2018年1月6日土曜日

美しい日本の伝統文化

世間が言う
『日本の伝統文化』
と言うのは、殆どが頑張っても明治時代、大半が60年代である。





上記の論文を参照にすれば天皇と言う存在の在り方は明治時代と江戸時代は全く違うし、天皇と言う『伝統的な存在』ですら昭和天皇の登場で様変わりしている(そもそも、皇太子であり、天皇と言う役職が決まっていた奴が海外に行ったのは昭和天皇の『韓国訪問』『欧州訪問』が初である)。


初詣→戦後

演歌→70年代

津軽三味線→60年代

和服→戦中に廃れて、戦後に壊滅

天皇→明治時代に成立。それまでは貧乏公家

神道→明治時代にでっち上げられた元祖オカルト

結婚式→地域にバラつきはあるが、現在の形式は戦後

離婚→意外と古くからある。離婚がタブーとなったのは戦中だろう。

米食→全国的に食い始めたのは60年代以降

浮気→石田純一の登場とベッキーの失速まで。

雅楽→事実上、応仁の乱で消滅した。今の雅楽はムード歌謡。

お盆→これは実際に古い。明治~昭和に消滅したが不死鳥の如く復活。

家制度→昭和です。

長唄→明治時代。

浪曲→明治時代に登場して消滅寸前。



こうやって考えてみると、大半の伝統は『明治』に入ってでっち上げられ、昭和の乱世で確立された。
で、その昭和と言うのはたったの90年前なのである。
だから、老人ホームでクソを垂らしている老人は「次々と作られる『古来の伝統』」を知っているのである。


じゃあ、日本の伝統って何か?って言えば坂口安吾の『日本文化私観』なんだけども、坂口安吾の望みは遠く演歌、津軽三味線、長唄、天皇は

『伝統文化』

になっている。



で、此処で考えるのだが多くの『伝統文化』が戦後から60年代に成立している事を考えると例えば

『エレキ・ギター』

『アンプ』

『EDM』

『Noise』

『国立文化』

『アイドル』

『ファズ』

『フランジャー』

『ワウペダル』

『細身のスーツ』

『ナンパ』

『ヤリマンとヤリチン』

『ハード・ロック』

『ロカビリー』

『JAZZ』

『フリージャズ』

『ケータイ電話』

『シンセサイザー』

なども

『日本の伝統』

と呼べるのではないか?と思う。エレキ・ギターも高度経済成長期無しには考えられないし、ファズ(エフェクター)やフランジャー、ワウペダルなんて日本の女工さんが作っていたワケだし、エレキ・ギターの『グレコ』なんて今ではビザール・ギターとして海外で受けているから『世界が感動した日本の匠!』と呼んでも差し支えがない。
(この演奏で多用されるユニヴァイヴは日本製)


JAZZは昭和3年にヒット曲を出しているが、大正時代に普及した。
戦争が激しくなって「踊らせないJAZZ」が考案されて、SP盤もある。
だから、ビ・バップだ。ビ・バップを追及するとフリージャズになる。


『ヤリマンとヤリチン』は『谷崎潤一郎:痴人の愛』に登場するナオミがいる。
15歳でヤリマンと言う設定。しかも連載は大正時代だ。

「ナオミさんは初潮の頃から、日本の伝統文化を次の世代に繋げるためにヤリマン活動に余念がありませんでした。そんなナオミさんも閉経となり、ヤリマン文化は後継者不足に悩んでいます」

とNHK文化放送がやりそうな感じもする。

EDMやNoiseを『NHK電子音楽センター』で考えると1954年だ。
で、Noiseで言えば『非常階段』が1979年だから70年代だ。
で、演歌の成立が70年代なので伝統音楽と言っても差支えはない。

黄河は小水を叱らず、と言うではないか。歴史を見る為にはスケールは大きい方が良い。

で、1979年は山口百恵が全盛期の頃であり、フリージャズ派で、山下洋輔の友人であり、評論家の平岡正明が『山口百恵は菩薩である』と言っている。AKB48を論じる有識者は山口百恵の『菩薩論』に端を発する。
嗚呼、これも美しい日本の伝統。

『ケータイ電話』は「移動可能な通信装置」と考えると、黒電話を抱えて妙年の女性は部屋をウロウロしていたものである。此れも昭和だから伝統。

ハード・ロックの定義は曖昧だが『ザ ダイナマイツ』がトンネル天国でデビューしたのが1967年でギターは歪んでいる。




『細身のスーツ』『ナンパ』は60年代の『みゆき族』や『六本木族』がいる。


だから、繫華街でナンパも伝統行事だ。

「靖国さんは日本の伝統文化であるナンパを、16歳から欠かしたことがありません。18歳で六本木の石田純一と呼ばれた靖国さんは今年で55歳。54歳の頃にEDとなり、バイアグラの服用を余儀なくされました」

「護国さんは16歳の頃から故郷の伝統文化である『ヤリチン』を欠かせた事がありませんでした。18歳で毛じらみ、19歳でクラミジア、21歳の頃に梅毒となりましたが、伝統文化を次の世代に繋げる為にヤリチン文化を続けてきました。しかし、護国さんは昨年、仕事中にヘルニアを発症し、ギックリ腰。『いや、やっぱ歳には勝てんですよ』。笑う護国さんは腰痛ベルトを着用しながらも若い人々へヤリチンの良さや歴史を語っています」

とNHK文化放送。


そう言えばYMOも1977年結成だから『70年代文化』なんだよな。で、その70年代文化の大御所が『山口百恵』であり、その対極に『永田洋子』『重信房子』がいて、YMOの対極には、ある意味ディストピアな『非常階段』がいて、別のステージには石川さゆりが『津軽海峡・冬景色』と言う絶望的・壊滅的・破壊的なディストピア演歌をヒットさせている。
そう言う意味では70年代後半と言うのは可也、絶望的でディストピアだったんだろうか。


こうやって見ると「伝統文化」となったものと、「伝統文化」にならなかったモノの差と言うのは何だろう?と思うのだが、やはり

『国家』
『大企業』
『経済』
『流通』
『マーケティング』

なんだろうなぁと思う。大々的に、必死で、死ぬ物狂いでマーケティングしている呉服市場なんて、死ぬ気でマーケティングしているのに、実際に死ぬ気じゃなくて、死んでいる、と言う有様なんだが。



母親に「父の和服をちょーだい」とお願いすると、大島紬の着物が出てきた。
男性の和服は簡単なので1時間ほど練習したら着れるようになったが、父の和服ではなく、実際には祖父の和服。
祖父は貧乏農家から軍曹に上り詰めた鬼神で、お金持ちになったが服装にはトンと無頓着で薄汚い。
其れで駆け落ちで結婚した妻(私の祖母)が「良い男なのに、勿体ない」と作ったモノ。
だが、祖父は明治の人なので私より身体が小さい。
あと、古いモノなので小物がなくて近所の呉服屋に行くと、矢鱈と、執拗に高額なモノを進めてくる。
もう、『倍プッシュ』である。



「アホか!30cmの紐に1万円とかふざけんな!」
と思ったが、「こりゃ、和服を着ようって奴が居ないワケだ・・・」と思った。
演歌歌手が着用する着物は300~500万円らしい。
で、日本に観光にくる外国人にレンタルされる着物は二束三文で中国製のポリエステル。だが、値段だけはボロ儲け。

伝統文化は儲かる。

多分、『伝統』と言う名により『ぼろ儲け』出来るモノだけが『伝統』となれるんだろうなぁと思う。

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