杉田水脈と言う自民党議員が新潮45において
《例えば、子育て支援や子供ができないカップルへの不妊治療に税金を使うのであれば、少子化対策のためにお金を使うという大義名分があります。しかし、LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供をつくらない、つまり「生産性」がないのです。そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか。にもかかわらず、行政がLGBTに関する条例や要綱を発表するたびにもてやはすマスコミがいるから、政治家が人気取り政策になると勘違いしてしまうのです。》
と発言して問題になっている。
此れについて
「人間に『生産性』だけを求めるのか」
「LGBTBを馬鹿にしているのか」
「生産性がない人間は死ねと言うのか」
と色々な御意見がfacebookにせよ、ツイッターにせよ、正義感を持った正しい人々が逆鱗している。
私も生産性が非常に低い人間なので「ふざけるな」と思う。だけども、こう言った事を瞬間湯沸かし器的に激怒して良いのだろうか?と思う。
この怒りは杉田水脈と言う特定人物だけが所有する思想なのか?。
ちょっと、考えたいのだけどもさ。
この人は『みんなの党』出身だけど、事実上、『日本維新の会』からデビューしてんだよな。
その後、自民党議員となっている。
この来歴だけで分かると思うのだけども『日本維新の会(ex大阪維新の会)』の成り立ちから考えないと不味い。
大阪維新の会が、常に馬鹿げた事を発言していたのに、支持されてきたのは『橋下徹』と言うカリスマである。
この『橋下徹』は都民は「クソ」と言う評価だけども『大阪府』とは言え『東京以外』である『地方時自治体』の代弁者だった、と思う。
311で露見したはずなんだけども(何故か皆、忘れているよね)東京都と言う特殊な都市は地方を搾取する事だけで成り立っている。
その地方時自治体には雀の涙のような公共事業を渡すだけで、江戸時代の大名よりも激しい搾取を地方時自治体から行っている。
此れが大前提である。
地方の風景がぶっ壊れるのは、地方時自治体が馬鹿だから、って言うワケではなく、ぶっ壊すのは飽く迄も『東京都』である。
そう言った状態に戦前から戦後、今に至るまで我慢していたのが地方の人達であり、橋下徹と言う人物は(物凄く的外れだったが)、その中央集権にNONを突きつけた(ポーズだが)ってのが大きい。
だから、橋下徹と言うのは地方在住者の代弁者だったし、その彼が設立した『維新の会』も、そう言うモノである。
だから、何が言いたいか?って言うと杉田水脈の「生産性がない奴がのさばるな」と言うのは、杉田水脈だけが主張している事ではなく、私達が余り出会わない地方在住者達の『一般論』となる。
LGBTBと言う運動が盛り上がっていて、稲田朋美と言う元防衛大臣もパレードに参加したりしている。
此れは非常に『自民党的』なんだよな。
稲田朋美がLGBTBを人権の問題だから!と叫ぶ背景には、其れを味方にすれば、または其れを活用すれば国益として良い(儲かる)からであって、人権なんぞはクソの足しにもならん(日本と言う国が人権を尊重した事は有史以来、一度もない)。
言ってしまえば自民党が考える事なんざぁ、そんなもんである。
其れに対して『身も蓋もない』事を言ったのが杉田水脈と言うだけである。長期的な投資ではなく、短期的な投資に対してリターンがない!と言う発想だと思う。
稲田朋美はLGBTBをプッシュするのは腐っても大臣なので長期的なリターンを考えてである。
其れに対して田舎者である杉田水脈の考えは短期的なリターンである。
だから、二人共、『生産性』と言うモノを念頭に置いていて、其れに対してのアティチュードが違う、と言うか。
正直に言えば、LGBTBや同性婚が認められる日は、遥かなる甲子園と言うか、地球の次の氷河期が終わる頃じゃないか?と思う。
何故かって言えば日本と言う国は有史以来、『多様性』を認めた事がない。
探れば縄文時代だとか弥生時代だとか古墳時代は違ったかも知れないが(とは言っても弥生時代は内乱の時代だが)、取り敢えず『多様性』を認めた事はない。
此れは農耕社会の成立や、武家社会の成立が関係しているのかも知れないが、農耕社会にも武家社会にも『多様性』は不要だ。
其処からハミ出した人達が、どうしていたのかは分からない。
少なくとも、自分達が義務教育を受けていた施設を思い出せば良い。あの施設で『多様性』が認められる事があっただろうか?
マルクス経済学にせよ、ケインズ経済学にせよ、『教育』と言うものは産業、効率的な生産性の為に存在する資本主義にせよ、共産主義にせよ、生産性の延長なのである。
あと、LGBTBをプッシュして「多様性が認められる」と喜ぶ人もいるけど、LGBTBをプッシュしている人達は、何かの小さな切欠さえあればLGBTBを殺しに来る人達である。
日本人にとって『多様性』と言うのは、それだけアレルギーなのだと思う。
例えば、だけど。
関東大震災の際に「朝鮮人が井戸に毒を入れた」と言う事で彼是とあった。朝鮮人部落と言うものがアチコチにあったし、彼等なりの暮らしがあったのだが、「彼等は違う」と言う内在していたアレルギーがあったんだと思う。
つい最近だと311にせよ、西日本豪雨で「中国人が酷いことをしている」と言うデマを流す人が多い。
だが、デマを流した人達はアジテーターだったんだろうか?
今で言う『インフルエンサー』だったのだろうか?
そうではない。
この国に住む人達の誰もが、そんな事を言い始める可能性があるのである。
そして杉田水脈の発言は『人権意識を持っています!』と言う人にすれば格好のエサであり、杉田水脈の発言は的を得ていないので、エサを撒いただけである。
そのエサに群がるのは如何なモノか?と思うのだけど、エサを食う前に考えるべき事は
『杉田水脈は日本国のマジョリティである』
と言う事だと思う。LGBTBが盛り上がろうと、BL漫画が盛り上がろうと、禁煙運動が盛り上がろうと、杉田水脈的な人達が日本の圧倒的多数なのである。
杉田水脈みたいな人は、世の動きでコロコロと意見を変える。
だから、杉田水脈がLGBTBマンセーになる可能性も高い。其れが長期的ではなく、中期的だとしてもリターンがあるのであれば。
俺は思うのだけど、音楽だとか演劇だとか大雑把に言えば『芸能』と言うモノの関わる人達は『多様性』を受け入れなければならないと思う。
バンド・メンバーが覚醒剤中毒とかだと困るが、其れが喫煙者、LGBTBX、その他、性癖や嗜好。
それらを受け入れる作業こそが作曲だったり、戯曲や演じたり、描いたり、書いたり、演奏だったり、ダンスだったり、デザインだったりするのではないか?と思う。
勿論、多様性を受け入れるのは難しい。
ただ、芸事に関わる人は(多分、だけど)その『多様性』があるからこそ、存在し得るワケで。
だからこそ、『杉田水脈的なるモノ』と戦わなければならないのではないか?と思う。其れは杉田水脈と言う個人ではなく、都心にもいるし、日本中の風呂場、台所、電柱、TUTAYA、コンビニ、ヤンキー、時計、石ころ。
多様性を受け入れない人達、環境、文化以外、日本にはない。
多様性を受け入れるのは本当に難しい。例えば長年、連れ添っている夫婦だって理解出来ない事があるだろうし、私自身も友人や家族の事は理解出来ない部分が沢山ある。
日本語と言うクソ面倒臭い、欠陥言語を母国語にしている事も関係しているんだろうけど。
LGBTBXに関しては男性は潜在的にホモだし長年、生きていて『同性』に惹かれた経験が皆無である男性は少ない。其れは女性もそうだと思う。
誰かが、誰かを愛する事に制限があることは宗教的にも道徳的にも認められてない。
誰もが、誰かを愛する権利はある。
其れを阻止することは法律上、違法だ(幸福追求権)。
だから、LGBTBXが云々と言う事自体がおかしいのだけど(当然の権利を主張しているだけだ)、其れをNONと言う人達は『法を犯している』ワケである。
犯罪者達の言う事に従う事自体が無茶苦茶だ。
障害者や高齢者、精神障害者はどうか?彼等・彼女達には生産性はない。
だが、私達は24時間フル稼働の工場で働いているワケではない。生産性だけで生きているワケではない。
『働くもの食うべからず』
と言う言葉は新約聖書から来た言葉だが、其れは『働ける能力があるにも関わらず』であり、病人や高齢者、障害者は含まれてない(新約聖書の時代だと病人や高齢者は直ぐに死んでいたと思うが)。
ってか新約聖書もイエス・キリストは30歳まで大工だったが、あとは無職だから「あれ?」って感じなんだが。
私の郷里:暗黒大陸『北九州市』では生活保護打ち切り餓死事件と言う凄まじい事件があった。
時代は小泉首相時代でハッキリと覚えているのだが、其の前に「日本が(嘗てに比べて)貧しくなったとは言え、餓死者はいない」と自民党議員が書いていたのだが、餓死者が出た。
俺は未だに「あの餓死者を殺したのは北九州市民全員だ」と思う。
それと同時に「あの餓死者は殺したのは日本国民全員」だと思う。
それと同時に「次の餓死者は我々だ」と思う。
ほっておけば日本国と言う国、それは地方時自治体を含む、この国は『多様性』を求める人達、其れは病人、LGBTBX、精神障害者、障害者、喫煙者、無職者、低学歴者を殺しに来る。
スラング的に「殺しに来る」と言っているのではなく、物理的に殺しに来ると思っている。
だから、自称でも他称でも良いのだけどアーティスト達が戦わなければならないのは時代だとか金銭ではなく、『杉田水脈的なるモノ』なんだと思う。
戦いなんだと思う。
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