2017年2月27日月曜日

生悦住 英夫さん





生悦住 英夫さんが本日、永眠されました。
RIP Hideo Ikeezumi, founder of PSF Records. Since I first met him at Modern Music in 1990, he was a hugely important part of my life. Possessor of a pair of the most individual and open set of ears I have ever encountered. ご冥福お祈ります。No words beyond that for now.
https://www.facebook.com/alan.cummings.395/posts/792356231833?pnref=story

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多分、ショックと言うか現実感がないから言葉に出来ないんだろうけども。
なんだピンと来ない。

生悦住さんの活動に関しては色々と思う。

思いすぎるほど思う。

罵倒や罵り、賛美から賞賛、嫉妬まで何もかもの言葉が出てきそう。

だけども、其れが言葉に出来ない。
きっと、それは言葉にしなくても良い事なんだと思う。
それを言葉にする、または言葉に出来るのは10〜20年後だと思う。




劇団唐組を退団してから。

90年代に進学でも就職でもなく、東京に出る、と言うのは今とは比べ物にならないほどハードルが高かった。

その理由が「劇団唐組に入団する」と言うモノだった。

だから、退団した時は「これから、どーすれば良いんだろう・・・」と不安になったし、数ヶ月ほど呆然として過ごしていた。




その頃に『モダーン・ミュージック』に行った。以前も行った事があるけども、Gモダンは憧れの雑誌だった。

店のカウンターに居た生悦住さんに恐る恐る話しかけてみたら気さくに色々と話してくれた。

で、「Gモダンで執筆させてくれませんか?」とお願いした。
当時、私は文筆がやりたかった。楽器も下手だったし、文章ならば得意だったから。

生悦住さんは

「どーぞ、どーぞ!此方こそお願いしますよ!」

と言ってくれた。
その一言が、どれほど私の肩を楽にさせてくれたか。

「なんとか、なる」

と思わせてくれた。




個人的な事情でGモダンに執筆する事はなかったのだけど、生悦住さんの『あの時の一言』だけで「唐組」と言う呪縛から少しだけ逃れる事が出来たし、思えば暫く辞めていた音楽への復帰も、生悦住さんの一言だった。



生悦住さんは幸せだったんだろうか?と思う。
PSFにせよ、店舗にせよ、空前絶後の事を行い、PSFからリリースされた作品を聴いて、私はどれほど救われたか。
Gモダンに掲載されていた盤は九州では手に入らないモノばかりだったが、あの雑誌がどれほど私の視野を広げてくれたか。
その生悦住さんは、空前絶後の活動で嫌な事もあっただろうし(主に金銭的な部分で)、どうだったんだろう、って。


どうだったんだろう、って幸せだったに決まってんじゃねーか、って気もする。
一人で、あれほどのリリース(しかも世界流通)し、その音源や雑誌によって後任と言うか若手が育ったワケだし、そう言う事を生悦住さんが狙ったとは思えないけども、九州の辺境だとか青森県の農村部からも「凄いです!」と言う人がいたわけだし。


今日はPSFの音源を聴きながら夜を過ごします。
生悦住さん。ありがとうございました。
私は貴方に救われた、多くの人の一人です。
お疲れ様でした。

2017年2月15日水曜日

My Funny Valentine

バレンタインだったらしい。





そんな私の夕食は牡蠣とほうれん草。





毎年、中学生の時のバレンタインを思い出す。
中学1年製の時。
仲が良い女子が居た。
九州の学校なので荒れた処があったが、私は余り気にならず。
で、その女子はルックスは悪かったが良い話し相手で、私の話を何時も笑いながら聴いてくれていた。
で、私も彼女を楽しませるために必死で喋っていた気がする。
で、まだ12歳か13歳。



そんな折。
バレンタインと言うものが来た。毎年、親や姉妹に貰うモノだったが当日は何故か父と私だけだった。
其処へ、その女子が来た。
ベルがなって父親が出たら、同級生なので
「か・・・カズタカ!女の子が来とるぞ!」
と父親も驚いている。
確か田北と言う名前だった(はず)。
その子が友人を連れて、私にチョコレートを渡してきた。ラッピングもされている。



「はい!」

って感じでぶっきらぼうに渡してきた。何故か、その子は何時もの田北と違う。気押される感じと言うか。
いつも笑っている田北と違う。
意味がわからず

「これ・・・義理チョコだよね・・・?」

と聴いたら、田北が物凄い目つきで

「違うよ!あんたの事、好きよ!」

と怒鳴られた。





思えば、その数週間前に机にラブレターが入っていた事があった。

『好きな人はいますか?』
『どんな女性が好きですか?』

とか、そう言う質問形式で、誰から届いたのか分からないし、どうすれば良いのか分からなかったので担任の教師に

「こんなのが届いたんですけど、どうすれば良いんでしょう」

と渡したら、

「・・・まぁ、あれだ。そういう事もあるから」

と何故か没収された。
で、教室に戻ったら田北と、田北の友人が

「ねぇ、ねぇ、手紙が入っとったんやろ?どーしたん?」

と嬉しそうに言う。

「分からん・・・。やけ、先生に渡した」

と言ったら

「・・・っふ。あんたって馬鹿ね」

と言われた。
その時の表情は私と同世代とは思えなほど大人っぽかった。
少し驚いた。




チョコレートを渡されて
「違うよ!あんたの事、好きよ!」
と怒鳴られて、愕然とした。で、口から出た言葉は

「うるさい、馬鹿!」

だった。




まだ、13歳なのである。女系家族育ちなのである。
だから、と言うワケじゃないんだろうけども自分が『異性の対象』となっていた事に驚いたし、驚愕したし、怖かったし、違和感だった。
田北と言う同級生の女子の事を異性として見ていなかったか?って言えば、彼女を笑わせるために、楽しませるために、思えば田北とばかり話していたから、何処か心はあったのかも知れないけども、自分では分からなかった。


もう少し年齢を重ねていれば違ったのかも知れないが、自分が『男性』である、少なくとも周囲からは『男性』として見られている事に強烈な違和感と、恐怖感があった。

そのチョコレートは貰ったは良いが、どうすれば良いのか分からなくて、食べる事も出来ないし、捨てるワケにも行かないし・・・と思い、家にあった『壺』の中に居れておいた。


翌日、学校に行ったら田北が

「あんた、あのチョコ、食べた?」

と聴く。もう、恥ずかしくて恥ずかしくて、

「捨てた」

と言ったら

「なーん!(何故だ!)800円もしたのに!」

と怒鳴られた。
その日から田北と話すことはなくなった。



それから3日後。
リビングで姉と母が、私が貰ったチョコをボリボリと食べている。
「あ!俺が貰った・・・」
「なんね?これ、あんたのね?変な処にあるけん、食べてしもうたわ。これ、美味しいわぁー」
と母と姉に食べられた。

田北とは、その後、班が変わったし、クラス替えもあって話すことは皆無になった。
今はどーしてんのかねぇと思うが。
嗚呼、誰が故郷を想わざる。


グズの本懐

何故か下痢である。




普段どおりの食生活なのだが時折、体内時計が狂う。

すると腸内が「っは!元に戻さなくては!」と利息だ、と言わんばかりに出る。

寝る前にヨーグルトを食べているのだが、その『利息』なんだろうか。
体内機能として『胃』に関しては16歳から34歳まで胃潰瘍に苦しめられたので『胃痛のセミプロ』と自称しているのだが、胃は慣れると何とかなる。激痛でのたうち廻った日々は『勝利と栄光の日々』だった。

だが、腸に関しては完全にブラックボックスだ。


胃痛や胃の不快感はある程度、コントロールが効くが腸は何しろ長さが凄いので理解が出来ない処が多い。

思えば胃癌で胃を全て除去したとしても腸としては「ほな、此方側でやりまっせ」と胃の代用として使えるらしい(食生活は変わるが)。


下痢で「とほほ」な時間を過ごしながら
『クズの本懐』
と言うアニメを観た。
先日、下北沢のビレバンに行ったらセル画が無意味に展示されていて「ふーむ」と思ったので観てみた。









びっくりした。

驚愕した。

唖然とした。

これが深夜12時以降に放送されているとは言え、これはチョット、過激が過ぎるだろ・・・。





嘗ては『ブラッドC』と言うアニメもあったけども(リョナ好きには堪らないらしい)、この『クズの本懐』って一話につき2回くらいエロ・シーンがある。

で、百合も多め。

以前、『響け!ユーフォニアム』と言うアニメが好きだったのだが1クール目は百合シーンが一回あって、2クール目からは味を占めたのか一話毎に百合シーンって有り様になり、

『吹奏楽部あるある』

だったアニメが、結果的に『百合』って言う。
(伝説の百合シーン)







『グズの本懐』はアニメとしては京アニ的なダイナミックさはない。
台詞と言うよりモノローグが延々と続く。
モノローグと言うより、詩である。

『詩』が肉体的なモノであるならば、この『グズの本懐』が肉体的(体液的)になるのは理解が出来る。原作はどーなっているのか知らないが。

ただ、詩として考えると中二病感もあるが『全編モノローグ』と言うか、アニメーションにする意味があるのか?って言う程のモノローグである(モノローグって基本的に詩だけど)。


ウィリアム・バロウズが小説家と言うより詩人である理由は彼自身が非常に肉体的な人だったから。
パティ・スミスの詩も肉体的な処があるし、ボブ・ディランはまるで飯を食うように詩を書いていた(歌詞だが)だし、そのボブ・ディランに言わせればシェークスピアも飯を食うように戯曲を書いていたからで。


ポエトリーと言うモノは切腹に近い。

って、俺はエロ・アニメに対して何を思っているんだ?って言うか。
まぁ、とりあえず練習して寝よう。