゴマンとあっただろう。その多くは宗教団体と言うよりもテロリスト・グループだった可能性が高い(熱心党のシモンが良い例)。
だから、キリストと言う人は「数多くのグループの一人」でしかなかった。


で、死者復活ですよ。


此れが何がヤバイか、って言うと『死者を蘇らせる』と言うのは神から選ばれた人だけの、神だけが持つ特権なんだよな。
だから庶民を蘇らせる、ってのは『神の特権』を勝手に行使した事になる。


新約聖書を読めばキリスト自身は「俺は神だ」とは一度も言ってない。ユダヤの王とも言ってない。ただ、「神に使わされた」としか言ってない。


じゃあ、なんでキリストが人を勝手に蘇らせたのか?って考えると、此れも面倒なんだけども、どう考えてもキリスト自身の「神への疑心」「神への反抗」としか考えられない。

理由としてはキリスト自身は『書物』『文字』を残していない。キリスト教が本来、言葉だけの宗教であるにも関わらず、だ。

キリストが『何かを書いた』事は聖書では一度しか無い。だが、誰も「キリストが何を書いていたか」を記述していない(文字が読めない弟子が多かった可能性が高いが。文字と数学が出来たのは弟子の中でユダだけ)。

キリストは「神から遣わされた」事を疑う事はなかったが、キリストは『神の名前』を教えてもらってない可能性が高い。

神の名前は旧約聖書に少しだけ出るが『聖四文字』と言う『ヤハウェ』『ヤーフェ』『ヤハヴェ』である。
この神の名前は旧約聖書にはモーゼだけが知っている。だから、モーゼは『神に呼びかける』事が可能だった。

しかし、キリストは「名前を知らないから呼びかける事」が不可能なのである。だからこそ、磔になる前に

「主よ!私を見捨てるのですか!」

と嘆くのだが(多分、罵倒に近いんだろうが)もしも、神の名前を正確に言えたのであれば磔でも「無痛」とか色々と出来たはずなんだが(磔の刑って当時の処刑方法としては、最大の苦痛と、その苦痛が長続きする事で最強最悪の刑だった)、やっぱり痛い。


だから、キリストと『神』って緊張感がある関係性と言うか、距離を置かれている、と言うか。

その緊張関係の中でキリスト自身は

「じゃあ、俺も神の真似事をやってみるか」 
「ほれ、俺でも出来るだろ?」 

と言うか。




キリストは布教活動をやり始めた頃・・・もっと言えば幼年期から自分がどう生きて、どう死ぬのか分かっていた。
だから、苦行中の悪魔の誘惑へも悠々と断ることが可能だったはずで。

神の名の下に死ぬこと、フルボッコにされる事は喜ばし事である、と言うのがキリストだが、その第一号が自分なのである。

遠藤周作の『沈黙~サイレンス』や坂口安吾の『イノチガケ-ヨワン・シローテの殉教ー』を読めば

『神の名による大々的な死』

が、布教においてどれだけ効果的か、または効果的だったか分かるが、キリストは第一号だから、其れがどうなるのか分からない。
しかも、磔の刑って言うロシアのKGBでも裸足で逃げ出す凄い処刑方法なのである(何しろ死ぬのに長くて1週間、早くて3~4日かかる。磔されると、まずは関節の脱臼って言う嫌なスタート)。


それが前提としての「わが神、わが神、どうして私を見捨てられたのですか!」なんだよな。


この言葉はキリストが盲目的に神を信じていたワケではない、と言う事を暗に示している。

『神への反逆者』

と言う事で言えば、キリストと言う人は『ヨブ記』における『ヨブ』自身とも言える。だが、ヨブと違ってキリストには生きているに『良い目』に合うことがないのである(2000年前の30歳が20代のカノジョが出来る、と言うリア充な時間はあるが)。

ヨブが神へ恨みつらみを言うように、キリストだって、そりゃ言いてぇさ。


恐らくキリストが「神」の存在を確信するのは其の直後だろうな。死ぬ直前に

「・・・終わった・・・」

と言うのだが、其の際に漸く自分が与えられた役目が終わる(神「おつかれーっす!」)事を知る、と言うか。



新約聖書は『聖人キリスト』ではなく、やはり『ナザレのキリスト』の物語なんだよな。


キリストは聖人君子でも、人一倍、強い人でもなくて、其のへんのオッサン(35歳)と変わらないんだよな。

2017年8月20日日曜日

地獄の東陽町

8月18日。



『エリザベスがやってきた!』

と言う公演の為に、東京最悪の土地である『東陽町』に行ってきた。



東陽町がどんな処か知らない人は多いだろう。大体、『用事があって行く』ような場所ではないし、もしも『用事がある』人の大半は刑務所に入った事がある、刑務所に入る予定、刑務所から出てきた人しかいないからだ。

何しろ大手町駅から、こんな列車に乗らなくてはならないのである。

(東陽町行きの東西線)





で、改札に行くと隣接する八丁堀や日本橋・・・つまり東京都と激しい交戦が続いているので駅などの主要地域は米軍が占領しているのだが、この有り様。

(東陽町駅:トニー・ベネット少佐)




改札に行くとアサトライフルを握った米軍がいるんだから普通は驚く。だが、私が嘗て、東陽町で働いていた時の駅長はこの人だった。

(元・東陽町駅長:高山悟/2014年殉死)




こんな人だから『キセル』なんてしようものなら、其の場で殺される。出勤していた頃はPASMOのタッチが弱くて「あれ?」となった途端に目の前で人が殺されていたので、改札を潜る時は用心しものである。
PASMOと、都内であるにも関わらずパスポートを提出しなきゃならないし、面倒なモノである。

だが、すぐさま殺されないだけ(米軍は優しい)マシなのかもしれない。


しかし、駅から一歩でも出ればこの光景。

(東陽町内乱により負傷した市民を救助する米兵)


(東陽町駅前)




(東陽町駅前のよくある風景)


(東陽町青年団の日常)


(鮫島試験場での風景)



殺伐としている。ってか、なんで東京都なのに黒人ばかりなんだ。未だに理由が分からない。

携帯電話の電波は入らない。入らない、と言うか『非常に入りにくい』と言うか。au、ソフトバンクは全滅。
docomoは何とか入る。だが、ドコモの電波を拾うにしても、こんな苦労をしているらしい。

(東陽町の携帯電話事情)







で、東陽町駅から車で3時間。此れが『東陽町』の『.kiten』である。

(東陽町『.kiten』)


写真で分かるように一階から4階までは自衛隊による絨毯爆撃で破壊されているので『マンションのリビング』とは言っても階段で最上階まで上がらなくてはならない。

エレベーターは5年前の空爆により、未だに動かない。




で、会場に到着したら『板垣あすか』と言う人がヒャラヒャラと喋っている。

で、尺八の音が聞こえるのだがスコット・ジョーダン。当日は琴ではなく尺八と三味線。

暫くしてエリザベスが登場。

妙にテンションが高い。


話によると、エリザベスはポール・ダンスのコンクールの審査員を務めるような人らしいのだが(あくまでも『らしい』である)彼氏がエリート・サラリーマンで、日本駐在員として4年契約で日本に滞在。
その彼氏を追いかけて時折、日本に来るんだとか。まだ2回目だが。

エリザベスは露出度が高い格好で来たが、facebookではこう言う感じなんだろうなぁ~と思っていた。



なんと言うかセクシーな女性、と言うか。


だが、現物は


「なんだよ?この『まな板』は」

と言うか。南米ペルー出身でNY在住なんだが、マヤ文明、インカ帝国の末裔が

『ベニヤ板』

『鉄板』

『まな板』

『ラップトップ型PC』

『ipad』

『垂直落下式』


と言う程、バストがない。


頭の中で『泳げ!たいやき君』の替え歌がリフレインする。


『無ぁい乳/無ぁい乳/ノーブラ、ぺったんこー♪』




で、月読彦さんがいるんだが(ハコのオーナーだしな)、実は一度だけ話したことがある。
『話したことがある』と言うより、突然、一方的に話しかけてきて「なんだ?このオヤジは」と思った覚えがある。


で、歯が大半、抜けている為か、言っている事が分からない。


「えーっと、彼がコドナ君。彼は喧嘩っぱやいから気をつけてね」

と受付の女性に冗談を言っていたのだが、

「ふぇーと、かえがコロナくー。かぇーはくぇんかっぷぁいかぁ、きーとぅけて」

とタガログ語にしか聞こえない。本当に、こんなふうにしか聞こえないのである。

月さんってフィリピンから来た人なのか?と思い

「え?」

「へぇあ、りょーらん」(いや、冗談)

「え?」

「へや、へや、りゅーらん」(いや、冗談、冗談)

「え?」

「やや、りょーらん、りゅーらん」

「え?」

「『かぇーはくぇんかっぷぁいかぁ、きーとぅけて』くぇゆぅんだんやけー、りゅーらん、りょーらんらけぇー」(えーっと、彼がコドナ君。彼は喧嘩っぱやいから気をつけてね、と言ったのだが冗談だから)

「え?!」


と何度も聞き返すので私は怖がられてしまった。(結局、意味はパーカッションのヒラさんが翻訳して伝えててくれた。ヒラさんはスパニッシュ音楽をやる人なのでスペイン語が話せるのだが、スペイン語に似ているのだろうか。)

まぁ、好まれても仕方がないが。



で、開演。

最終的に8人が来た。あの東陽町駅から来るのは可成り、大変だっただろうなぁと思う。
何しろ夜8時以降は厳戒令が未だに発令しており、不用意に出歩いていると米軍か自衛隊か東陽町住民に拷問の末、射殺される町なのだから。



だが、演奏は良かったかな。


アンビエント的になるかな、と思っていたんだが意外とノイジーな音作りになったと思う。

アコースティック楽器でノイズってのは良かった。





尺八と三味線がスコット・ジョーダンだったのだが、其れは別に良い。

本番中に、TPがあまり調子が出なくて(夏場は夏バテで調子が出にくい事)スコット・ジョーダンが尺八を加えているから、ソロを振るのだが、何故か尺八を加えたまま硬直している。

「おいおい、本番中に硬直してんじゃねーよ」

と思ったのだが、此れは私のミスで



スコット・ジョーダンって生粋の天然(丁寧な言い方)なんだよな!!!!


何しろfacebookに掲載している写真が此れである。


撫で肩の分際で、タンクトップ一枚!!!!


こんな格好、80年代NYのガチホモすらしねーだろ?。
田舎の貧民窟の末っ子か?


当日はジャケットを着ていたが、スキー・ジャンプ台のような撫で肩なのでダボダボになっていた。B−boyかよ、って言う有り様だった。

まぁ、彼の雅楽器へのアプローチ方法は言いたい事は沢山あるのだが、全体的に悪いモノではなかったから良いかな。




あ、そうそう。

.kitenの受付の女が突然、参加表明を出す。ってか、キモくて臭い月読彦さんが

「カノジョは詩を読むから参加させてくれませんか?」
(原文:ふぁのろふぁ、ひおやゆかぁ、すぁあんかえもいー?)

と言ってきて『突然の強引な売り込み』に流石に鶴さんも

「ええ?!」

とドン引き。ってか演奏組もドン引き。


だが、詩の朗読くらいなら・・・演奏のツマくらいには・・・邪魔にはならんだろうし・・・詩と言っても『俳句』とか『川柳』『和歌』かもしれないし・・・とOKになった。



『頭部がデカイ』

『ヒラメと同じくらいのバストサイズ』

『お腹ぽっこり』

『手足は全盛期のボブ・サップより太い』

『アングラ演劇に居そうなタイプ』



「あの、歌っても良いですか?」と言い始めた。はぁ?と言うか。


うた?うたってもいーですか?。


歌と言っても伴奏とか出来ねぇぞ。で、鶴山さんが「えーっと・・・(冷や汗)歌っても良いけど全体的に2割程度に押さえてください」と指示を出す。


で、本番中に詩を読み始めたのだが、アングラ演劇の1000000番煎じみたいな詩でさ。

「あなたが昨日、食べたモノはぁ!あなたの昨日の時間なのよぉ!あーはっははっはっは!」

とか。そんな詩と言うより『アングラ演劇のセリフ』をiphoneを読みながら言うんだよな。其れはねぇだろー、と思った。

で、歌は2割程度のしてくれ、と指示があったのに朗々と、高らかに、国歌斉唱をする自衛隊員のように歌い上げる。しかも、止まらない。
其れが法だと言わんばかりに歌いまくる。



で、終演。



鶴さんは

「1000円でフリードリンクで、フリーフード」

因みにフリー・フードはオーナーである月読彦氏の手料理らしい(事前情報)



最初に出てきたのがスパークリング・ワイン。


板垣あすかさんが「これ、ワインなんですって!美味しいですよねー!」と言っていたが、いやいや、フツーに不味い。

「なんだ?このションベンみてぇな液体は」

と思ったほどで。尿にアルコールを溶かしたものを出したのかと思った。
その後にビールが出てきたのだが、何処で仕入れたのか分からないクソ不味いビール。


フリーフードなのに『枝豆』。

「フリーフードが枝豆ねぇ・・・」

と言っていたら、今度は「これ、サラダですー」と言う。だが、見た目は

『生ゴミにマヨネーズをぶちまけました』と言う感じ。

同席した人に

「酷い見た目ですよね・・・。なんて言うかミシシッピとかニューオリンズの黒人料理とか、妙な地域の妙な村の、妙な郷土料理みたいな・・・」

「wwww。ってか、あれ、ドレッシングとマヨネーズが混ざってないですよねwっw」

と話す。食べたくなかった(食べた翌日に生存出来ている可能性が低そうだったの)ので放置していたら、カホンの人が「どーぞ、どーぞ」と持ってくる。

基本的にドラムとかパーカッションの人って「気遣いが良い人」が多い気がする。其れで「どーぞ、どーぞ」なんだろうが。


で、食べてみるとサラダとは名ばかりで、9割が『パスタ』である。何時からパスタが『サラダ』になったのか3時間くらい問い質したい衝動に駆られる。

頑張って食べて(味は不味いに決まってるだろ)、ギターの人と彼是と話していたら、今度は水餃子が出てきた。

水餃子は好物なので食べてみる。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ま・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ま・・・・・・・・・・・・不味い・・・・!!!!・。




『不味い水餃子』

って初めて食べた気がする。何しろ臭い。皮の中に一体、何が入っているんだ。


思えば開演前に、スペースにゴキブリの死骸があったんだよな。其れを月さんが「あ」と言って発見していて、見つからないように『手掴み』で処理していたんだが、其れなんだろうか?。
「折角だから精がつくだろう」
と思って入れたとか?。私の祖母は戦前の田舎の人なのでゴキブリを食べていたが(北九州市は妙なモノを食う人が戦前は多かったらしい)、其れなんだろうか。勘弁して欲しい。


ってか、『手料理』と言えば聞こえは良いが、手料理が旨い奴が歯槽膿漏症で歯が抜けたりしないよな。

「・・・こんなクソ酷い飯、食ってりゃ、そりゃ歯も抜けるよなぁ」

と思った。



で、志賀のオッサンがカホンを悦に浸りながら叩き始める。煩くて仕方がない(楽器の不思議な処は下手な奴がやると煩く感じられる処である)。

それを今度は、能面のような顔の女が皿を片手に踊り始めた。


「嗚呼、地獄のような光景だな」


と思って帰ることに。


帰り際にギターの人も送れて「俺も帰りますよ」となったのだが

「いや、だって中でさぁ。BGMのレッド・ツェッペリンの『天国への階段』を大合唱してんだもん・・・」

と言う。


『地獄の黙示録』のラスト・シーンが浮かぶ。


「地獄だ・・・これが・・・・地獄だ・・・・」


因みにエリザベスは御満悦で帰宅した。エリザベスはNY在住の分際で英語が苦手(ペルーはスペイン語)。

だから、主催の鶴さんが英語で話して、其れをカホンの人がスペイン語に翻訳して話す、と言う凄い光景になった。

英語のレベルは私ですら内容が分かる程で、つまり中学生レベル。


本当にポール・ダンスの審査員なのか?ペルー人限定とかなんだろうか?



しかし、ナンダカンダと私は頑張りすぎたのか翌日は顎が筋肉痛。

トランペットでフリークトーンを連発するのは顎の筋肉を変な使い方をするしかなく。

「結構、頑張ちゃったな。俺」

と思った。