2016年1月6日水曜日

自由の壁とヒップホップ

『自由の壁とヒップホップ』と言う映画を観た。







思えば昨年末から映画を良く見ている。骨折と映像配信サービスの会社に入った為かと思われる。

『Once Upon a Time in America』は別格と言うか映画として最高すぎる。『ゴッド・ファーザー』も観て見ようと思っている。


で、『自由の壁とヒップホップ』。


パレスチナでヒップホップをやる若者を描いたドキュメンタリーである。

正直、パレスチナ問題に関しては判らない。恐らくパレスチナに住む当事者もわからないだろうし、其処に兵士や爆撃をやっているイスラエル側にも良く判ってないだろうし、兎に角『パレスチナ』と言う場所は難解過ぎる。


ただ、其処でヒップホップと言う手法を選ぶ若者達の視点と言うか、其れが良かった。

「俺達は戦いを求めているワケじゃない。平和を求めているんだ」

「秩序が欲しい」

「平和を求めながらも、平和からつきはじかれる」

ガザ地区、アラブ地区、イスラエルといった国でヒップホップを通じて自国の現状、自国の歌を歌う。


「俺達の30%はヒップホップ(アメリカ産)。そして30%は文学。そして残りは・・・あれだ」

と窓の外を指差す。


正直、パレスチナ問題を勉強するよりも判りやすい。彼等は壁で覆われているが『ヒップホップ』と言う手段によって『のみ』、繋がる事ができる。


ちょっと面白かったのはガザ地区のラッパーがインタビューを受けている最中にマシンガンの音がする。

「・・・?あれ?遠くのほうだ。大丈夫だよ」

と言うシーン。

「あれ?これ、何か知っている光景だな」と思った私の郷里『北九州市』だった。思えば当時は渋谷系なので、お洒落して街を歩いていて、銃声がしても誰も気にしていなかった。


『日本のシリア』


とは良く言ったもので。因みに北九州市はブルースとハードコアである。


パレスチナのラッパー達は日本よりも送れて情報を受け取っている。そもそもCDが手に入らない、と言う事情があるが。

だが、彼等が歌うヒップホップは彼等、彼女達の『現実』である。


「夜になると虹が見れるんだ。赤、青、黄色のね」

と爆撃弾。


で、観ながら思ったのだが「何で日本の音楽を含めてアートは現実感が乏しいのか?」と思った。


アラブはアラブで政治的な問題を歌わざるを得ない状況であり、其れが観客に伝わる。

で、日本だと非常に伝わりにくい。


戦争がないから、と言う理由じゃないと思うんだよな。日本の状況は正直、目も当てられない程、酷い。

縄文時代から始まる日本の歴史至上、これ以上はないって位に酷い。

放射能汚染、アベノミクスの失敗と今後の恐慌、若年層の雇用問題と税金と、少子化と高齢化。

FACEBOOKの『意識が高い人々』は「戦争が始まる!」と叫ぶが軍備は予算縮小なので、再軍備は難しいだろうなぁ。

とりあえず、日本は非常に貧しい国になっている。



しかし、手取り15万円の介護職者でもiponeを持つ、と言う意味不明な状態。


『格差社会』と言うが、格差じゃないんだよな。正社員と派遣と言う『階級社会』なんだよな。


ならば階級闘争が起きるもんだが、階級社会になるまでの過程が緩やかであり、実感出来るほどの速度ではなかった(または巧妙に作られた)物だから、現状、自分の『階級』が下の下、と言う事を認識している人は稀だ。


資本家が労働者から搾取するのではなく、労働者が労働者を搾取する、と言う構造になっている。


「この壁だ。この壁を前にすると自分が小さく見えてくる」

「だが、俺達の敵はこの壁だ」

とエリアや刑務所の壁を前にパレスチナのラッパーは言う。しかし、明確に『敵のモニュメント』があるのはステージ・パフォーマーとしては楽な気もする。

例えば奈良県民が『奈良の大仏』を前にして

「この仏像だ。この仏像を前にすると自分が無力で小さく感じる」

「だが俺達の敵は、この仏像だ。」

とは言わない。牛久大仏でも良いんだが。




日本のアートと言うのがイマイチ、ピンと来ないのはリアリティの問題だと思う。

『アーティストは世を問う者である』

と言う人もいるのだが、問わなくても良いと思うし、もっと言えば『問いかけ』が伝わらないんだから仕方がない。

日本人にとって『アート』と言うのはディズニーランドであり、辛い仕事や環境を忘れさせてくれるモノでしかない。

今日、地下鉄の広告でボブ・ディランの来日公演の広告を見た。

S席で2万ほどする。

「音楽なんて無価値なんだから、違法ダウンロードなんて気にしないよ」

と言うディランに2万円!

ボブ・ディランの歌詞にせよ、詩にせよ、日本の人達にとってはディズニーランドでしかなく、だったらディズニーランドに行ったら?って思う。



なんだろうなぁ。



日本、と言う国にとって『ロック』『ヒップホップ』と言った音楽は兎に角、リアリティがない。そもそも、リアリティを問うモノでもない、と言うか。其れはショート・グラインドでも、デス・メタルでも、アンビエントや音響系も同じなんだけども。

必然性が気薄と言うか。

そんな気がする。

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