2012年7月30日月曜日

無題

俺は思うんだけどさ。

内部被爆に負けないように昆布を食え、とかイソジン飲め、とか彼是とあるんだけど俺は一切、そう言うことはしたくないんだよな。
そんなに被爆で死ぬのが怖いのかよ?って言うかね。

私も凄く怖いんだけども、1年半かけて考えたんだけどもクリエイティブとかアーティストとかって被爆して死ぬべきだと思うんだよね。俺も含めて。

其の間に次世代に残せる作品を大量に作って、最後は放射能で惨めったらしく死ぬ。

『死はその人の最後の教え』

らしい。だから、その「放射能で惨めったらしく、汚らしく死んでいく」と言う事も含めて次世代に伝えるべきだと思うんだよな。ヒロシマでケロイドを見せびらかしていた人のように。

今回の事故で被曝症状ってのが、どう言う風に出て、其れがどう言う結果になるのか判らない。だけども、例えば60年代の小劇場にしろ、バンドにしろ、戦後から続く文化に身を置いた側としては「被爆したくない」とか「放射能に負けずに」とかじゃなくて、遭えて死に向かう、と言う姿勢もあっても良いと思うんだよな。

ハッキリ言えば、この先、まともな子供が産まれる確立は増える事はないと思う。勿論、高齢出産なども理由としてあるけども、あんだけ浴びたんだモノ。3月~6月まで「被爆症状」ってのは出たワケだし。

そう言えば以前、足を骨折していた頃。

新井薬師寺のスペシャル・カラーズと言う店にコンテンポラリーダンスの公演を観にいった。友人が演奏をしていたから、それで、だ

だがダンスと言うかパフォーマンスは酷く低レベルで、最低最悪だった。名前を出しても良いくらいだが生憎、忘れた。
その時に激憤したのは「俺は足が動かない。お前らは身体を自由に使える分際で、何だ?!其のザマは!」だった。

何らかの障害を持つ側と、何の障害も持っていない側って、埋められない溝がある。

唯一の希望は芸術だと思う。あとは宗教か。

『放射能』から逃げる、または『被爆から逃げる』ではなくて『遭えて立ち向かう』と言うのが、此方側の仁義じゃないのか?と思ったり。


だけども、今後、子供を持ちたい人や子供がいる人達は都内から脱出してほしいけども。実際、そう言う人達は沢山いて、少し寂しいけども。

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