2011年12月12日月曜日

『riunione dell'uccello』終了。

『riunione dell'uccello』終了。



1年2ヶ月ぶりにSDLX復活。

何しろ前回はライブ前に階段から落ちて足を骨折。折れたままライブ。その後、療養の為、帰郷。実家には調律が不味いがピアノがあるので作曲しようと思ったら何故か

『コマ撮りアニメ』ばかり作り、その為の曲ばかり。猫と蜜月の時間。東京に帰ってきてSEGAで働き、派遣会社の説教を無断で録音してYOUTUBEにUPしたら数ヵ月後に派遣会社から弁護士を通じて手紙が届いて一人で「へっへっへ」と思った。介護仕事を初めて、またSDLXライブを考えていたら震災と原発。で、介護職を離れて、地デジ推進会社へ。其処で震災ノイローゼを癒そうと思ったら、38歳のメンヘラ女にストーカーされた上に、ブログが派遣会社に見つかり「情報漏えい」と言う事で訴えられる寸前に。しかも時給1000円では、とても食えないので別の仕事に就いて、大嫌いなのスマートフォンのカスタマー。其処で小金が溜まったのでSDLXへ復活・・・。



と長い流れがあるのである。その間に何本もライブはやったのだけども自分の企画は、やはり緊張する。労力を全て注ぎ込んでしまう。



大昔の暗黒舞踏家は基本的に1年に1回~2回しか公演しなかった。その1回~2回の為に1年をかけて準備し、鍛錬し、そして全財産を注ぎ込んでいたらしい。だから大野一雄とか土方巽とか、その辺りの舞踏家は名声を手にしたが、名声はあっても途方もなく貧乏、と言う感じだったんだとか(大野一雄は食うものがなくてドックフードを食っていた、と言う伝説がある)。


なんというか今回はそんな感じだった。


対バンと言うか共演者は幾つか考えたのだけども1年2ヶ月ぶりと言う事もあり最も信頼できる、そして、まだ対バンしていないけども好きなバンドに頼もうと思った。『sebon』は3回ほど対バンしている。リーダーの秋房氏とは何度も会っているし、其れに好人物。思えば競演もしているのである。

秋房氏に言わせると初対面の際、私が秋房氏に最初に発した言葉は


「ねぇ!ねぇ!あの女!滅茶苦茶、乳がデカくね?すげー!」


だったらしい。多分、事実である。


フライヤーを印刷する。このフライヤーだが、考えてみると多分、どんなに綺麗に、どんなに大量に配っても殆ど意味を成さない気がする。だってフライヤー一枚でライブに行った回数が私ですら多くはない。

ネットが普及するまでフライヤーだけが全情報だった、ってのはあるし一枚のフライヤーで出会った人々も多いし『紙媒体』の力強さは分かっているが、やっぱり意味はないと思う。


フライヤーと言うモノの意味合いとしては未だと『宣言文』とか、そう言うのに近い気がする。


学生時代、イタリアの『未来派』が好きだったので『宣言文』は重要である。イタリアの『未来派』も矢鱈と『宣言』しまくっていたし。殆どが無意味な『宣言』だったが。


で、フライヤーが出来上がってSDLXに持っていったら店から「Baby Copperheadと言うミュージシャンを出演させないか?素敵なミュージシャンだよ」と言われた。NYの人で、バンジョーとエレクトロニクスをやる、と言う事しか、その時は知らされなかったが『感』で「いけそう」と思い、その場でOKした。


変なドレスさんは専属である。彼女抜きには私はライブは企画出来ない。


1年2ヶ月の間に何だか10年の時間が流れたような気がする。物凄く長い時間が流れた、という気がする。

確か震災後、初めてのライブって『デイブ・マクホン』氏とのディオだったのだが、最初にデイブ氏とメールしたのは震災後の心境をメールで語り合う、と言う事からだったし。デイブ氏の文面が印象に残っている。


「あの日以来、物凄く遠い場所に来てしまった気がします・・・」


そんなワケで「初めてライブ」みたいなワクワク感と緊張感が入り混じる。今回は新曲も。


音楽家は『自営業』である。自営業とは言え会社である。会社の繁栄させる為には何か?



その為に長年、考えていた方法が『ループマシン』と言うエフェクターで出来る事を知った。ライブが決まるまで『ループマシン』と言うエフェクターの存在そのものを知らなかった。で、仕事中にネットで調べたりしてVOXの奴を購入。1万6千円だった。私にすれば


1億6千万円


に近い。で、この『KO.DO.NA価格1億6千万円』のエフェクターの為に連日、スタジオに入って作曲。


で、当日。


とりあえず前回と同じ靴と同じ服装である。だから可也、怖かったのは


「また階段から落ちて骨折」


と言う事だった。だから今回のライブの最大の目標は


「直立二足歩行で帰ること」


だった。新しいエフェクターは2・5キロで、カシオトーンも持参したので兎に角、重たい。何とか会場に着いて『sebon』『Baby Copperhead』『変なドレス』と店側と打ち合わせ。で、スタート。


今回は『初めてのライブ並』のドキドキとワクワクとスリルがあったので『ピヨピヨマシン』も前回の30個から37個に増設。



iPhone4sと言うアップル社如きが新モデルを出したので、有限会社KO.DO.NAも『新ピヨピヨ・マシン』を出さなくてはならない。中国福建省のフォックスコムの工場をフル稼働させ、工員が数ヶ月で10数人も飛び降り自殺するような体制で『ピヨピヨマシン2.0』を作った。


ところが多めに作った事が裏目に出た。19時半キッカリにスタートする予定が37個を配るワケで、一人一人に1分以内に説明と依頼をしても37分間掛かるのである。予定を20分押してスタート。


で、終了。


演奏中、エフェクターが誤作動を起こしたりし、ケーブルを踏んだらフェーダーが降りてなくて「ボン!」と言う音が3回位したりしたが何とか終わった。


珍しくMCをやった。原発と公害と郷里の思い出について。


「伝わったのかなぁ」と思ったが友人曰く「伝えるには短すぎる時間だったかもしれないね」と言う。

確かに原発を語る、と言う事はエネルギー産業を語る、と言う事である。エネルギー産業を語る、と言う事は『国家』を語る、と言う事になる。『国家』を語る、と言う事は『国家の未来』についても語る、という事で、もっと言えば『世界を語る』となってしまう(其れを語りきったからマルクスとフーコーは凄い)。

話している内に感情が上がってしまって声が震えてしまった。


最後の曲は『テープ巻き戻し』『ソリスベリ』なのだがカシオトーンがあったのでリズムボックスを鳴らす。丁度、目に付いたのが『ディスコ』と言うボタンだったのでポコチャカポコチャカ。

あの『テープ巻き戻し』は実は『ヤン富田』を半年間研究して作った『曲』なのである。半年かかって3分程度の曲なんだが、シュトックハウゼンも3年間、ウィーン初年合唱団の子供を毎日、研究所に通わせて作った曲が


『少年の歌』


と言う10分程度の得体の知れない電子音楽だから筋は通っている。


終わって持参したCD-Rは6枚くらい売れた。で、同時に『物販の限界に挑戦』と言う事で


『羊毛フェルト猫』


を2体ほど売ってみたら売れた。


そう言えばライブ前日に以前、黄金町で演奏した際の動画を見ていた。これまで自分の演奏部分しか見ていなかったのだがCDを封詰めしたりしながらだったので最後まで聞いていたらピヨピヨマシンを配られたお客の声が入っていた。


「えー?これ、回収するって言っているよ。どうする?」

「だって、これ、くれるんじゃなかったの?」

「どうしようか?」

「黙っていたら良いんじゃない?」

「あ~w。じゃあ、黙ってよーっとw」


声の主は当然、その後、ライブには来ていない。ふざけるんじゃない!今すぐに、たった今、黄金町から杉並区の俺の家まで返しに来い!今、来い!今、すぐだ(現在、深夜3時50分)!


これだから『県民』はぁ!


で、『都民』は?と言うと37個配ったのだが帰ってきたのは


30個


毎回、仕方がないので『ピヨピヨマシンの巣立ち』と呼んでいるのだが7台が巣立った。


終わって緊張や色々が解けたのか風邪気味。フラフラする。


追記


今日、スティーブ・レイシー(ss)が04年に死んでいることを知った。スティーブ・レイシーはCDで初めて聴いたときに「ソプラノ・サックスでここまで出来るのであればTPでも出来るはず!」と大いに自信付けられた。奏法とか凄く影響を受けた。仕事中に静かにショックを受けた。



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