2017年11月3日金曜日

疑問と愚問と鬼門

『中原中也との愛 ゆきてかへらぬ』と言うのを読むと『戦前ユース・カルチャー』が知れて面白い。
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戦前のユース・カルチャーって何故か記録が残ってないものが多い。
戦火で焼けた、ってワケでもないのに残ってない。
蓄音機が好きでSP盤を探すときに困るのが『記録の少なさ』である。
本当に記録がなくて泣ける。
仕方がないので、当時の人に話を聞きに行ったりしたほどで。
だが、SP盤は意外と高額な盤は殆ど無くて(消耗品だから)安い盤が多いので「ジャケ買い」で買って調べる、と言う事が可能だったが『その他の文化』に関しては資料が寡すぎる。



長谷川泰子と言う人は大正〜昭和モダンの最先端シーンをウロウロしていた人で、中原中也の元カノである。
この長谷川泰子さんが回想する『戦前日本小劇場シーン』が凄く面白い。
もう、デタラメである。
台本もスタッフもいないのにハコだけ抑えてツアーに出たり(勿論、酷い舞台だったと思うが。何しろ台本がないのである)、稽古場なのに全くの部外者である中原中也が出入りしていたり。
そんな事を嘗て所属していた唐組とか、九州のアングラ劇団でやろうものなら何千発、殴られるか分かったものではない。


『新劇』と言うのも、アングラ演劇よりアングラと言うかメチャクチャ。
築地小劇場が震災のドサクサに紛れて作られた、って言う胡散臭いハコであり、見た目は立派だが(今の劇場の元祖)何故か前後が吹き抜けで冬は桁外れに寒かった、とか。
劇団の数も多い。
昭和アングラ演劇よりも多かったのだが、夫々の劇団に演出家とか劇作家やスタッフがいた、と言うワケではなく
『とりあえず名乗ってみた』
みたいなモノが大半である。まだ、映画は歌舞伎役者がやっていたから新劇は其れこそ『好きモノ』しかやってない。
千田是也なんて舞台で大道具を破壊するようなヘボ役者だったわけだし。


戦前のユース・カルチャーはグッダグダなんだけども、長谷川泰子さんの回想だと非常に気楽で面白そう。
しかし、気になるのは戦後のユース・カルチャーは突然、レイドバックするのである。
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1:師弟制度
2:住み込み
3:理不尽
4:男尊女卑
5:新興宗教を遥かに凌ぐ閉鎖っぷり
6:他は敵
7:座内恋愛禁止
8:何故か記録は多い
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此れが何故だったのか?と言う気がする。例えば舞踏なんて1959年に誕生と考えたとしても『もはや戦後ではない』時代である。
とは言え、『もはや、戦後ではない』けど食うや食わずの時代にモダン・ダンスをやろう、ってんだから尋常ではないが。
大体、世間の関心は力道山であって「モダンでダンス!」なんてなぁ、って言う。
その後にアングラ演劇なるものが登場するけども、戦後から80年代(ギリギリ、90年代初頭?)までは演劇とモダン〜コンテンポラリー・ダンスがARTの最先端だったと思う。



と言うか、間違いなく90年初頭まで『舞踏』と言うのは、その出来不出来に関わらずジャンルとして最前衛と言うか尖っていた。



そんなワケで。
当時、16歳だった私は炭鉱夫と鉄鋼業とヤクザが血で血を洗う南スーダンのような九州の僻地で『舞踏』なんぞを観て
「俺もやってみたい!」
と思った。此れやったら、俺みたいな奴でも何とかなるやないやろか?。せやけど、舞踏っち、どーやったら出来るんやろ?
と、60年代に田舎でベンチャーズを初めて聴いた中学生みたいな事を思った。
『青春デンデケデケデケ』
と言う小説があるが、そう言うニュアンスである。


其処で有識者と思われる男性に「舞踏っち、やってみたいんけど・・・」と相談すると
「下関の方に○○って人がいるけども、住み込みが前提だからなぁ」
と言われて、16歳で親元にいる私には到底、不可能な話だった。


で。

18歳でアングラ演劇を始めてしまうのだが、当時は『そう言うモン』と理解していなかったが、思えば桁外れの閉鎖性だった。
そう言部外者どころか、入団したばかりの人ですら信用ならぬ、って言う。
信用したようと、するまいとヘボ劇団であることに代わりはなかったのだが、ノリとしては『機動隊が突入する3日前のオウム真理教の第7サティアン』と言うか。
演劇集団なのに、第7サティアン。


「こんなノリはウンザリやけんね!」
「多分、トーキョーやったら違うっち思うんよねー」
と唐組に入ったら、オウム真理教どころか『他の組織と抗争中のヤクザ組織』みたいなノリで、愕然とした覚えがある。
調べてみると、私が在籍していた頃は『遥かにマシ』で、大昔は更に凄かったらしいが(思い出すだけで吐き気がするような事も)。


此れが不思議で仕方がない。
唐組だけじゃなくて、例えば白虎社にせよ、大駱駝艦にせよ、山海塾にせよ、多くの劇団にせよ
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1:師弟制度
2:住み込み
3:理不尽
4:男尊女卑
5:新興宗教を遥かに凌ぐ閉鎖っぷり
6:他は敵
7:座内恋愛禁止
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である。『住み込み』は唐組にもなかったし、舞踏グループでも持ってないと思うが(家賃は自己負担だから)、住み込み的なニュアンスは強かったよな。
で、年頃の男女がひとつ、屋根の下で何やらやってんだから男女の仲になるのは当然なのだが『座内恋愛禁止』である。日本初の
『座内恋愛禁止』
を出した劇団は早稲田小劇場。座内TOPの白石加代子が俳優を食っては捨てて、其の俳優が脱退してしまうので苦肉の策だったと思うが。


って言うか、多分なんだけども『野田英樹』とか『第三舞台』とかでも上記の師弟制度とか理不尽とか男尊女卑とか閉鎖性は変わらなかったと思うんだよな。
演劇〜舞台と言う特種な芸事をするのに、ある程度の閉鎖性が必要である事はピーター・ブルックも認めている。
しかし、『ユース・カルチャーなのに戦前よりも古い師弟制度』を導入しているのは日本だけだったんじゃないだろうか。
演劇だけではなくて、例えばヒップホップ黎明期でもyou the rockもカバン持ちなんぞをしていたし・・・ってか、ヒップホップはいつの間にか『男達の挽歌』と言うか、マッチョ感が凄くなってしまったが調べてみると昔から、らしい(スチャダラパーは例外だったが)。
クラブ音楽、ダンス・ミュージックであるヒップホップですら師弟制度。
師弟制度を否定するつもりはないのだが、日本特有の師弟制度はウンザリだ。
アングラ演劇をやっていたから分かるのだが、日本特有の師弟制度って基本的にTOPは一つの事だけを言えば良い。すわ
『NO!』
である。只管、NO!。もう、ヘタすると歩いているだけでNO!である(唐組は休憩時間に立っているだけで駄目出しがあった)。
「ったく・・・違うんだよ・・・。オメーは分かってねーなぁ」
「分かるか?分かるか?」
「盗めよ〜!」
と言った浅草芸人のような事が本気でまかり通る。



アングラ演劇、モダン・ダンス(こんなコンテンポラリーダンス)の本家はそうではない、と言う事が分かり始めたのが実は00年代である。


『NO』ではなく『YES.BUT』


たった、此れだけなんである。
因みに演劇の世界でワークショップを『ワークショップ』と名乗って始めたのは第三舞台だが、鴻上尚史はイギリスの演劇学校に留学してんだよな。だが、鴻上尚史も基本的にNO!しか言っていなかった(少なくとも80年代後半の第三舞台では、そうである)。


勿論、yes.butと言えるだけの根拠がなければ成り立たないが、日本式師弟制度だとNOと言える根拠がなくてもNOと言える。
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1:その日の気分
2:税務署から通知が来た
3:人間関係
4:天気
5:恋人からメールが来ない
6:思い込み
7:呑み過ぎ
8:なんとなく
9:言ってみた
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とか。因みに唐組にKさんと言う看板役者がいたのだが、彼が自分より立場が下の奴を叱る時の理由の9割は
『阪神が負けたから』
だった。大阪出身で阪神ファンだからなんだが、阪神はいつも負けるので常に機嫌が悪かった。





あー。書いてて「これ、ホントかよ?」って言う話が多いな。書いている自分でも思う。しかも、この話が戦前とか大正〜明治の話じゃなくて90年代後半の話なんだよな。
すっげぇな。
世界的に見れば既にオンラインの時代に、あの人間関係って凄い。
もう、第7サティアンの裏事情どころの騒ぎじゃない。


そう言えば村上隆の『カイカイキキ』も上記のような内情らしい。
岡田斗司夫が『村上隆は殴り合いながら作品作ってる!』と話していたが、実際には一方的に殴っているだけ、って言う(現代美術の人格の拗れ方はアングラの比ではない)。


ユース・カルチャーなのに、中身は安土桃山時代の宮大工のような師弟制度ってのは何故なんだろう。
此れが不思議で仕方がない。
例えば「KO.DO.NAさんの弟子にしてください!」って人がいたとして(絶対にいないけど)、そう言う人と歩いていて(そんな人とは歩きたくないが)、レコード屋とかCDショップに行って(行かないけど)、
「おいおい、なんだ?そのセレクトの仕方は・・・。違うんだよな〜。分かるか?お前、分かってるか?」
とか言うだろうか。多分、言った瞬間、幼少の頃にキャトルミューティレーションによって金星人に埋め込まれた自爆装置が発動して半径3kmが爆風で火の海になると思う。


しかし、『ユース・カルチャーなのに師弟制度になる』と言う現象は何故、起こるんだろう。

永遠の疑問符

人生40年。
近所の公園に植えられている樹木よりは短いが、江戸時代なら既に長老の年齢。
で、未だに理解出来ない事が多々ある。


1:ライブハウスに来る人の既婚率の高さ
既婚でなくとも、同棲中とか多い。寡婦のバンドマンって余り(最近は)見かけなくなった。
思えば私が九州の田舎に居た頃もライブハウスで恋人探し、って人はニホンオオカミくらいの絶滅危惧種だったが。
だが、既婚者って事は何処かで出会っているはずで多分、MIXIとかツイッターではないはずで。
そう言う人は、どうやって『ライブハウスに来ているのに寡婦』を見つけているんだろうか。スカイフィッシュを探すほうが遥かに楽な気がする。


2:アルト・サックス奏者の貧乏臭さ
此れは何度もUPしているのだが何故、アルト・サックスを演奏する人は
『サイズがあってない服』
『貧乏臭い服』
を着用するんだろうか。アルト・サックスを買いに行くと店員から
「その身なりじゃ、ねぇ?」
とか言われるんだろうか。またはアルト・サックスを習いに行くと、最初に服装について講釈を垂れられて、講師と共に『むげん道』『貧乏臭い古着屋』に連れて行かれるんだろうか。
または『Yシャツだと音のヌケが悪い』とか言う問題があるんだろうか。


3:ロックの人の『半裸率』の異常な高さ
何故かロックの人は半裸になりたがる。何故なんだ。全裸では駄目らしいし、女性が半裸ってのも駄目らしい。腹筋を見せたいのだろうか。
だが、ライブハウスであって『ボディビル会場』ではない。
ある程度、ライブを重ねると先輩バンドマンから
「おいおい、お前も集客出来るんだから、そろそろ脱がなきゃ駄目だろ・・・」
と言われるんだろうか。
HAIGANで脱いでみようかな、と思ったりもするのだが脱ぐことで演奏に影響が出るとは思えないので着衣したままである。
それは私が金管楽器奏者だからであって、弦楽器だと脱ぐと
「着衣していると音のヌケが悪い」
とかがあるんだろうか。


4:暗黒舞踏の公園でのカメラマンの多さ
此れは以前、書いたから良いかな。あれほどカメラマンが多い現場って『バードウォッチング』『鉄ヲタ』しかいない。


5:ライブハウスでのアンプが皆、同じ。
大体マーシャル、JCの2択と言う感じがする。ツイン・リバーブを使っている人もいるが、そもそも自宅で練習する時点で巨大なマーシャルを使える人は多分、僻地(限界集落とか)にしかいないし、スタジオで練習と言っても週一のはずで。
個人的にマーシャルとかJCを使うと入力は皆、彼是と考えてエフェクターを買うんだろうけど出力が同じなので似たような音になる。
あれは何故なんだろう。
同調思考なんだろうか。


6:ライブハウスでの『Tシャツ着用率』の高さ
此れも謎なんである。HAIGANで演奏していて一度、知らない人から「普通の格好の人がいる・・・と思ったらHAIGANだったんですね」と言われた。
夏→Tシャツ
冬→トレーナーとかパーカー
である。
私が知らないだけで、実はライブハウス界隈での『グレイトフルデッド信奉者』は凄まじく、皆、「嗚呼、グレイトフルデッドみたいになりたい!」と思いながらも音楽はHCだったり、オルタナだったりしてんだけども心の中では『グレイトフルデッドへの憧れ』が隠せずに
『楽な格好』
へ走るんだろうか。グレイトフルデッドへの羨望がない人はMODS系に行くしか無い、とか。革ジャンって人を私が最後に見たのは高円寺DOMスタジオで、しかもスタジオ予約のために来た人だった。
人づてに聴いた話では、その後、1年もしないうちに大麻で捕まった・・・と言うのが13年前。




色々な謎があるのだが、未だに『アルト・サックス奏者が貧乏臭い格好を好む理由』が分からない。
何故なんだろう