2011年10月31日月曜日

電気式ジョン・レノン

本日、電気を止められた。



なので今、部屋は真っ暗である。東電様のご好意により1アンペアの電気でPCだけを動かしながら後は全ての電気を切る、と言う状態。

帰宅すると部屋が真っ暗。

今の職場は月末は必ず残業になるのであるが、今日は風邪気味・・・と言うかガチで風邪。喉と鼻水とクシャミ。そんな状態なのに出勤している私は社会人の鏡として安田財閥のボス

安田善次郎

と並んで称されるはずである。



そんな

『杉並区の安田善次郎』

『派遣の安田善次郎』

『転職回数104回の安田善次郎』

『トランペッター安田善次郎』

『貯金0円生活!安田善次郎』


が何故、東京電力なんて言う世界一の恥曝し集団に『電気を止められる』と言う仕打ちを受けなければならないのか?

安田善次郎は『明治安田生命保険』『富士銀行』『損害保険ジャパン』『オノ・ヨーコ』を作ったが(オノ・ヨーコは曾孫)、東京電力が作ったモンは何か?

1)放射能
2)あやしいお米セシウムさん
3)原子力発電所
4)発電所
5)人迷惑
6)ストレンチウム
7)プルトニウム

だけではないか!俺は『安田善次郎』のカバーバージョンだぞ?!頭が高い!


逆鱗して直ぐに電話を秘書にかけさせた。


「ふざけるな!7月分の電気料金は支払っているだろ!其れで止めやがって!どう言う事だ!」

「はい。確認はとれております。ですが8月分の電気料金がお支払いがお済でないため止めさせて頂きました」

「うるせぇ!支払っているモンは支払っているだろ!其れで止めるってのは、どー言う事だ!」

「しかし10月のお約束では7月、8月分を払うという事で停電を回避させて頂いておりました。ですが8月分が」

「ああ!そーだよ!確かに電話でそう言ったさ!だが契約書を書いたワケじゃねぇーだろ!テメーの会社のオペレーターと『口約束』だけだろ!」

「『口約束』とは何ですか?」

「払う、と言っただけだよ!お前らは国民を騙し続けている分際で、他人の言う事は鵜呑みにするのか?!どんだけボケでナスで、マヌケで、頭が腐っているんだ!言っておくけどな!この際だから言っておくがな!俺は実は日本人じゃねーんだよ!


ロシア人


なんだよ!約束だとか口約束だとかを執行するもんじゃねーんだよ。契約書を交わしても第二次世界大戦末期の時にはソ連侵攻があっただろ?俺ぁロシア人だから『払う』といったが全額なワケじゃねーんだよ!」

「お客様、電気に国境は御座いません。電気にあるのは『明るい&暗い』『暖かい&涼しい』だけで御座います。そう!電気こそがジョン・レノンが言う処の『イマジン』なのです」

「何が『イマジン』だ!俺はロシア人なんだ!って言ってるだろ!ロシア人である俺にあるのは

侵略
報復
略奪
寒い
極寒
共産主義
暴力革命
スターリン
ボルシチ
ポルカ
バラライカ

だけなんだよ!大体、何だ?『ジョン・レノン』って!?資本主義のスーパースターじゃねーかよ!な~にが『イマジン』だ!『イムジン河』の方が遥かにマシだ!」

「しかし、お客様。国境の無い世界は素晴らしいではありませんか」

「ふざけるな!国境こそが全てだ!俺ぁ北緯38度線(軍事境界線)と北方領土は死守するからな!電気如きが国境を越えて溜まるか!」

「しかし私共は常日頃から電気と国境の無い世界を目指して会社を運営しております」

「っけ!ふざけるな。どうやって国境を越えたんだ!」

「セシウムで御座います」

「はぁ?」

「電気は有線で送電するものですから私共の事業は常日頃から地域独裁しか成し得ませんでした。其処が悩みでした。しかし311の原発爆発で私どもの

エナジー

を全世界に届ける事が出来ました。電気は国境も性別も政治も超えるのです」

「何を言ってんだ!お前は!セシウムって放射能で汚染しただけじゃねーかよ!」

「汚染しようと何しようと私どもの『エナジー』を届ける事が出来た、と言う事は事実です。私共は常日頃から『ジョン・レノン』の思想で会社を運営しております。ジョンは申しております。
『音楽で世界は変えられる』
と・・・」

「変わってねーじゃねーかよ!そもそもジョン・レノンが国に1兆円近くの借金を申し込むか?」

「其れはそうです。しかしジョン・レノンは所詮は一介のミュージシャンでしかありません。ですからジョンが借金を申し込む、と言うよりは借金を友人から申し込まれる側だったでしょうけども。無論、孤児院育ちの貧乏根性のジョンですから借金の無心をしても無駄だったでしょうけども」

「言っている事が矛盾してるじゃないか!」

「いえ、筋は通っております。私どもは『ジョン・レノン本人』ではなく『ジョン・レノンの精神』ですから。キリストが言っている事とやっている事が新約聖書でも可也の乖離があるのと同じです」

「馬鹿か?お前は!俺の友人は茨城で農業をやっていたのにテメーの施設の爆破で常日頃から自殺未遂を繰り広げているのに『死にたくない』って言って高知県まで逃げたんだぞ!俺の先輩Tp奏者は大分県だ!お前らは何もかも奪いやがって!」

「其れは仕方がありません。ジョン・レノンもティーンエイジャーの心を奪いまくりましたから」

「兎も角だ!ジョン・レノンはどーだって良ーよ!俺はバラライカなんだから!レノンはバラライカは演奏して無いだろ!」

「はい」

「俺の電気を返せ!」

「何度も言うようですが私どもは『ジョン・レノン的精神』で御座います。ジョン・レノンのCDが無料ではないように、私どもの電気も無料では御座いません。お客様が先ほど仰られたように資本主義のスターで御座います。ペイ出来なければノージョブ!で御座います」

「お前じゃ話にならん!清水社長を出せ!社長を出せ!」

「申し訳御座いません。清水社長は6月28日に退任しております

「じゃあ、どうすりゃ良いんだ!」

「今すぐにコンビニで8月分2887円をお支払い下さい。さすればお客様のご自宅に

『暖かい』
『快適』

そして『』を届けることが出来るでしょう・・・」



腑に落ちないママ、仕方が無いのでコンビニで現金を払った。
電気の無い部屋ってのは中々、痛恨の極みである。

明日は休日なので風邪の身体を押して、東京電力に軍曹であった祖父の形見である九九式軽機関銃を持って殴りこみに行こうと懐中電灯の下で銃の手入れをしていたら業者が来て電気をつけた。


東電と私の戦いは未だに終らない。





riunione dell'uccello
2010/10/6(thu)
19:30/21:00
charge:free

KO.DO.NA
黒木一隆(TP、ピアニカ)と木ノ下友一郎(エレクトロニクス、ギター)によるユニット。クラブDJ、現代音楽を経て、劇団唐組入団。同退団後、劇中音楽作曲やインプロビゼーションを主体とした幾つかのバンドを経て、2002年静寂音響ユニット『KO.DO.NA』を開始。2006年『KO.DO.NA :小人の化学』発売。2010年ルクセンブルグ『soundzfromnowhere』より「riunione dell‘ uccello」発\。その後、幾つかのオムニバスCDへ参加。ラトビア共和国の音楽誌『フラッシュ』にて紹介される。西麻布『Bullets』『スーパーデラックス』等に不定期出演。オーファイな電子機材を用いノイズの中から賛美歌、児童音楽、鎮魂歌を紡ぎだす。 舞台音楽から即興演奏、楽曲演奏まで幅広く活動中。
http://kodona.web.fc2.com/

sebon
中南米の歌心に、新宿界隈のネオンライツ浴びせたHOME LESS音楽ユニット。バンジョーウクレレやマンドリンといったアコースティック楽器から、自作電子楽器、コンピューター、おもちゃなどを使いこなせないなりに使いこなし、鉄橋の下で料理を作っているおじいさんからいつもインスピレーションを得て活動している。今回、中心人物である秋房と川村が、10月~11月にかけてメキシコを旅するので、そこで集めたとれたての映像や音を使ってのライブをする予定。さらにゲストメンバーも呼んで、よりカラフルにバージョンアップ!ご来場の方には先着で、なんかメキシコみやげあげます。
http://sebon-eatsong.blogspot.com/

henna dress/変なドレス
ゲームボーイを動物的カンで操りチップチューン系譜から逸脱した曲を作ったり、β-DJと称しDJの可能性を間違った方向に追求したり、電子オモチャをサーキットベンディングしたり(やりすぎ壊して落ちこんだり)、たまに電子回路など制作したり、ローファイな絵を無心に描いたり、捨てられないゴミ等用いてオカンアート的な何かにしたり、森の中にカセットテープやぬいぐるみをあるったけぶちまけて喜んだり、田舎⇔都会の日常の中で怪しげなレポートや工夫を編み出したりうんぬん。志の低さが志の高さなのよと勝手にのたまいつ、しごく自由にマイペースに活動している。所属チーム、セロリーマン(+サム・ベネット+いとうはるな)ドレミファインバータ (+tanabe)変な米本(+米本実)変なCDR(+CDR)へんとーます(+トーマス)など。海外では、Abigail Stern(NY)Agoostus(アリゾナ)gola(イタリア)Justin Wallisらと共同制作中。今回はβ的CDVJとして出演です。
http://sound.jp/hennadress/

2011年10月26日水曜日

初恋ブレイク・ダンス

仕事が最近、暇である。



諸所の事情で私が働いている部署は存続の危機らしい。下請けの宿命なんだが。
其れで社員達はピリピリとしている。
だが私自身は「今年一杯は働く」だから今年まで持てば良いし、私には全く関係の話である。


暇なのでコッソリと仕事中に『ヤマジュンミュージアム』で伝説のホモ漫画

『くそみそテクニック』
http://yaranaika.xsrv.jp/yjm/top.html

を読んだりしていた。矢張り山川純一は手塚治を超えていると思う。特に『くそみそテクニック』は『AKIRA』を軽く超えている。消息不明らしいが、どうしているんだろう・・・。



帰宅して寝る。


職場は8人しか居ない。少人数でアットホームと言えばそうなるのかも知れないが、私はそう言う環境が非常に苦手である。100人規模でゴチャゴチャとしていた方が楽だ。だから職場では借りてきた猫のように大人しい。客と話す時間を除けば同僚と話す時間は8時間のうち2分にも満たない。

其のストレスか「居るだけで疲れて」しまうのである。




寝る、といっても熟睡ではない。ボンヤリと横になっている感じ。で、夢現の中でフト、


『0の起源』


が頭を過ぎった。『0』と言うのは古代インド発祥らしい。マヤ文明でも使っていたんだとか。
「0」と言うのは取りあえず「何もない」と言う状態である。

では「0」と言う観念が無い頃はどうしていたんだろうか?と考えると


「何も無い、って言うのはありえない」

と言う感じで常に生産に次ぐ生産。量産に次ぐ量産。日々、何か『在る』ワケである。

だから子作りも必死だっただろう。避妊と言う観念もない。男女と言うのは常に子作り!


「お前ら2人だろ?で、何で1+1で0何だよ?」


とか言われちゃうワケだ。そんなワケで生産と量産と発明が文明を生み、破壊と略奪と繁栄と栄華と魔法などが生まれちゃうワケだ。



で、其の前は狩猟社会。


この頃はどうしていたのか?兎に角、「在る」しかないワケだから狩りに行って収穫がない、って言うのは「絶対にあってはならない」事だっただろう。

しかし人類が持っている武器は

「棒」
「石」
「槍の出来損ない」

程度である。しかもシマウマですら時速60キロで走ると言うのに人間の最高速度は現状、瞬間最大速度で時速44.・17km。

手ぶらで帰る、ってのもあったと思う。


その前日に『勅使河原蒼風』と言う活け花の人の本を読んでいた。勅使河原蒼風氏は「活け花の起源は仏教徒が仏に花を捧げる処から始まった」と書いている。
其の前に岡倉天心は「人類は花を愛でた瞬間から禽獣の域を脱した」とも言う。


恐らく狩りで失敗して手ぶらで嫁の元へ帰る。当時から家庭制度はあったと思う。家庭って言うか今とは随分と違うだろうが。

嫁が言う。

「今日の収穫は?」

ない、とは観念上、言えない。

「うん。シマウマには逃げられたけども綺麗な花が咲いていたから君に似合うと思って持ってきたよ」

シマウマの肉には有りつけなかったが手には綺麗な花。香りも良い。食い物よりも女性が化粧品や装飾品に目が無い事は初期人類の頃から変わらないのだ。


多分、そうやって人間は「0」からの回避を行っていたんではないだろうか?。其処には矢張り「シマウマじゃなくて山芋が」ではなく『花』でなくてはならない。

若しも当時の人類が妻や恋人へ『花』ではなくて『山芋』をプレゼントしていたら今でも街には花屋は一軒もなく、代わりに『納豆屋』『山芋屋』になっているだろう。



311で原発が連日、大暴走している最中。都内にも大量の放射能が降り注いでいた。だが桜が矢鱈滅多ら美しく咲いていた。放射能と余震の恐怖で震え上がっていたが、桜を見ている時だけ、別世界に連れて行かれる。

肉よりも花の方がランクは上なんだと思う。




時代は流れてインド人が「0」を考えた。其の時から恐らく『経済』ってのは今と大して変わらない位には発展したんだろう。

嫁や恋人が言う。

「今日も儲けは?」

「駄目だねぇ。隣にショッピングモールなんかが出来やがって客がそっちに流れちまって・・・」


と言う『言い訳』・・・そう!「0」と言う観念が誕生した瞬間から



『言い訳』



と言うロジックも発生したのだと思う。此処から人類の堕落が始まり、胡散臭い宗教が暗躍し始め、資本主義と法律が生まれ、TPPだとか原発に繋がるのだ。

だが私はインド人に感謝しなくてはならない。私に人生は常に『言い訳』に満ちている。


●会社に遅刻した時

●会社を無断欠勤した時

●約束をスッポカした時

●常日頃


『言い訳』がなければ私は恐らく6歳になるまでに何者かの手によって消されていただろう。



起きてtpの練習。練習場所にはブレイク・ダンスを練習している男女がいる。暗闇の中で女の子が携帯で色々とキャピキャピと話している。男の子は不機嫌そう。

「今の彼氏か?」

「そーなの!」

其の発言により男の子の憂鬱さは更にヒートアップしたらしく、盛り上がっているのは女の子だけ。

『初恋ブレイク・ダンス』

ってのは中々、似合うなぁと思った。


帰宅中に警察が「止まりなさい」と言ってきたので振り切って「止まるか!ボケぇ!」と怒鳴って、空き缶を投げつけた。


最近、夜中の警察が多い。糞どもめ。

2011年10月24日月曜日

ライブハウス論についてツイッターで色々とあったらしい。
発端はこれ
http://ugayaclipping.blog.so-net.ne.jp/2009-07-23-10

之がこう発展した。

http://togetter.com/li/200637



このライブハウス論とは別に『ライブハウス』と言う施設を考えてみようと思う。BGMは爆音ミニマルの
『トニー・コントラッド』
である。トニー・コントラッドは最高である。昨年からゾッコンなのである。バイオリンがメインだが、単なる発信機が「ビー!」と延々と45分間鳴っている「だけ」の作品とかもあって

「この人はどうやって生計を立てているんだろうか?」

と他人事ながら心配してしまう。朝刊とか配っていたら嫌だなぁ。


さてさて。


上記のライブハウス論は

「ライブハウス」⇔「出演者」

と言う関係をメインにしている。
其処からして変な気もするのである。ライブハウスに行くのは誰か?

お客である。

出演しているバンドなんぞは誰だって良い、とは言わないが原則、音楽と言うのは他人に公開するにあたって『第三者』の為にあるわけで「お客」と言う存在がスッポリと抜け落ちている気がする。


どうもライブハウスと言うのは出演者の為にある・・・と言うスタンスが出演者側にもライブハウス側にもあるような気がする。其処がネックなんではないだろうか。



ライブ、と言うモノを初めてやったのは福岡に居た頃である。場所はライブハウスではなくて


路上


だった。当時、舞踏家の連中と付き合いがあり、その舞踏家が運営していた事務所の『公共料金』を支払う時期になると街頭ライブをやって支払いをしていた。そのバックで演奏していた。

その次は『喫茶店』だった。市街地の外れに『生きているうちが花なのよ』と言う長ったらしい名前の店があり、其処でライブだった。喫茶店なので機材がない。
仕方がないのでアンプやドラムセットは全て持ち込みだった。機材の事を知っている人が出演者も含めて誰も居なかったので全てギターアンプやベースアンプへ直結。

当時からtpのエフェクトをかけていたがギターアンプ。思えばボーカルもベースアンプに繋いでいたのだから中南米とかアフリカのバンドよりも酷いセッティングだったと思う。

と言うか『PA』と言う存在を知らなかった、信用出来なかった事もあり『KO.DO.NA』と名乗り始めてから都内でライブを始めた頃も普通にベースアンプとギターアンプでやっていた。
流石に上京した頃はPAの存在は知っていたが、音量とか音質を第三者に委ねると言うのが何となく嫌だったからである。

最近は「そうした方が良い」と言うワケでそうしているが。


で、機材が重たい。だがライブハウスに出演した事が無い訳だから、皆、そうやっているんだろう、と思っていた。違う事を知ったのは二十歳を過ぎてからだ。



一時期だが足繁く『ライブハウス』に客として行っていた時期がある。ホンの一時期だが。何で行っていたか?って言えば其の頃に知り合ったバンドの連中といるのが楽しかったから。だからバンドはどうでも良かった。面白いバンドがあればラッキーって言う程度で、バンドが演奏していようとしてまいと、友人・知人と喋って呑んでいた。其れが楽しかった。

だから『社交の場』である。

テストトーンと言うイベントが毎月、スーパーデラックスで主催されている。出演する面子は本当に

滅茶苦茶

で、ノイズが最初に出たと思えば、次は普通にガールズ・バンド。最後は電子音楽とか。大物が出たと思えば聴いた事も無い人が出たり(其れが会場をドッカンドッカン言わせたり)。

面白いんだけども、行っている理由はやっぱり「社交の場」だから。スーパーデラックスのビールは美味しいし、食べ物も良いし。当日の出演者が誰でも別に構わない。知人や友人が出たり、自分が出たりする事もあるけども、余り関係が無いって言うか。

音量も桁外れにデカいワケでもないし。



ライブハウスに行き始めた頃は「ライブハウス」でしか知り合えなかった人達と知り合えた。高校生の頃だったけども当時、長髪で髪を赤く染めている連中なんて北九州市と言う暗黒大陸では


『天狗様』


とバンドマンしか居なかったのである
。もう、ビックリだった。


時代は90年代。私はライブハウスは友人のライブの時にしか行かなかったがクラブには週1~2で行っていた。クラブが私にとってのライブハウスだったのかも。クラブの主役はDJではない。



である。素敵なステップを踏んでいる奴とか、お洒落な奴とか。DJは完全に「スタッフ」と言う感じでスクラッチはしていたかどうかは判らなかったが(当時のDJのレベルって今よりも圧倒的に低かった)観ていても面白いモノではなかったし。




ライブハウスに話を戻すが、ライブハウスのチャージも客としては少し高額である。大体が2500~2800~3000円である。之にドリンク代をプラスすると、もう之は高校生とかが出せる金額ではなくなる。

大人の金額になってくる。

だが、最近、知りつつあるのだが『大人』と言うか世のサラリーマン達は


『ミスターチルドレン』
『大黒摩季』
『嵐』
『東京事変』
『浜田省吾』

と行った糞の足しにもならんような音楽を好み、ライブに行くらしい。今の職場の上司は夫と知り合ったのが

「呑み屋で隣の席でさぁ。で、お互いの趣味である『大黒摩季』で盛り上がって~」

と言っているのを聴いて私は絶句した。


「『大黒摩季』が好き」

と公然と言える度胸が私には信じられなかった。センター長は『浜田省吾』が大好きで今年最後のライブに行けなかったら会社を辞めてやる!と息巻いている。妻も浜田省吾のファンらしい。

これも絶句した。


「之が社会人の性癖と言う奴か・・・」

と思った。会社の同僚の女の子はバンドをやっていて好きなバンドは『東京事変』と言う零落れたアイドルが組んだバンドらしい。

「どう言うジャンルをやっているんですか?」
「ロキノン系ですねぇ~」

ちょっと絶句した。せめて

「ハーッシュ・ノイズですね。ハフラー・トリオとか好きです」

とか言って欲しかった。ハフラートリオを知っている社会人が居たら、其れはアレな気もするが。


普通にロックを大音量で聴きたいからライブハウスに行く、何て言う暇人は今は居ないと思う。私だって行かないもの。行くとしたら「社交」だと思う。


古今東西、「社交の場」の音楽は当時の一流が作っていた。モーツァルトですらサロン・ミュージックだし、ドビッシューも同じく。

だが開かれている音楽だったと思う。

ロックは個人的に閉鎖的な音楽、と言う気がする。ロック全般ではないけども、何だか最近はマスマス、閉鎖的な音楽になってきたなぁって気がする。
何と言うか『演劇ファン』と近くなってきた、って言うか。



ライブハウスにしろ企画者にしろ、出演者にしろ、もっと客の事を考えないと駄目だと思う。楽器なんて象でも出来るのである(実際に象がガムランを演奏しているCDがある)。だったら象のバンドを観にいった方が遥かに有意義だ。

ライブハウスに出演するのはバンドである。バンドがライブハウスを選んでいるのである。だったら、自分にとって大事な人に聞かせたい場所を選ぶべきで、其処を怠っているんでは音楽なんて本当に無意味になってしまう。



『音楽の役割』と言うのは311以降、本当にもっと深く(音楽家であれば)考えなくてはならない事だ。其れが考えられない奴なんて干物でも食ってろ!



2011年10月18日火曜日

全ては腐る

今の職場はスーツ勤務である。



ドコモ系列の職場なので服装には五月蝿い。本当はスーツは好きじゃないのだが「作業着」と言う事で割り切る事に。

と言うかスーツって現場仕事で言う処の『作業着』である。
張り切ってお洒落する奴の気持ちが全く判らない。



ところで



高校生の頃、Modos少年だった。マッシュルームカットに、三つボタンで細身のスーツ。べスパには乗れなかったが、気持ちはロンドン。スーツは高校生の頃は買えなかったから父親が昔、着用していたスーツを『お直し』に出して着ていた。スラックスだけはどうしようもないので細身のズボンを探して着る。

丁度、世が『アシッド・ジャズ』ブームの頃だったので「お手本」は雑誌の中には沢山あった。英語が読めないのに『iD』と言ったイギリスのクラブ雑誌を読んだり。

私が住んでいた九州の暗黒街には基本的に男性は



『ヤクザ』
『ヤンキー』


しか居なかった。其処にモッズスーツってのは可也、浮いたが当時は其れが良かった。

スーツをオーダーしたのは18歳の時だった。其れで2着作った。浮かれた。

しかし聴いている音楽は『テクノ』『アシッド・ジャズ』『ノイズ』『フリージャズ』『サイケ』。辛うじて『レア・グルーブ』『ネオGS』は聴いていたけども、どう考えても

『ノイズ』



『モッズ』

は相容れない気がする。ノイズ系のライブにモッズを見かけた事は一度もないしなぁ。1年に2回位、一緒に演奏しているデイブ・マクラホン氏はイギリスはマンチェスター出身である。確かに格好はモッズっぽい。と言うか、向こうの普段着なのかも。
だがデイブ氏はモッズやアシッド・ジャズ直撃世代だが、実は

ハードコア・パンク畑出身

である。しかもヴォーガンでベジタリアン。そもそも何でベジタリアンになったか?と聞いたら

「若い頃に短気な自分とか、ヘンテコな自分が嫌で中々、周りに馴染めなかった。で、その頃に『ホニャララ』と言うバンドが好きになって、そのシーン界隈はベジタリアンである事が条件だったんだよね。で、自分はお酒は好きじゃないし、煙草も吸ってなかったから『じゃあ、煙草と菜食主義になれば、この人達と一緒に!』と思ったんだよね」

らしい。この動機が理解不能なんだが、調べてみるとハードコア界隈は一時期はベジタリアンばかりだったんだとか。調べてみるとこう言うのがあった。

『パンクには禁酒、禁薬(タバコも含む)反カジュアルセックス、を実践している、
ストレートエッジ(SxE)というジャンルのハードコアパンクがあります。歌詞には反戦、反人種差別、動物愛護、政治的宗教的な内容等さまざまです。最近はSxEのライフスタイルにヴィーガンが加えられるのが主流となってるようです。興味のある方は聞いてみて下さい。YOUTH OF TODAY GORILA BISKETSなんかが有名です。洋楽ですけど。日本人ではあまりいませんよ。
認知されてないだけかな(^^;)』


(YOUTH OF TODAYのPVらしい)

まぁ知人のHC系の人もベジタリアンだったし、私も一時期、マクロヴィオテックに行きそうになったから判るんだが

>)反カジュアルセックス、を実践している、

が気になる。と言うか引っかかる。




カ ジ ュア ル に セ ッ ク ス 出 来 な く て 何 が パ ン ク じ ゃ い ! ! !




ドイツ無政府主義ポゴ党(APPD)』を見習え!

ドイツ国内では真っ当な『政党』であり、ある程度の勢力も持っているのだが政見放送がこの有様。



この内容が余りにも「余りにも」で、しかも「余りにも」なので全世界で中継されてしまった。其処で党首であるヴォルフガング・ヴェントラント氏は弁明放送を行ったほどなんだが、弁明放送もこの有様。



ビール片手で、時折、良い呑みっぷり。この政党の政策目標が素晴らしい。

1)失業者が完全な給料を受け取る権利の確立
2)退職年金の代わりに青年に年金を支払うこと
3)義務教育の廃止
4)肉体的性愛のためのセンター設置
5)警察の廃止
6)全ての麻薬及び薬物の合法化

で、立候補した際の公約は

「すべての投票者に無料のビールを提供する」

で、スローガンは

「全ての労働は糞である」
「飲んで、飲んで、ただ飲んだくれる毎日」

である。この政党が日本にあったら私は確実に党員になるんだが。因みに党首のバンドのPVも意味不明で面白かった。



この人が日本の政権をとっていればFUKUSIMAの原発事故は恐らく5秒で収束したに違いない。


まぁ統一されたルールがない事がパンクの良い処で、好きな処でもあり、若干、理解し難い部分でもあるのだが。



・・・あれ?何を書いていたんだっけ?

今日は疲れたのである。話は「靴を買いに行った」と言うだけなのだが話が矢鱈と飛ぶのは


『普通のビジネスシューズが売ってなかった』


からである。昼飯はいつもの様に春雨スープとオニギリだけ。其れで新宿の

『ダイワ靴店』

に普通にビジネスシューズを買いに行った。一足持っているのだが合皮なので足が死ぬんじゃないかと思うほど臭くなるのである。矢張り合皮は駄目だ。何しろコインランドリーで洗える程なんだから。


で、靴を見るがどれも之も『シャープなライン』と言うか一昔前の『メタル系の人』が履いてそうな靴ばかり。

普通の靴が無い

んである。



作業着なんだから別に良いじゃないか、と思いながら嫌悪感が走る。あの系の靴は以前は

『ギャル男』

と呼ばれる民族が愛用していたものである。あの漫画『闇金のうしじまくん』で最初に殺されちゃう『ギャル男』である。

履いてみるが、どうも似合わない。だが白髪交じりの店員は「似合いますよ」と言う。白髪が何を言おうと此方が嫌なんである。幾つか試すが、どうもピンと来ない。
確かに最近のオフィスワークの連中はこう言う靴を履いているのは判る。

「皆さん、好みますよ」

と店員も言う。だが「皆さん」と言う言葉も嫌いである。



靴を選んでいると「頭のおかしいオバサン」が

「あのぉ~、この靴を履いてみたいんですがぁ~、中に何か入っていて履けないんですぅ~」

と「あのテの人々」特有の口調で言う。店員が靴の中に入れているクッションを取って「はいはい」と渡す。すると「やっぱぁ~、これだと云々かんぬん~」と意味不明な理由を言っている。矢張り新宿だと『あのテ』の人々は多い。店員は「はいはい、じゃあ買わないで帰ってくださいね。来ないで下さいね~」と言う。


一つ、クラシックなデザインの靴を見つけたので履いてみるが、其処で店員が『安売り:問屋』でもある『ダイワ靴店』で決めない私に苛々してきたのか意味不明な事を言って来る。

「その靴だと60代の方みたいですよぉ~?硬い人みたいですよ~?貴方は公務員ですかぁ~?オジイサンですかぁ~?」

普通ならば此処でキレて店の棚の一つや二つを蹴り倒すだとか、店員を梶原一騎の娘のようにボコボコにするべきなんだがダイエット中で空腹で怒れなかった。

で、トボトボと帰宅。

どうも『Hungry』と『Anger』は相容れないモノらしい。


で、新宿でプリンターのインクを買い高円寺へ帰宅。其処でフト、フイに「どうせ作業着なんだし、中古だとかアウトレットでも良いのでは?」と思った。

幸い私は『オフィス・ラブ』の予定は無い。

女性が多い職場だが『職場の人』と対峙する時間は1秒でも短い方が良いに決まっている。靴を観て判断されても構わない。

で、古着屋を見るが逆に古着屋においている靴は「ビンテージ」らしい。他人が履きまくった靴の何処が『ビンテージ』なのかサッパリ判らないが(古着屋の店主達の思考回路が未だに理解できない)値も張るし、サイズも無いし、しかもボロボロである。

で、最終的には最近、高円寺に出来た『モード・OFF』と言う『ブックオフ』の系列店で2500円で買った。予算の半分以下である。状態もそこそこだし良かった良かった。


帰宅中、タレントの『千秋』がTVの取材と言うか番組収録をしていた。

どうも高円寺の店を歩いて「お洒落なモン」を探す、みたいな内容らしい。実物を始めて見たが予想以上に小さくてビビった。

「実は小人症なのか?」

と思ったほどである。だが一児の母である。『子ども手当て』は貰っているんだろうか?



高円寺は以前は

『腐ったパンクス』

『ニューウェーブ系の成れの果て』

『勘違いサイケ』

『現役ヒッピー』

『自称:詩人』

『貧乏演劇人』

『大麻を合法に』

『布ナプキン』

『只の貧乏人』

『精神病患者』

しかいなかったのだが、最近はどうも『洒落乙』な街に変貌してきているらしい。上京して高円寺に住んでいた頃は彼方此方に『再開発反対』と言う垂れ幕が掛かっていたのだが、再開発はされなかったが、こうやって

古き良き高円寺

は駆逐されていくのだなぁと思った。オーストラリアと『犬』とか『山羊』の関係みたいなモンで、開発しようとするまいと街も人も全ては腐る。


しかし疲れた。

2011年10月7日金曜日

iPhone

アップル社のスティーブ・ジョブズが死んだらしい。



ざまぁみさらせ!


と心から思うのだが、普通に癌で死んだらしい。出来れば肺ガンとかで苦しみぬいて死んで欲しかったが、そうもいかんらしい。


『iPhone4』で市場も皆も小躍りしているから忘れされれようとしているがアップル社は『家庭用PC』を普及させた、とかあるけども当時のアップル・コンピューターの



ボロさ



は三十路以上じゃないと判らないだろう。今の基準から考えれば「空前絶後の欠陥品」ばかりだった。

デバイスは認識しない
文字を打っているだけでフリーズ
サポートは皆無に等しい
動きは今の携帯電話よりも遅い

iPhoneもそうだがアップル社は常に「欠陥品」を売ってきた、と思う。そんなものに50万を払わせてたんだから凄い。


で、アップル・コンピューターはどれも全て平等に等しくボッタクリの糞だったワケで、そんなモンをイケシャアシャアと売っていたジョブズって言うヒッピー崩れのオッサンを私は信用できない。

アップル・コンピューターの登場は凄かったらしい。だが、勘違いしては駄目だ。アップルが凄かったワケではない。

ボロPCだったアップル・コンピューターを何とか血の出るような苦渋を呑みながら使い倒した人々が凄いんであって、アップルが凄かったわけじゃない。

ビル・ゲイツがもう少し早めにウィンドウズ95並のマシンを登場させておけば良かっただけの話である。




『iPhone』に関してだがジョブズの最後の功績と言っても良いだろう。


だが『iPhone』に関して私はホンッと余り書きたくないし、所有している友人達も多いんだけども

「暇つぶしの為に他国の生き血を吸うのかよ?」

って気がするんだよな。『iPhone』を作っているのはフォックスコムと言う中国の工場。此処では数ヶ月のうちに10人以上が飛び降り自殺をした。

原因は12時間以上の労働と過酷な労働環境だ。

中には34時間の残業を行い過労死で死亡した人もいる。

「iPhoneのカバーを開けたら『ヘルプ!』と言う紙切れが入っていた」と言うジョークまであるくらい。

この問題に関してスティーブ・ジョブズはどう答えたか?


『自殺は全て悲劇である、だがFoxconnでの自殺の割合は中国の平均よりも下だ。そして、我々は問題に対して真摯に取り組んでいる。』

このコメントに関して、別のブロガーが批判を加えている。

『この平均に関する討論は実はカモフラージュにすぎない。
自殺なんてめずらしいものじゃない。
しかしFoxconnの場合は、自殺者達が全員同じ会社で働いており、同じ場所で、同じやり方でそれを行ったということに怖さがある。
そうすることで、世間にむけて(めずらしくもない自殺を)とても特別なものに見せている。
彼らのやり方は薬を飲んだわけでも、手首を切ったわけでも、首を吊ったわけでもない。
彼らは飛び降りたのだ。ここがポイント、彼らは飛び降りたのだ。
飛び降りには他のやり方とは違う何かがある。
専門である警察や精神科医に聞いてみればいい。
飛び降り自殺には意味がある。彼らには伝えたいメッセージがある。

ウォールマートにはアメリカ国内で140万人の従業員がいる。
数ヶ月の間に10人から15人の従業員がウォールマートの店の屋上から飛び降り自殺した事件をを覚えているだろうか? 
ウォールマートが従業員に自殺しませんという念書を書かせたり、店の屋上に自殺防止ネットをとりつけたなんていう話を聞いたことがあるだろうか?
 もしそんなことがあれば、それこそウォールマートでは何かとんでもないことが起きているんじゃないかと思われやしないか? 
だったらもしあなたがこの立場にいたなら、ただ140万人中10人から15人なんて国全体の平均にくらべるとかなり低いじゃないかと言ってはしまわないか?

ちょっと引用が長文になってしまったが、資本主義での勝利者であるジョブズを薔薇と生ゴミで「お別れ」を言う、と言うのが変な気がする。


糞を備えるのが礼儀だろう。やはり。

2011年10月6日木曜日

生贄を


何となく書き連ねてみる。



「東電を国有化しろ!」

「東電を解体しろ!」

と言う声がある一方でアホの枝野は「生かさず殺さず」と言う。


確かに感情的には東電は一刻も早く解体して欲しいし、役員達は全て死刑にして欲しいのだが、現実問題として考えると東電を解体or破産or国有化する事は非現実的だろうな、と思う。

現段階では。


要するに福島第一原子力発電所を、どうにか出来る部門が現状、東電にしかないのである。


マニュアルは『墨塗り』と言う戦後の教科書のような状況だが、とりあえず日本で唯一「もしも原子力発電所がアボーンしたら」と言うシュミレーションを行った事がある部門って東京電力だけなんだよな。

こう言う動画も作っているし(東電ではなく独立行政法人・原子力安全基盤機構だが)


こう言う動画を持っていながら全く役に立たなかったワケだが。恐らく東電にしろ独立行政法人・原子力安全基盤機構にしろ、国にしろ、全国民にしろ「原子力発電所がぶっ壊れる」と言う可能性は

「核実験でゴジラが誕生して都内を大暴れ」

と言うのと殆ど変わらなかった気がする。



で、「国有化しろ」と言う意見だが、東電を国有化して原発処理に当たれば其れで良いのか?って気がする。国有化すれば物事は上手くいくのか?と。

国家機能と言うモノが放射能の前では全く機能していない。

「国有化」と言うが皆、何時から国をそんなに信用するようになったんだ?


例えば。


『消えた年金問題』がある。之は実は相当に凄まじい事件で、他国だったらクーデターが起きてもおかしくない(数人、殺されたが)事件である。

実際のところ『年金』と言う制度自体が詐欺みたいなモンなんだが、社会保険庁と言う国家機関が運営していた年金を皆で使っていた、って言う。

『社会保険庁』はお陰で消滅したが年金問題は実は全く解決されていない。恐らく解決するのは現在、年金をフル受給している連中が棺桶に入ってからだろう。


東電も国家も同じようなモノだと思う。


東電の歴史を紐解いても実際、半官半民と言うか限りなく官民に近い民間企業ではあるし。「解体しろ」と言う声は東電社員への嫉妬や妬みが相当に含まれているだろう。でも、東電社員程度の給与を貰っている連中は公務員だろうと建設業だろうと意外と多いもんである。東電が暫定TOPでもないだろう。



もしも「東電」を解体して国有化した場合



何が変わるんだろうか?原発処理に関してだが、現状は『東京電力』と名乗っているにも関わらず処理している連中は大阪や沖縄の貧民層から搾取する形である。

『出稼ぎ』と言う奴かも知れない。

個人的に『出稼ぎ』と言う観念が判らないんだが、家族や家庭を守る為に誰かが不幸にならねばならない、と言う観念が判らない。そんな事をしなくちゃ守れない組織なんて其れこそ東電と同じように破綻すれば良いと思うのだが。多分、こう言う考え方をする私は一生、家庭なんぞ持てない気がするが。

話を戻して東電が国有化されても処理班は別に公務員がやる訳でも消防隊がやる訳でもなく、結局、現状のように大量の死者数を出しながら他県の貧民層にやらせるに決まっている(恐らく既に死者は出ているはずである。行方不明者が妙に多すぎる)。

だって『消えた年金問題』を処理したのは誰だったか?って言えば

『もしもしホットライン』

『ベルシステム24』

『テレマーケティング・ジャパン』

と言った低時給で重労働な派遣会社である。貧乏で希望も糞も無い連中がやっていたわけで。

時給1000~1100円でね(交通費なし)。



原発は今は安定しているらしい。『安定している』と言うのがどう言う状態なのか判らない。煙はモクモクと出ていたりするし、8~7月に再臨界した可能性が非常に高いらしいし。



福島県の子供達の甲状腺に異常が見られるようになったらしい。

「遂に来たか・・・」

と仕事中に思った。もう暫くすれば都内でも同じようになるかも知れない。

と言うか都内に降り積もった放射能量は千葉、埼玉、群馬を抜いている。之で何の影響も無かったらおかしいだろう、って気がする。大人ですら鼻血や頭痛、ダルさが出たんだから。



この国は常に『子供』を生贄にして発展(?)してきた



「将来のために」だとか「未来の子供達の為に」と言う欺瞞と嘘八百で固めながら子供の生き血を吸う。誰の為に生贄にしているか?経団連やオッサン、オバサンの為だ。

オッサン、オバハン達の飯代の為に100人の子供を殺す。

俺には今の日本がゴヤの絵のように見えて仕方がない。




こうしている間も最大のデス・ゾーンである福島県及び原発処理の人々を殺しながらノウノウとしている私とアナタがいる。


この責任は東電と同じように我々も取らなくてはならない問題である。


思えば私も恐らく内部被ばくはミッチリとやっているだろうなぁと思う。私は予定はないが子供を持つ事が出来ないのかもな、とフト、思った。

だが『生贄』を作らなくても良い、と言う気もする。


公害で酷い幼年期を送った俺だけで十分だ、って気がする。。



群馬県の『珍宝館』に行って拝むしかないかねぇ。

kodona77.kuroki52@gmail.com

2011年10月2日日曜日

地デジ貧乏

フト、気が付いた。



と言うか我に帰った。


「私は貧乏である」と言う事実に。思えば2月は介護職につき

「ギャー!ボケ老人は手に追えねー!」

と我を忘れ、3月は震災にあい

「ギャー!日本終了ー!『北斗の拳』の世界がー!」

と我を忘れ、その直ぐ後には原発が爆発し

「ギャー!日本大陸完全被ばくー!俺もオマエも皆、溶けて死ぬー!」

と我を忘れ、暫くも揺れは収まらず

「ギャー!関東大震災が来るー!」

と我を忘れ、其の後は気が付けば仕事は消え、金も底を突き始めたので

「ギャー!仕事をしなくてはー!」
「介護どころじゃねー!」

となり元グッドウィルの子会社と言う馬鹿げた派遣会社に登録したのだが、思えば数ヶ月間、パニック状態だったので未だに治っていない。

しかし仕事をする事によって殆ど『治療』と言うか、言ってしまえば職場にいる間は外部の情報(震災関係)は全く入ってこないので何と言うか落ち着いていられる。
で、コールセンターには付き物なんだが「頭のおかしい奴」「腋臭」等も多数居る為、原発よりも、そう言う連中にウンザリする事によって気が別な方向に向いていたのだが、残念な事に会社に余り行けてない。


『起きたら17時だった』


と言う事が頻繁である。業種が云々ってワケじゃないんだろうが、そもそも仕事内容が絶妙の下らなさ、と言うか。

『総務省 地デジチューナー支援実施セ●ター』

なんだが、要するに『地デジチューナーも買えない貧乏人に地デジチューナを配る仕事』と言うか。

国の仕事の分際で給与が安いのである。泣けるほどである。

で、チューナーを貰う為には「貧乏人である事を証明する証明書」が必要となっており、之が意外と金が掛かる。で、ポイントは『チューナー』の支援だけであって『アンテナ』は実費なんである。アンテナは3~6万円。工事費を含めると10万近い。

で、チューナーの価格は2千円程度のモノ。

国家的詐欺・・・と言うか国がやる事は大抵は詐欺なんだが、電話をかけてきて「チューナーを下さい」と言う人は矢張り最高に貧乏人が多く、話を聴いていても「そりゃ貧乏にもなるよ」と言いたくなる人ばかりである。

因みに電話は何故か

1)大阪府
2)兵庫県

が圧倒的に多い。同時にクレームもこの2県からだ。大阪府は橋本知事と言うカスが仕切っているが「おいおい。偉そうな事を言いながらもオマエの県の奴等は禄でもないぞ」とTVで橋本知事を見るたびに思う。

個人的には地デジ以降自体が無理と言うか詐欺的なんだけども。恐らく全国津々浦々でTV視聴不可の人が続出する気がする。

まぁ私はTVを持ってないから別に良いのだけども。




で、フト、帰宅中に思った事がある。



震災とか原発とかで困っている人が沢山居る。で、多くの人達が被災地に行ってボランティアとか炊き出しとか行ったんだよな。何と言うか、その様子は

「ここぞとばかりに!」

と言うか。芸能人だけじゃなくて一般のボランティアも。やらない善よりやる偽善の方が良いに決まっているし、其処に不満も文句もないんだけどさ。

TVでは炊き出しに並ぶ人々が大勢映っている。「家も何もかも失った」と言う人がいる。「家族の安否もわからない」とか。着のみ着のまま逃げてきて、1ヶ月も風呂に入れない人達が続出した。

今回の津波は規模が大きすぎた。自衛隊を10万人も投入したは良いが、死体の数が多すぎたのと命令系統が上手く動かなかった事もあるんだろうが、頑張ったとは思うがショボかったと思う。


で、だ。


こう言う事を書くのは被災地に悪いって事は判っている。だけども書かせてもらいたいんだけども新宿中央公園~新宿西口駅地下ってホームレスのメッカなんだよな。

で、炊き出しとかやると毎回、350人以上の人が集まる。2年前は250人。1年で100人増えている。

ホームレスになるのって可也のモノだと思うんだよな。『打つ手なし』と言うか。
で、忘れされれているのは雇用問題とかで。ネットカフェ難民は今はどうなっているのか?『ハケン』と言う立場は今はどうなるのか?


『炊き出し』『住む家もない』と言う状態で言えば被災地もホームレスも同じなんだよな。

だが、多くの人々はホームレスに対してもネットカフェ難民に対しても「今すぐに死ね」と言う言葉しか持ち合わせないようにしている。

津波は行政レベルで被害は少なく出来た、と言う意見もある。其れを行政が怠ったから、こんなに被害が出たのだ。堤防を高くすれば良かった。避難訓練をキチンとやれば良かった。国が災害を甘く見ていた。嗚呼、可哀相!行政がしっかりとしていれば!嗚呼、可哀相!3食食べられないなんて嗚呼、可哀相!段ボールハウスなんて嗚呼、可哀相!

ホームレスもネカフェ難民にしろ若年層の雇用問題、貧困問題も之は確実に行政の問題である。自民党に任せすぎた。小泉なんて言う悪魔に皆、胸が躍った。労働組合が糞過ぎた。偉い人が何が解決してくれるはず。

しかしフリーターは安易な人生を選んだのだ。ネカフェ難民もそう言う生活を自ら選んだのだ。ホームレスも其処まで行く前に何もしなかったのが悪い。そう言う安易な人生を送る奴は死ね。人生は甘くはないんだ。そう言う生活を選んだのだから文句を言うな。文句があるなら死ね。


この乖離っぷりが凄いと思うのである。


被災地の炊き出しと新宿中央公園の炊き出し。何が違うんだ?と。

皆、新宿中央公園のホームレスを見て「汚い」と思うわけだよな。私も思うが。実際、精神的に崩壊している人も多い。

だが最近は様子も変わったかもしれないが被災地の1ヶ月も多分、あんな感じだったと思うんだよな。で、汚かっただろうし臭かっただろうし。身内がバカスカと死んでいて犬も歩けば死体に当る、って言う状況で正気な奴なんて居なかっただろうし。


物凄く印象的だったんだが『派遣村』が出来た時に全国中から「無駄な事をしやがって!」と言う罵詈雑言が飛び交い捲くっていた事である。

「連中は甘えているんだ。国が甘やかすから付け上がる。仕事がない、と言うが選ぶからないんだ!」

とか。そう叫んでいた人で被災地で炊き出しに並んだ奴はいるんだろうか。同じように被災地の人々の事を言う事も出来るだろう。

「連中は甘えているんだ。国が甘やかすから補償とか言い始める!家がないとか津波で流された、とか言うが、復興なんて自分達で勝手にやれ!」

「ヘドロの除去なんてボランティアに頼むな!甘えるな!自分でやれ!」

とかね。


被災地も可哀相だし、私ですら力になれるのであればなりたい。ボランティアに行こうか?と本気で悩んだ程である(朝、起きれない+ボランティアをやるほど経済的に豊かではない、と言う理由で却下になったが)。

だが

『津波』で流された人は可哀相
『経済』で流された人は自業自得


と言う構図が判らないのである。『津波』も『経済』も同じように凄まじい勢いで何もかもを流したじゃないか。


この勢いで書いてしまうが『脱原発』と叫ぶ。「エネルギーの在り方を変えよう!」「社会を変えよう!」と。

其れを何故、放射能が振るまで露ぞ考えなかったのか?と。

「子供の将来が奪われた」

と言うが、そもそも今の子供の将来なんて原発が爆破しようとするまいと絶望的だったではないか。


年間の自殺者は3万5千人。

津波で死んだ人は2万人弱


問題は死に方なのか?と。『自殺』は自ら選ぶ死に方ではない。
ハッキリ言っておくが、本当の意味での『自殺』は殆どない。

『自殺』は誰かが明らかに当事者を殺しているのである。完全犯罪と言っても良いのだが、其れは社会だったり会社だったり『伝統』や『国柄』『ルール』『因果』とか『経済』とか、之を読んでいる『アナタ』とか。そして之を書いている私かもしれない。



ジャーナリストやボランティアの人々が被災地の様子を刻一刻と送る。

「避難所ではこんな有様です」
「可哀相、嗚呼!可哀相」
「日本は一つとなってこの状況を打開しましょう!」

だが『派遣村』にしても貧困問題にしても、そう言う声は全く聴こえなかった。聴こえてくる言葉は「ナマケモノ」だった。


『脱原発』と叫ぶ人は多い。ミュージシャンも映画監督も役者も政治家も運動家も何処にも属さない人も。

放射能は誰彼構わず振る。

同じように経済の波は誰彼構わず振る。

『福島第一原子力発電所』で今、収拾に当っている人々は『あいりん地区』からの求人で来た人々が多い。ホームレスのオッサンや金がない奴だ。
昨年までは連中に「死ね」と存在を否定していた人々が今では

「頑張ってください!」

と涙目になって言っている。



私は原発に対してはアンチですよ。震災に関しても同情を禁じえない。普通の感覚だと思う。

だが、その前後を考えると今の風潮が不気味で仕方がない。

不気味、と言うより『違和感』とか『居心地の悪さ』を感じる。


俺だけか?




仕事の話になるのだが1日一件程度、被災地から電話が来る。10割が『福島県』である。地デジへの移行は被災地だと3ヶ月ほど延びたのだが福島県の人達は今すぐに地デジにしたいらしい。「らしい」と言うか電話を受けていて、そう言う印象を受ける。



原発から30kmジャストの町の人から電話が来た。

「農業をやってんだが仕事が出来なくなっちまってよぉ。で、孫が帰って来るんだが屋内退避だからTVしかねぇしよ。ところが震災で共用アンテナがズレちまってな。だから地デジにしたらTVが映るんだろ?」

とか。または南相馬市の人が

「屋内避難となったので地デジチューナーを付けてくれ」

とか。


「地デジの前に逃げろよ!孫?孫が可愛けりゃ他県へ逃がせよ!」

と思うのだが、何と言うか福島県の『グランド・ゼロ』地区の人々は「うちは被災していない!放射能なんて言うな!」と言うか。震災は別としても放射能に関しては一切、考えないようにしている・・・。この地区は30キロ以上だから問題はない。だから普通の他県と同じようにして欲しい。

そう言うニュアンスである。



被災地の復興が在る程度収まって。

また雇用問題などが出たとする。被災地にボランティアに行った人、炊き出しに行った人、炊き出しに並んだ人、避難所で過ごした人。津波で家族を失った人。


震災後も震災以降もそれらに対しては同じ事を言うだろうか。違う言葉を向けるだろうか。


私はデモに参加しているんだけども、どうしても斜に見てしまう。盛り上がっているし、其れは結構なんだけども、何だかねぇ、って気になる。



『2ちゃんねる』に書かれていた言葉で印象的だったのは

「日本人が騒ぐ時は「食い物」の時だけだ!」

とあった。放射能でメシが食えない、と言う事で規模が大きくなった、と言う見方も出来る。



俺が斜に見すぎか?俺だけか?