2018年4月29日日曜日

シケモクとLIVE UNDER THE SKY

は1977年生まれで、物心が付いたのは80年代初頭となる。




だから、80年代初頭の記憶はあるのだが色々と理解に苦しむ時代だった。
保育園の頃に「カー君はどんな女性が好きなの?」と聞かれた。当時、保育園の男子のマナーとしては

「松田聖子!」

と答えるモノだったが、松田聖子の何処が良いのか判らなかったし、あの『聖子ちゃんカット』と呼ばれる不気味な髪型が怖かったので「松田聖子の何処が良いんだ・・・」と思っていた。

もっと前の『山口百恵』の方が「お姉さん」っぽくて良かったのだが既に引退していたので「山口百恵」と言うと周囲が不思議そうな顔をしていた覚えがある。
なので「好きなタイプは?」と聞かれたら全く興味がないにも関わらず「松田聖子」と答えていた。



で、もう少し成長してみると、やっぱり理解が出来ないモノが多い。



80年代と言う時代は、どう言うモノだったのか未だに理解が苦しむ。
特に、未だに謎である

『チョッパーベース』

『スラップ・ベース』

の大御所である『マーカス・ミラー』は未だに「何処が、どう良いのか?」が理解出来ない。

まだ80年代感が凄い1991年の来日動画とか酷いもんな。





冒頭からマーカス・ミラーが乳首全開でスラップ・ベースである。此れは、1985年としては

「凄くセクシー」 

と言う事だったんだろうか。それとも単に

「前日に洗ったらシャツが伸びた」
「気に入ったシャツなのだが着すぎて伸びた」
「サイズが合ってない」

と言う事だったんだろうか。

ドラムの人とかも豚か?人間か?と言う体型である。此れは1985年としては

「凄くファットでセクシー」 

だったんだろうか。それとも単に

「元々、スリムだったが恋人に振られて過食した」
「ドラムを始める前は大相撲を好んでいた」
「実はガチホモで、デブ専」

と言う事だったんだろうか。


あとはアルト・サックスの黒んボの兄ちゃんなんて、この格好は何だ?。下着だし、ジャージだし、野球帽。だがサングラスと言うスタイリストとか『おすぎとピーコ』が見たら、鼻、耳、目から血を噴出しながら激怒しそうな出鱈目な格好だ。

こう言う格好は何処から来たんだろうか?

1970年代 
↓ 
ラフな格好でラブとピース 
↓ 
ベジタリアン 
↓ 
ベジタリアンは辛いので健康志向 
↓ 
ジョギング 
↓ 
1980年代から90年代初頭 
↓ 
ラブもピースも飽きたよ 
↓ 
やっぱり肉は食いたい 
↓ 
でも、健康志向は良いことだ 
↓ 
ジョギングは辛い 
↓ 
でも、健康そうな人は素敵! 
↓ 
『健康カジュアル』の確立 


と言う『時代の流れ』があるんだろうか。違う気もするが、そう言うふうに考えないと、この『ステージ衣装』は理解が出来ない。

1991年は日本はバブル経済だが、こう言う『健康カジュアル』がモテたんだろうか。思えば、当時はボディビルも盛んだったはずだしなぁ。

ダークサイドとして『DCブランド』があり、オープンサイドとして『健康カジュアル』。


または

『黒人は健康』 
↓ 
『元々、アフリカ出身なので健康じゃないと死んでいる』 
↓ 
『健康さをアピール』 
↓ 
『其れこそがブラック・イズム』 
↓ 
『サバンナの風を感じさせるCOOLなファッション』 

と言う、90年代のHIPHOPが信じられないスーツを着ていたり、サイズが合わない洋服を着用することによりゲットーorファンク感を出していたのと同じなんだろうか。

80年代→アフリカ 

90年代→ゲットー 

とスケールは小さくなったが「黒人!」みたいな。取り敢えず上記の動画の曲は死ぬほどダサいな。


此れは当時の人は「嗚呼・・・セクシー」「サバンナ・・・・」「アフリカン・ナイツ・・・」と思っていたんだろうか。 
って、アフリカン・ナイツって俺が好きな一風堂セピアじゃねぇかよ。 

(嗚呼。一風堂セピアはカッコいい・・・。「まるで、アフリカン・ナイツだね」って全然、意味わかんねーけど、「そうだよな!全くもってアフリカン・ナイツだよな!」と同意させる魅力がある) 




TPと言う楽器を演奏する為にJAZZは結構、聴いていたのだが『マーカス・ミラー』の良さは全く分からないし、未だに分からない。 
ってか 

『チョッパーベース』 
『スラップ・ベース』 

と言う謎のテクニックが理解が出来ない。「ンベンベンベッベッベンンン、ウン、ベッベッベ、ベーベーベ」と文字変換が可能な音の何処が『音楽的』なのか理解に苦しむ。 



1985年と言えば、この動画も全く意味が分からん。

ワカンネ━━(´Å`lll)━━!!
┓(´Д`*)┏さぁ? ┓(*´Д`)┏
(p´・∀・`q ゚+。:.゚ワヵンナイ゚.:。+゚ p´・∀・`q)


(Sex Machine Larry Graham & Stanley Clarke) 


曲名が『Sex Machine』と成っているが、イエス・キリストよりも偉いジェームス・ブラウンの曲とは関係がなさそうである。
少なくともコードもベースラインも『ジェームス・ブラウン神』との共通項はない。
一点だけ共通項を言えば

『黒人』

と言うだけ。で、この衣装は一体なんなんだろうか。

『シャツの胸を開ける』

と言うのが85年の男性マナーだったんだろうか。それとも、此れも上記の『健康カジュアル』の亜流なんだろうか。

『黒人だから健康』 
↓ 
『何しろアフリカのサバンナ出身なので健康じゃないと死んでいる』 
↓ 
『健康さをアピール』 
↓ 
『其れこそがブラック・イズム』 
↓ 
『サバンナの風を感じさせるCOOLなファッション』 
↓ 
『妙な寄生虫や疫病(当時、流行し始めたエイズ等)に感染してない事を証明』 
↓ 
『出来るだけ肌を露出して凄く健康である事をCOOLに都会的にアピール』 


と言う事なのか?


っつーか、この動画の酷さと言うか、こんなクソ以下の演奏でこの2人は一体、幾らのギャラを貰っていたんだろうか。
こんな演奏、この二人はセッションでチマチマと日々やっている事なワケで、時代を考えても、「この二人でなくては、こんなに素晴らしい演奏とはなりません!」とは思えない。

っつーか、単なる死ぬほどダッサいブルースじゃねーかよ!


Miles Davis Live Under The Sky 85にはマイルス・デイビスも出演している。服装も曲もダサいのだが、人によっていは80年代マイルスを生涯における最盛期と考える人もいる。
TPと言う楽器の音色や、奏法に関しては60年代よりも面白い、と言うか興味深いと言うか、研究に値すると言うか。




この時代のフュージョンで日本で言えば高中正義だろうか


このバンドで頭にゴミをつけてキーボードを弾きまくっている女性が後にケンイイシの売り込みをするのだから人生は分からんもんである。 
有識者曰く「高中正義はNWの人だった」と言う意見もある。どうなんだろう。
しかし「高中正義はギターで歌心がある」と言う意見には疑問がある。

ギターにコンプを死ぬほど突っ込んで、歌心もクソもねぇだろ。コンプレッサーと言うエフェクターの役割は『音列を整える』であり、歌って『音列が曖昧』でも良い部分じゃないのか?と言う疑問、愚問がある。


でも、Live Under The Sky Festival 1988の『サン・ラ』は凄い。この時は対バンがマイルス・デイビスなんだよな。マイルス・デイビスはサン・ラのついて、どう思っていたんだろうか。 

マイルス・デイビスが語るフリージャズはオーネット・コールマンだけである。何故かサン・ラについては語っていない(自叙伝でも、『M/D論』でも言及はない) 

内心はどうだったんだろうか。 

「音源、リリースし過ぎだろ!?コンプリートを目指す奴の身にもなってくれ!」 
「ライブ音源の音、悪すぎだろ!」 
「歌モノとインプロの乖離が酷すぎねぇか?」 
「ちゃんとピアノ弾けよ!」 
「こんな演奏なのに、メンバー全員が食えているって有りえねーだろ」 
「変な映画を作ってんじゃねーよ!」 
「フェラ・クティとお前ら、どっちが音源、多いんだよ?」 

とかだったりして。 



フリージャズで喜ぶ女性は今も昔も多くはないはずだし、この女性がサン・ラで『踊っていなかった』可能性も否めいないが(TV局の編集)、多分、サン・ラで踊っていたと思う。 

最近は見かけないが、昔、フリージャズのセッションなんぞに行くと、こう言う「それなりに肉感的な女性」が何故か一人くらい居たものである。 

この女性はその後、どうしているんだろう。 


「お母さんね、昔はサン・ラで踊っていたの。其処で知り合ったのがお父さんよ」 

と鯖を焼きながら息子(帝京平成大学文学部)に語っているんだろうか。または 

「お母さんも昔は色々と馬鹿をやったもんよ・・・だから、貴女の気持ちは判らなくもないわ。でもね・・・」 

と門限を破った娘に説いているのだろうか。 


1980年代の遺産は何処にあるんだろうか。 

実は皆無だったりして。少なくともJAZZ~フュージョンと言うジャンルに置いては「あの日の事は無かった事にしてほしい」と、メンヘラ気味の会社の同僚を抱いてしまった男性社員のような感じなんだろうか。 

謎だ。


2018年4月18日水曜日

峰不二子と言う人

峰不二子と言う人
渋谷に行ったら『峰不二子の谷間を盗め!』と峰不二子的なマネキンが飾ってあった。








峰不二子の体型だと肩が凝るので泥棒稼業は大変だろうなぁと思う。

そもそも、この体型を実現しているのは私が知る限り『叶姉妹』だけである。
叶姉妹の職業は娼婦であって泥棒ではない。
ゴージャスな身体で泥棒は難しいのである。

因みに峰不二子はルパン3世との間に子供が一人いる。息子も泥棒。アルセーヌ・ルパンの曾孫だからなのか、家業なのか。
『ルパン小僧』
と言う名前で短期間連載されたが、ルパン4世とはなってないらしい。





思えば峰不二子の両親はどんな人なんだろう。
謎が多いのはルパン3世も同じだが、峰不二子も謎が多い。
何しろ、大昔の漫画なので作者が「設定?そんな面倒臭いもん、あるかよ!?」って言うだかも知れないが。
ただ、推測は出来る。恐らく『鈴木いずみ』みたいに地方の郵便局で働く地味な人のような気がする。
両親は北海道(峰不二子の実家は北海道である)。職場内でお見合いをした関係であり、峰不二子の出産の際に妻は郵便局を退社。
2人の兄がいたが結核で幼い頃に死んでいる。
其のためか、父は帰宅すると一人、手酌で酒を煽り、一人ではしゃぎ、歌い。そして豆腐のようにグダグダとなって、妻が夫を布団まで連れて行く。
翌朝、前日と同一人物とは思えない程、ひっそりとした姿で出勤する。

そんな父を眺める10代の峰不二子。

その光景を良いモノとして眺めていたワケではない。ただ、父が何故、弱い酒を煽り、そんな父に愛想をつかさずに慕っている母の気持ちが理解出来ていたワケではない。


峰不二子も一旦は上京し、東西京北大学商学部を卒業たが(実はこの際にルパンとすれ違っている)、方言が直らず、地元へ帰省。両親の口添えもあり地元の信金(大地みらい信用金庫浜中支店)に勤める。
其の頃、職場の同僚だった吉田松陰にアルチュール・ランボオの詩集を渡された。
因みに、峰不二子のヴァージンは吉田松陰である。だが、吉田松陰には妻子がいたので恋は実らなかった。

  ここには希望はない
  立ち上がる望みもない
  智恵も不屈の精神も
  ただの責め苦に過ぎぬ

  見つかったぞ
  何が? 永遠が
  太陽と
  融合した海が

この数行の詩が峰不二子をフランス文学好きにさせた。
街中の本屋、図書館でアルチュール・ランボオからマルセル・プルースト、縦横無尽に読んだ。
其れは北海道浜中町にはない光景が広がっていた。
休日は自室でランボオをフランス語で音読していた。

Vous l'avez trouvé.
Quoi? Eternité
Avec le soleil
L'océan fusionné


フランス文学繋がりで、演劇or女優を目指して再度、上京。
早稲田小劇場に入団した。
文学座に入団したかったのだが、試験の落ちた。
其れでハードルが低い早稲田小劇場に入団。
まだ北海道の田舎町なので「劇団はどこでも同じでしょ?」と言う理由だったのだが、別役実の書く不条理演劇と峰不二子の体型は全く水と油だった。
しかも、先輩女優である白石加代子に虐められて(二人とも男癖が悪かった)退団。

早稲田小劇場にフランスがないのであれば、渡航すれば良い。

幸い、大地みらい信用金庫で働いていた貯金がある。
高額ではなかったが、飛行機代はある。



その後、憧れのフランスへ渡航し、タドタドしいフランス語をカフェの友人に馬鹿にされながらも「此れがパリ!」と毎日が楽しかった。永住を考えていた矢先。
ブレトン・ウッズ協定により、貯金が一気に半分以下となり貧困へ。
「こんなはずじゃなかった!」

一日をフランスパン一個と、コーヒーだけで過ごし、ガスが止まったので冬のフランスでは着こむしかない。
雨の中、コーヒーを買って自宅で呑んでいると、ふいに北海道浜中町の地味だけども、ささやかな生活を思い出してはアパートで泣く日々。

「あのまま信用金庫で働いてた方が良かったのかも・・・」

しかし、其れで駄目になるのは峰不二子ではない。
ある時、シャンゼリゼ通りを歩いている時に偶然見た落書き。そう、彼女が心奪われたアルチュール・ランボーの一片の詩に目を奪われた。

『燃え上がる忍耐で武装して、僕たちは光り輝く街々へ入って行くのだ』
Armé de patience brûlante, nous allons dans les villes brillantes、、、、、

呟くように音読した時、峰不二子は強いインスパイアを受けた。
そして、カフェで知り合った、嘗てアルセーヌ・ルパンと渡り合った『黒豹のアントワーヌ』と言う元泥棒(年金受給者なので泥棒は引退している)に泥棒のイロハを学び、独立してからはフランス式泥棒に日本の茶道をMIXしたオリジナル・スタイルを確立。

ランボーやフランス文学をも包括した泥棒スタイルは峰不二子の美貌もあり
『美しきヌーベルバーグ』
『東洋のゴダール』
と呼ばれカフェ文化でも話題となり、ボリス・ヴィバンの崇拝受けた数少ない日本人となった。
その後、アルセーヌ・ルパンの孫と結婚(嘗ての敵だったので、黒豹のアントワーヌは激しく反対したが、それが聞き入れられる前に98歳の高齢死んだ)。

息子:ルパン小僧を出産。
泥棒と言えども学歴は必要。
泥棒だけではやっていけない時代が来ることを峰不二子に分かっていた。

息子を法政大学か青山学院に入学させて、箱根駅伝のランナーになってほしい!と願っていたが幼少の頃からの万引き癖は治せず、中学卒。
そんな峰不二子は最近、閉経もあり更年期障害に悩んでいるが、当時の事を聞かれると

「皆さん、若かったからよ。でも、人生ってそう言うものでしょ?ケ・セラ・ヴィ、、、」

と言ってワインを口にするのであった。
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2018.04.26 (Thu)

アコースティックとエレクトロニクスの室内楽 30
chamber music of acoustic and electronics 30

http://acoele.tumblr.com
http://acoele-en.tumblr.com

¥2000 + drink (¥500)

26 April 2018 (Thu)
@ NextSunday (Asagaya / Tokyo)
http://nextsunday.jp
18:30 / 19:00
「多様性と対比」をテーマの一つとする「アコースティックとエレクトロニクスの室内楽」。今回はホンワカ系女子のうた声とエクスペリメンタル系男子のエフェクト音が交錯します。
シリーズ初出演のyamyは東京と長野を行き来しながら活動しているアーティスト。深みのあるアレンジと親しみやすいメロディ、柔らかい歌声を聞くことが出来ます。
海外でも積極的な活動をしているKO.DO.NA.は実験的なエフェクト・トランペットを中心に、どこか哀愁のあるロマンティックな音楽を聴かせます。
テリーヌとボンボンや作曲家としての活動など、幅広く知られている ふくいかな子はシリーズ2回目の出演。今回はソロでの出演です。
デンマークから来日するヤコブ・ドラミンスキーは、知る人ぞ知るパスカル・コムラードのグループにも参加していたアーティスト。個人的なユニットではソフトで心地よいドローンを演奏しています。近年は日本でも積極的に活動中。
先日 Dewfallレーベルからネットリリースをしたばかりのakeyはエクスペリメンタルな要素を取り入れた浮遊感のあるポップソングを奏でます。このライヴがリリースパーティーとなります。
どうぞお楽しみください。

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yamy
https://www.yamy.info

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ふくいかな子  Kanako Fukui
http://kanafukuin.tumblr.com

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— short bio

KO.DO.NA.
クラブDJ・即興演奏・現代音楽を経て、劇団唐組に入団。 退団後は劇中音楽の作曲や、Improvisation主体のバンドにて活動。 2006年 Musical For Kitchen Records より『小人の化学』をリリース。 2010年 ルクセンブルグの soundzfromnowhere より「riunione dell'uccello」をリリース。 現在は主に、西麻布「BULLET'S」六本木「SuperDeluxe」に出演。 2013年~2015年にかけてNY、韓国、デンマークにてツアーを行う。 また、舞台音楽・即興演奏・楽曲演奏と幅広く活動中。 2014年、デンマークツアーを行う。 2015年、コペンハーゲンのレーベル『HIPSTER record』より「Riunione Dell’uccello」リリース。 2017年、デンマークのコペンハーゲンとオールボーにて「チェリー・ミュージック・フェス」で出演。 また、舞台音楽・即興演奏・楽曲演奏と幅広く活動中。

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ふくいかな子
作曲とピアノと即興と歌と
幼少期よりクラシック音楽を学び桐朋学園大学作曲理論学科卒業後、現代音楽、即興音楽、ポップス、ロックなど幅広い分野での演奏や創作活動を行う。asamicro、若尾伊佐子などのダンスとの共演や、つむぎね公演「わを」、居間theaterなど、様々なアーティストとのコラボレーションで、多方面に参加。
主な活動に、秋福音(珈琲即興音楽集団)、川崎テツシと燃えるキリン、マルシア・ガルケス(文学パノラマポップ)、テリーヌとボンボン(活動休止中)
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ヤコブ・ドラミンスキー JAKOB DRAMINSKY
サウンドアーティスト。
主に即興音楽、ミュージックコンクレート、エレクトロアコースティック、舞台音楽等のフィールドを中心に活動。
1990年から2007年までスペイン、バルセロナの実験音楽シーンに加わり、活動の場を広げた。ビデオ・演劇のサウンドトラックも手がけ、自らの作品として8枚のCDをリリース。 さらに器楽奏者としては、フランス人ピアニスト Pascal Comelade のグループに参加(1991-2001) するかたわら、コンピューターテクノロジーを駆使しながら、ソロとしてベースクラリネット、ソプラニーノサクソフォーンのコンサート活動を行った。
近年、小津安二郎のサイレントギャング映画『非常線の女』『その夜の妻』にサウンドを付して上映するライブパフォーマンスを行う。
2017年、Henning Larsen Foundationのインターナショナルコンテスト「建築と音楽」で電子音楽作品『Yakushiji III』が 2nd prize受賞。
同年のツアーでは、amplified melodion, mini-guitar and floor-techを用いたパフォーマンスを行う。
日本国内での活動としては、2001年から、東京、名古屋、福岡、大阪において日本人のインプロヴァイザーとともに、さまざまなコラボレーションを行っている。
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SAWADA
20代、音楽雑誌 Marquee にて編集や執筆を担当。30代、退社後、サウンドエンジニアを志すと同時に、様々なバンドでドラムを演奏しはじめる。黎明期のゆらゆら帝国に在籍。40代、Marble Sheep のメンバーとして、2006年のヨーロッパツアーに参加。この時、伝説的なドイツのバンド Faust のメンバー Jean-Herve Peron に個性的なドラミングを認められ、翌年、彼の主催するフェスティバルに個人的な形で招聘される。2011年、ソロユニットsnare drum soloをスタート。2015年、アーティストビザを取得しドイツへ移住。ヨーロッパ各地のフェスやクラブで演奏経験を持つ。
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akey(アキ)
キーボーディストとしてバンドやサポート活動する傍ら、 映画の音楽制作の参加をきっかけに2007年より音源制作のソロプロジェクトakeyを開始。 2011年から、ソロライブ活動開始。 2012年1st アルバム「drawing」 2017年2ndアルバム「PopType-B」を発表。 現在は、自身の楽曲を色々な形態(インストソロ、バンド)で演奏、他バンドでも活動中。

2018年4月3日火曜日

DENON DP-300F /回転数

レコードプレイヤーがおかしい。




ターンテーブルは音楽家の分際でダイレクト・ドライブではなく、ベルト・ドライブの安いモノを使っている。
嘗てはDJなんぞも齧っていたのに、テクニクスもパイオニアも買ってない。

「聴けりゃ良いんだよ」

と言う主義だったので、安くても別に問題はなかった。ターンテーブルよりもスピーカーが重要だと思っていたし、実際、1万円程度で売られている安っぽいターンテーブルは見た目よりは酷くない。

ただ、1万円程度の安っぽいモデルは針圧が調整出来ないので大昔の人と同様に『一円玉を置く』と言う事で調整していた。


其れで、手に入れた『DENON DP-300F 』である。




見た目は素晴らしい。ベルト・ドライブにも利点はあってワウフラッターが起きにくいとか、修理が簡単と言うのがある(大半はゴムベルト切断だから、それは秋葉原に行けば解決される)。

で、クラシックを聴いてみると明らかに音がおかしい。半音ほど高い。

音に関して五月蝿い体質ではないが、半音も違うと困る。

此れがポップスやJAZZとか、Free Jazzなら気にしないかも知れないが(JAZZは、そもそもピッチがおかしい音楽だから)、クラシックだと非常に気になる。

ドビッシーやラヴェル、サティやバルトークを『クラシック』と呼ぶのは些か疑問があるが(印象派は20世紀音楽だ)、バッハでもチャイコフスキーでも良いのだが、半音違う、と言うことは曲の和音が違う、と言う事で、ちょっと無理がある。



まずは現状の回転数を確認する。


ストロボ・スコープがあれば良いのだが、ディスクユニオンに行くと置いていなかったのでネットでダウンロード。
だが、印刷の問題なのか上手く行かない。

其処で!

テクノロジーの力を使うことに。すわ、SIM無しのipone4sである。余りにもビンテージ過ぎてクソ以下の端末だが、此れが入る。

RPM_Meter
https://itunes.apple.com/jp/app/rpm-meter/id384865779?mt=8


120円だが、ストロボ・スコープが500~1000円を考えると安いと思う。此れは測定ボタンを押してターンテーブルに置いて回転させれば良いだけ。

測定すると33 1/3ではなく


『37~36回転』


である。

こんなに速いとは思わなかった。通常のレコードプレイヤーと同じように、側面に穴があるので、ドライバーで調整するが回転数は変わらず。


仕方がないので『DENON』に電話をしてみる。

「此れは仕様なのか?それとも改善策はあるのか?」

と尋ねると

「修理に出せ」

と言う。修理代は8000~12000円。







ふざけるな。







サポートセンターをたらい回しされた結果、そのサポートセンターの人が「基本的に修理だが、個人的と言うか『自己責任』をOKするなら教える」と言う。

「勿論、OKです」

と言うと、何のことはない。単に

『ターンテーブルの裏側に回転数を変える穴があるので、其処にメガネ用のドライバーを突っ込んで調整しろ』

と言う事である。其れで上手く行かないから電話してんじゃないかよ・・・と思うのだが、中身を開けてモーター部分を弄るのはちょっと自信がない。

色々とやって見ると分かったのだが、DENON側は「出荷の際に回転数を調整して出している」と言うのだが、ネットで調べると回転数が速い事が多いらしい。

回転数がおかしい!と言う人に対しては保証期間なら無料で修理だが、大半の人は

「いやー、レコードの音って良いですねぇ~。温かい音がします」

とテキトーな事を言っているだけである(周波数で考えるとレコードの音は決して良いワケではない)。

JAZZもそうだが、クラシックはLPで聴かないと駄目だ、と荻窪の月光社(レコード屋)の店主は言う。
LPじゃなくても良いんだけど、LP時代の演奏者の方がCD時代より確かに良い演奏と言うか個性的な演奏をしている。

グレン・グールドもLP時代の人だ(最晩年に一枚だけCDだが)。





DENONに「ドライバーで回しているが上手く行かない」と言うと、変なサポートセンターで

「嗚呼・・・此れは本当に恐ろしい事ですから、此れ以上は修理になってしまいます・・・」

と言う。

「恐ろしいって・・・」

「いえいえ。本当に恐ろしい事です!恐ろしい事態ですので、此れ以上の案内は難しいです!」

と言う。本当にそう言うのだからチョット、怖い。ツタンカーメンの墓ですか?と。

どうも、色々と辛苦して分かったのは


①メガネ用マイナス・ドライバーを突っ込む(100円均一で十分)





②突っ込みすぎたかな?と言うポジションになると回転数が45~50回転までUPする



(ターンテーブルの裏側に、こう言う穴がある)

③その状態でドライバーを反時計周り(音が低い場合は時計回り)に回す

④一旦、ターンテーブルを止めて再度、回転数をチェックする。
(此処でストロボ・スコープやRPM_Meterが役に立つ)

と言うモノだった。DENON側は「穴にすっぽりと入れて・・・」と言うのだが、すっぽりと入れるとターンテーブルが高速回転するので、ちょっと怖かったのだが、其れがデフォらしい。

ただ、此れはDENONの公式ではないので保証は出来ないが。


で、iphoneを置いてチェックし続けて、漸く33回転に落ち着いた。
37~36回転から33回転まで行くのは結構、大変だった。


ストロボ・スコープよりもスマホの方が役に立つ・・・と言うか本来はアナログにストロボ・スコープでヤリたかったのだが、何故か世田谷のディスクユニオンには置いてない。
下北沢の人々は、どうやって回転数を確認しているんだろうか。


回転数を正常に戻して聴いたチャイコフスキー:バイオリン協奏曲とグレン・グールドは最高だった。