ネットサーフィンをしていると時折、思い出にぶつかる。
多分、ラジオで聴いたのだと思う。『トモフスキー』と言う変な名前のシンガーなのか、バンドなのか分からなくて、深夜ラジオで聴いて心を掴まれた。
初めてTVに出演した時も見ていたし、ライブが衛星放送で流れた時も聴いていた。
でも、余り深入りしなかった。
なんでだろう?と思っていた。凄く好きだったし、凄く素敵な曲ばかりだったし、ライブも最高のCOOLだったし、とにかく頭の先から爪先まで最高にファンタスティックだった。
まだ16〜17歳で、世の理も知らず、何も知らなかった。
中学生の頃。
それまで単なる同級生達が、突然、『女性』になる。それに対して、まだ子供である男子は戸惑っていた。
そんな同級生だった女性にドギマギしていた。
そんな同級生達のちょっとした仕草や声、歩き方から立ち姿にドキドキしていた。
十代だから、それはリビドーに直結していた。
十代だから、そんなリビドーを嫌悪していた。
十代だから、そんなリビドーには逆らえなかったのだけども。
高校生になったが、高校は男子校だった。だから他校の女生徒にドギマギしていた。
大人になった・・・と言うか少なくとも『童貞』と言うモノが遥か彼方の出来事、まるで戦中の思い出のように、リアリティがなくなった身分になると、思えば封建的な九州大陸の、封建的な福岡県の、封建的な北九州市の、封建的なルックスの女子達に、何故、ドキドキしていたのか理解出来なくなっている。
今日、ネットでTOMOVSKY(トモフスキー)の曲を聴いたら、ドギマギして、それがリビドーになっていたのは、きっと、その
『同級生だった女性』
の仕草や、香り、仕草、表情、歩く姿、走る姿、立ち姿、それらがアートだったんだと思う。
アートと言う言葉が胡散臭いのであれば『美』だった、と言うか。
毎日、現れる『絶対の美』に対して、指先すら触れることが出来ない美に対して、眺める事さえ阻まれるような美に対して。
此方はどうする事も出来なかった。
盗賊のように奪うことも出来なかったし、イカロスのように近づく事も出来なかったし、言語化することも出来なかったし、太陽が焼き尽くすのを、眺めることしか出来なかった。太陽を眺める事が出来ないように、祈る事しか出来なかった。
だが、言葉に出来ない以上、祈る事すら出来ない。
『言葉は神と共にあられた』ワケで、此方は初期人類のように、絶対の美を前に、其れは恐怖であり、悦楽であり、猥雑であり、神秘であり。
こう言う時期ってのは10代だったから感じれたんだと思う。
『学校』と言う閉鎖的な空間もあったと思うけども、『学校』と言う機関がない時代(江戸時代や明治初期とか)でも、同じだったと思う。
当時、同級生と交際すると言うのもあったし、周囲にそう云う奴は多数いたのだけども、私はボンヤリとした・・・と言うか馬鹿だった、と言うか、その事象を眺めるのが好きだった、と言うか。
だから、『同級生だった女性』に愛の告白をしても、「じゃあ、その後はどうすれば良いんだ?」と困惑した。
初めて告白した女性の事は覚えている。
確か15歳だったか、16歳だったか。
江藤と言う中学生の頃の同級生と駅で久し振りにあったら『同級生だった女性』になっていた。
その美に圧倒された。
どうすれば良いんだろう?と思った。その江藤とSEXをする、なんて考える事も出来なかった。
途方もない美術作品と性行為が出来るワケがない。
少ないロジックで「じゃあ、愛の告白をしよう」と思った。
江藤の家の前で待ち伏せ。思えばストーカーじゃん、って感じだが90年代はOKだった。
で、江藤が学校から帰宅してきた。
江藤が「っあ」と言った。何の為に私がいるのか直ぐに察した「っあ」だった。
全身全霊の力を込めて言った
「あの・・・江藤の事が好きなんやけど・・・」
全身全霊なんだけども、声は小さい。「好きなんやけど・・・」と言った先が続かない。
「交際してくれませんか?」
「文通しませんか?(まだケータイはない時代)」
「まずはお友達から」
「バンドやろうぜ」
とか、幾らでも言いようがあったんだろうけども、それだけしか言えなかった。
江藤は俯いて
「ごめん・・・部活とか忙しいけん・・・」
と言う。
「ごめん・・・」
と言って恥ずかしい気持ちでいっぱいになって、逃げるように帰った。
帰りながら「此れが人生か」と思った。「恥ずかしい、恥をかく、と言うのが多くなりそうだな」とか。
あの頃。
『同級生だった女性』に対して性的にモヤモヤする自分が嫌いだった。何故、嫌いだったのかズーッと分からなかった。
TOMOVSKYの歌声は、其れを的確に歌っていた。それが何だか恥ずかしかった。
モヤモヤしてしまう自分が嫌いだったし、どうすれば良いのか分からなかったし、『分からない事』を理解する事も嫌だった。
今日、TOMOVSKYの『カンチガイの海』を聴き直してみたら、何だか手品のタネ明かしと言うか。
10代の私は、10代の同級生だった女性達の美に圧倒され続けていた。
でも、その態度は『美』に対して、凄く正直な態度だったんだな、って。
畏怖、恐怖、悦楽、恍惚。
それが『美』であり、それは生きる時間の中で一瞬しかない。中学生から高校生と考えると、たったの6〜5年間だ。
それまでの時間と、それからの時間のほうが遥かに長い。
何度も書くが、九州と言うのは封建的で保守的な土地である。
だから、男子は丸坊主、角刈り、ヤンキー的なリーゼント。
そんな街で「男らしくない」と言われ続けた私が(手芸とか好きだし)意中の女性と寝る事が出来るはずもなく。
でも、それで良かったと思う。
音楽、音、楽器、電子音、スピーカー、音響装置、全ては美の為。
楽器や音を操作する事は美に対して畏怖、恐怖、快感、芳香を感じる事である。
美は恐怖だ。
其れを教えてくれたのは『同級生だった女性』達。
日々、美の海で藻掻いていたのが私。
変わった
君が変わった
同じさ
変わったのは
君の中の僕だけ
君のカンチガイの海を
僕は泳いでいただけ
君のカンチガイの海を
浮かんでいただけ。
まるで神様みたいだね
まるで神様みたいだね
勝手に世界を作って
お好みのヒト住ませていた
自分勝手な神様
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