2019年7月31日水曜日

サウンド・ピクニック:金子 由布樹

私達がいる音楽界隈は色々な事を言われる(複数形にするな!とお叱りを受けそうだが)。
曰く

『音響系』
『ポスト音響系』
『ポスト・ノイズ』
『前衛』
『オルタナティブ』
『現代音楽』
『アンビエント』
『電子音楽』

等など。『ポスト』という人もいるが何がポストなのか分からない。
『音響系』と言っても青山オフサイトには年齢的に行けなかったので分からない。
ノイズ・ミュージックには敬意は払えど、彼等・彼女達と共に歩けない。
『現代音楽』と言うのはアカデミックであり、私達は『野良犬』みたいなモノである。

であれば、前衛だろうか。


『前衛』は戦場用語であり、その戦場の最前線を『前衛』と言う。私達の『後衛』が何処にあるのか分からないが、少なくとも『何処かの戦場』の『前衛』に居続けている。

前衛だから二等兵、または一般兵である。
そして歩兵である。

何処まで行っても歩兵でしかなく、将軍や少佐と言ったポジションではない。

ただ、一点。

その戦場の最前衛で戦っている、と事。その戦場の激しさを知っており、同時にそのスリルや興奮、アドレナリン・ジャンキーである。



金子 由布樹氏について書いてみようと思う。



どうしても氏については書いておきたい、と思うから(削除しろ、と言われたら削除するしかないが)。



フリージャズ、シカゴ音響系、クラブ、アヴァンギャルド、現代音楽と言った音楽の先を考えていた。
既に音源化されているミュージシャン達は『前衛』から降りていた。

何故か、此方も最前戦に行こうと思った。

だが、どう言う手段を選択するのか難しかった。だから、色々な手法を講じた。



金子 由布樹氏との初対面は2009年である。


その頃、六本木Super Deluxeと言うイベント・スペースで『TESTOTONE』と言うイベントが開催されていた。

私も似たような企画をしていた事もあり、オーガナイザーのキャル・ライアル氏と親しくなった。

その際に酒の勢いなのか、話の流れだったのか分からないが

「一度、セッションしませんか?」

となった。それで高円寺『円盤』でイベントを主催する事となった。



その時にキャル氏が紹介してくれたのが初対面である。




腰が低くて、やんわりとした口調。



事前情報がなかったのだが、直ぐに親しくなった。氏は素晴らしい音楽を出す可能性の塊であり、他の共演者の演奏に左右されない強さがあった。

その時はカセット・テープ(ループ式のカセット・テープだったと思う)と水中マイクをエフェクターで加工していた。

後に、氏はPCを使う音楽家だ、と言う事を知った。





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其処からの思い出をツラツラと書いても仕方がない。

だが、それが縁で、金子氏が梅原 貴久氏と組んでいる『polyphonic parachute』のライブを何度も見る事になった。

金子 由布樹氏のdreamyな音、そして梅原氏の戦前カントリーのようなギターは、其れは素晴らしい体験だった。

上手く言葉に出来ないのだが、アンビエントともエレクトロニカとも違う

『何処にも所属しない音』

が転がっていた。


『何処にも所属しない音』は、デレク・ベイリーを誰もが研究したし、ジョン・ケージを誰もが研究し、エリック・サティも研究した。

それは「何処にも所属しない音」の研究だった。


前世代には「フリージャズ」「ロック」と言った前世代には自由な音楽が合ったかも知れないが、そうではなく

『何処にも所属しない』

と言う事が目的だったと思う。


『所属』『ジャンル』になってしまうと、それは死ぬ事と同じような気がした。

少なくとも音は死んでしまう。なんとか砂粒のような音を積み重ねてサウンドを構築しているのだが、所詮は砂山であり、気をつけないと直ぐに崩れる。

『音楽』でありながら、『何処にも所属しない』と言うのは『ジャンル・レス』と言えば聴こえは良いが、子ウサギのように直ぐに死んでしまう、繊細な場所だった。


当時、金子 由布樹氏がどんな事を考えていたのか分からない。だが、金子 由布樹氏、同時代の音楽家は同じことを考えていた気がする。

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私がpolyphonic parachuteのライブを観に行ったりしていた頃から金子氏はレーベルを運営し始めた。

そして、自身のpolyphonic parachuteも音源を出す・・・!と言う。

レーベル運営なんて、誰も行っていなかった。そして、そのオカネにせよ、流通にせよ、何もかも不透明だった。

穏やかで、腰が低く、やんわりとした男性が、その修羅場に行く・・・と言うのは想像が付かなかった。
まだ、CD-Rで作品を出すのが精一杯だった頃なのである。

金子氏のレーベルは順調そうに見えた。だが、物凄くギリギリの路線を狙っていた。金子氏は何処から見つけてくるのか素晴らしい、そして『何処にも所属しない』ミュージシャンを浮上させていた。

その目利き(と言うと失礼な気もするが)は不思議で仕方がなかった。

だが、肝心のpolyphonic parachuteの音源は出来ていなかった。音自体は出来上がっていたが、ミックスダウンやマスタリングを自分たちでやっていたので、完成形が先になった。


そして、漸く発表された『polyphonic parachute』の音源は、長い時間を潜り抜けて、そして『再生可能なメディア』であるにも関わらず、何度、聴いても違う音に聴こえる、と言う偉業を達成した。

あの頃、最高に最強だった音源はpolyphonic parachuteのCDだった。これは間違いない。

サンプリングしようか?と思ったが、何処もサンプリング出来ない程、音に深みがあり、誰も真似が出来ないモノだった。




何処かで聴いた事がある音。

いつか観た風景。

何処かで匂いだ香り。

だが、それは何処か分からない。何処でもない場所。観たことがない風景。

しかし、行った事があり、観たことがある場所。

何時だったのか分からない。

産まれる前かもしれない。

死んだ後かも知れない。



金子氏は自身のレーベルを「POPSだ」と言っていた。確かにPOPSだった。



私事で恐縮だが、幼い頃の話である。

夜が怖かった。本当に恐ろしかった。寝ていたら死んでしまうのではないか?と意味不明な恐怖があった。
だから、眠れなかった。

それが解決されるのは、両親から貰ったカセット・デッキだった。一緒に貰った『ゴールデン・エイジ・ポップス』と言うテープには50〜60年代のPOPSが収録されていた。

九州の山深い、闇の中で小さなボリュームで再生されるオールディーズは、絹のように柔らかく、羽毛のように心を包み込んでくれた。


それがPOPSだった。


それが金子氏の言う『POPS』だった。


オールディーズが元々はロカビリーやロックだったのかも知れないが時間の経過と共に、熟成に熟成を重ねたウィスキーのように柔らかくなった。

「もしも、子供の頃に金子氏が音源をリリースしていたら、俺はもっと長く眠れたかも知れないな」

と思った。

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しかし、不思議だった。

金子氏は、やんわり、穏やかな風貌であるにも関わらず、どうして返す刀で尋常ではないアグレッシブさがあるのか。

普通に仕事をしながら、何処から見つけるのかトンでもないミュージシャンを発見したり、自身でも物凄い熱量でサウンドを構築していた。
同時に、イベントを主催したり。

一体、氏の何処にどんなヴァイタリティがあるのか・・・。

要するに私も含めて誰もが自分の事だけで精一杯だったのである。誰かを浮上させたり、熟成させたり出来なかった。

金子氏は関係がない話だが、嘗てRANKIN TAXIと言うレゲエDJ兼シンガーは、会社帰りにDJをしていた為、スーツでレゲエDJを朝までやっていた。そして、出社。

「そんな真似は出来ない」

と思っていたのだが、金子氏は涼しい顔で行っていた。氏の内心が涼しかったかは分からない。
逆にサハラ砂漠の熱風のような内面なのかもしれない。


金子氏の企画イベントで千駄ヶ谷に『LOOPLINE Cafe』と言うハコで演奏した。


其処には氏の『POPS』感とは程遠いミュージシャンも多く出演していた。勿論、集客は少ない。自分たちの熱意や熱狂と、他者が違う事は理解していたから、客数はどうでも良かった。
ただ、必死で素晴らしい演奏を目指していた。
それは金子氏の企画では何故か達成される事が多かった。

其処で初めて出会う人、素晴らしい音楽家と出会えた。

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此処まで書いて思ったのは「あれ?私は金子氏と一緒に演奏した事がない・・・」と思ったのだが、違った。

一度だけ一緒に演奏している。

それは『polyphonic parachute』で六本木スーパーデラックスに出演した時の事である。

確か20人近い人数で出演した。

音楽家ではない人も多く、普段は漫才をやっている・・・と言う人もいた。彼等・彼女達にピアニカや何かしら楽器を持たせた。


私は、その頃、あるバンドを脱退していた。脱退と言うよりも自然消滅だったのだが。
それにより、そのバンド・メンバー達とは決して良い仲ではなかった。

だが、集められたので、集まった。数年ぶりの再会だった。

リハーサルではピリピリしていたのだが(私と、元メンバー達)、本番が始まると何もかもを忘れた。

簡単なスコアと言うか指示表があった気がする。

音が始まると

『金子 由布樹』

『梅原 貴久』

と言う巨人に抱かれる形となった。


自分の音がモニタリング出来ていたのか分からない。誰が、誰の音か分からない。だが、演奏中は此れまでにない体験だった。


何処に連れて行かれたのか分からない。

何処に行くのか分からない。



幼稚園や小学校低学年の時の『遠足』『ピクニック』のようだった。誰かが軸をとって演奏するのではなく、両人による『サウンド・ピクニック』だった。


あれほど幸せな音楽体験は一生、忘れることは出来ない。


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実は氏が、現在進行形でやっている『鳴らした場合』に関しては実は聴いていない。色々と生活が変化したり、仕事などで聴くタイミングを逃したからである。

今回、こうやって書こうと思ったのは理由がある。



数ヶ月前。


江古田フライング・ティーポットで金子氏がベース、ギター、氏と言うセッティングで演奏をした。

1stは探り合いだった。


だが、2setである。


金子氏が何気なく『サイン波』を出した。


ピー・・・・


椅子から転げ落ちそうな程、驚いた。サイン波なんて誰でも出せる。取り立て難しいサウンドではないし、DAWだとプリセット音として入っている。

だが、氏が出したサイン波は途方もなく美しかったのである。

理由は分からない。


サイン波は誰が出しても『サイン波』である。シンセサイズで作れる音と言うモノではなく『音の元素記号』みたいな音なのに、途方もなく美しい!。

『ファウスト』ではないが「時よ止まれ・・・」とさえ思った。


演奏終了後に、サイン波について聴いた。


「やっぱり、出す人によって違ってくるんかも知れないですね」


と涼しげに言う。


話が前後してしまうが、金子氏は本を数冊書ける程のグルメでもある。料理の達人が『米』を炊くのと、素人が炊くのでは違ってくる。


あゝ、この人が作る音と言うのは『自画像』なんだな、と思った。


寝ても、覚めても、夢の中でも、胃袋でも音楽家。

だから、レーベルでも自分の企画でも、何でも彼の音になってしまう。彼は自主企画をやろうと、呼ばれて演奏しようと、何もかもを料理してしまう。


其れが『金子 由布樹』と言う巨人なのだと思う。

その真髄が、あの日の江古田フライング・ティーポットで見せた『珠玉のサイン波』だった。







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