2016年8月8日月曜日

TOMOVSKY/カンチガイの海


ネットサーフィンをしていると時折、思い出にぶつかる。


この曲はTOMOVSKY(トモフスキー)の『カンチガイの海』である。この曲がリリースされたのは1996年だから私はまだ高校1年生頃だったかも。

多分、ラジオで聴いたのだと思う。『トモフスキー』と言う変な名前のシンガーなのか、バンドなのか分からなくて、深夜ラジオで聴いて心を掴まれた。

初めてTVに出演した時も見ていたし、ライブが衛星放送で流れた時も聴いていた。

でも、余り深入りしなかった。

なんでだろう?と思っていた。凄く好きだったし、凄く素敵な曲ばかりだったし、ライブも最高のCOOLだったし、とにかく頭の先から爪先まで最高にファンタスティックだった。

まだ16〜17歳で、世の理も知らず、何も知らなかった。



中学生の頃。

それまで単なる同級生達が、突然、『女性』になる。それに対して、まだ子供である男子は戸惑っていた。

そんな同級生だった女性にドギマギしていた。

そんな同級生達のちょっとした仕草や声、歩き方から立ち姿にドキドキしていた。
十代だから、それはリビドーに直結していた。
十代だから、そんなリビドーを嫌悪していた。
十代だから、そんなリビドーには逆らえなかったのだけども。

高校生になったが、高校は男子校だった。だから他校の女生徒にドギマギしていた。


大人になった・・・と言うか少なくとも『童貞』と言うモノが遥か彼方の出来事、まるで戦中の思い出のように、リアリティがなくなった身分になると、思えば封建的な九州大陸の、封建的な福岡県の、封建的な北九州市の、封建的なルックスの女子達に、何故、ドキドキしていたのか理解出来なくなっている。


今日、ネットでTOMOVSKY(トモフスキー)の曲を聴いたら、ドギマギして、それがリビドーになっていたのは、きっと、その

『同級生だった女性』

の仕草や、香り、仕草、表情、歩く姿、走る姿、立ち姿、それらがアートだったんだと思う。
アートと言う言葉が胡散臭いのであれば『美』だった、と言うか。

毎日、現れる『絶対の美』に対して、指先すら触れることが出来ない美に対して、眺める事さえ阻まれるような美に対して。

此方はどうする事も出来なかった。

盗賊のように奪うことも出来なかったし、イカロスのように近づく事も出来なかったし、言語化することも出来なかったし、太陽が焼き尽くすのを、眺めることしか出来なかった。太陽を眺める事が出来ないように、祈る事しか出来なかった。
だが、言葉に出来ない以上、祈る事すら出来ない。
『言葉は神と共にあられた』ワケで、此方は初期人類のように、絶対の美を前に、其れは恐怖であり、悦楽であり、猥雑であり、神秘であり。

こう言う時期ってのは10代だったから感じれたんだと思う。

『学校』と言う閉鎖的な空間もあったと思うけども、『学校』と言う機関がない時代(江戸時代や明治初期とか)でも、同じだったと思う。

当時、同級生と交際すると言うのもあったし、周囲にそう云う奴は多数いたのだけども、私はボンヤリとした・・・と言うか馬鹿だった、と言うか、その事象を眺めるのが好きだった、と言うか。

だから、『同級生だった女性』に愛の告白をしても、「じゃあ、その後はどうすれば良いんだ?」と困惑した。

初めて告白した女性の事は覚えている。

確か15歳だったか、16歳だったか。

江藤と言う中学生の頃の同級生と駅で久し振りにあったら『同級生だった女性』になっていた。

その美に圧倒された。

どうすれば良いんだろう?と思った。その江藤とSEXをする、なんて考える事も出来なかった。
途方もない美術作品と性行為が出来るワケがない。


少ないロジックで「じゃあ、愛の告白をしよう」と思った。

江藤の家の前で待ち伏せ。思えばストーカーじゃん、って感じだが90年代はOKだった。

で、江藤が学校から帰宅してきた。

江藤が「っあ」と言った。何の為に私がいるのか直ぐに察した「っあ」だった。
全身全霊の力を込めて言った


「あの・・・江藤の事が好きなんやけど・・・」


全身全霊なんだけども、声は小さい。「好きなんやけど・・・」と言った先が続かない。

「交際してくれませんか?」

「文通しませんか?(まだケータイはない時代)」

「まずはお友達から」

「バンドやろうぜ」

とか、幾らでも言いようがあったんだろうけども、それだけしか言えなかった。

江藤は俯いて

「ごめん・・・部活とか忙しいけん・・・」

と言う。

「ごめん・・・」

と言って恥ずかしい気持ちでいっぱいになって、逃げるように帰った。


帰りながら「此れが人生か」と思った。「恥ずかしい、恥をかく、と言うのが多くなりそうだな」とか。





あの頃。



『同級生だった女性』に対して性的にモヤモヤする自分が嫌いだった。何故、嫌いだったのかズーッと分からなかった。

TOMOVSKYの歌声は、其れを的確に歌っていた。それが何だか恥ずかしかった。

モヤモヤしてしまう自分が嫌いだったし、どうすれば良いのか分からなかったし、『分からない事』を理解する事も嫌だった。

今日、TOMOVSKYの『カンチガイの海』を聴き直してみたら、何だか手品のタネ明かしと言うか。

10代の私は、10代の同級生だった女性達の美に圧倒され続けていた。
でも、その態度は『美』に対して、凄く正直な態度だったんだな、って。

畏怖、恐怖、悦楽、恍惚。

それが『美』であり、それは生きる時間の中で一瞬しかない。中学生から高校生と考えると、たったの6〜5年間だ。

それまでの時間と、それからの時間のほうが遥かに長い。




何度も書くが、九州と言うのは封建的で保守的な土地である。
だから、男子は丸坊主、角刈り、ヤンキー的なリーゼント。

そんな街で「男らしくない」と言われ続けた私が(手芸とか好きだし)意中の女性と寝る事が出来るはずもなく。

でも、それで良かったと思う。



音楽、音、楽器、電子音、スピーカー、音響装置、全ては美の為。
楽器や音を操作する事は美に対して畏怖、恐怖、快感、芳香を感じる事である。


美は恐怖だ。


其れを教えてくれたのは『同級生だった女性』達。

日々、美の海で藻掻いていたのが私。






変わった
君が変わった
同じさ
変わったのは
君の中の僕だけ

君のカンチガイの海を
僕は泳いでいただけ
君のカンチガイの海を
浮かんでいただけ。

まるで神様みたいだね
まるで神様みたいだね
勝手に世界を作って
お好みのヒト住ませていた
自分勝手な神様


















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