『空手地獄編:牙』
を取り上げない事には収集が付かない。
梶原一騎と言えば『あしたのジョー』『タイガーマスク』が代表作だが、自身の性癖から思い込み、独断と偏見、バカっぷりを遺憾無く発揮したのは
『プロレス・スーパースター列伝』
『空手地獄編』
『空手地獄編:牙』
だろう。
『プロレス・スーパースター列伝』は有名なシーンが多いのも美味しいので入門編としては最高である。
最初は矢張り『インドの狂虎:タイガージェット・シン』である。
此処で描かれる『神秘の国:インド』のインド・プロレスの内情は凄い。
インドのプロレスラーは水牛と戦うのである。しかもコール・タールまみれで。
レスラーよりもワニなんて水生生物だからコール・タールって毒って言うか防腐剤だろ?。水牛は良いけど、ワニはどうなんだ。ワニは。
インドと言えば、インドに行って人生が変わる人が多い事が特徴だが、インド・プロレスも人生が変わりそうなハードワーク・・・って、此れは練習の部類に入るのか?
実はタイガージェット・シンって米国ではベビーフェイスで(実は端正な顔なので)、伝統的なレスリングをするスタンダードなプロレスラーなんだが、梶原一騎と猪木と新間部長に掛かれば、あの通りである。
そして、『プロレス・スーパースター列伝』の漫画史上、空前絶後のシーンが此れだろう。
タイガーマスク(佐山聡)はこんな苦労をしてプロレスをやっていたのか!と泣けてくる。
やはり、プロレスラーと言うのは並の人間では出来ない。
ってか、ウサギ跳びって身体に悪いから今の学校では禁止されているし、膝への負担が激しいプロレス家業では辛いのではないか?と思うのだが、梶原一騎先生が言うのだから間違いない(この漫画ではアントニオ猪木も断言しているし)。
私は小学生の頃に『プロレス・スーパースター列伝』を読んで感動し、其れ以来、如何に新日本・全日本プロレスの試合が、流石に子供の目から見ても
『八百長』
『攻撃が当たっててない』
『卍固めだとか、延髄蹴り、ムーンサルト・プレス等は相手の協力と合意がなければ成立しない』
と分かりながらも「いやいや!。あのメキシコのプロレス道場を通過した猛者がやっているんだから間違いない!」と頑張ってみていた。
まぁ、実際にプロレスで『八百長』ではなく『ブック破り』『セメント』になってしまった試合ってのは幾つかあるのだが、やっぱり強いんだよな。プロレスラーって。
そう言う奴等が本気で殴り合ったら興行として成り立たない。
だから、総合格闘技って言うモノが出てきたんだろうけども。ただ、アントニオ猪木は実際に強かったらしい。
全盛期は空手家などが道場破りが来た際に、暇を持て余した猪木先生が相手をする事があったらしいのだが、余裕で勝ってたらしいし(一応、アントニオ猪木は空手経験者)。
ってか、全盛期に既に糖尿病だったとしても、フルラウンドをやる体力はあるし、場数が違うしなぁ。
力道山にフルボッコのされた過去もあるし。
で、余り語られない『カラテ地獄変』『カラテ地獄変:牙』である。
『カラテ地獄変』は大山倍達をモデルとした「大人向け『空手バカ一代』」と言うか。特攻兵の生き残りで(大山倍達は特攻兵ではなかったが)、ヤケクソになった大東徹源がカラテで世界中を打ちのめしながら走り回る話である。
①国内→ヤクザが相手
②米国→元ナチスの生き残りを殺す
③南米→元ナチスと土人とマシンガン片手に戦う
④中東→中東情勢とカラテで戦う。
である。だが、『空手地獄編』は、まだ漫画としての体を成している。探偵アクション的な(死ぬほど低いレベルではあるが)部分も多いし。
だが、『空手地獄編』は殆ど『ラモーンズ』『ラ・モンテ・ヤング』『トニー・コントラッド』のようなミニマルズムに満ちあふれている。
①カラテ
↓
②SM
↓
③プロレス
↓
④カラテ
↓
⑤SM
↓
⑥プロレス
と言う①~⑥を繰り返すばかりである。南米編ではマシンガン片手に原住民達と戦うシーンがあるが、其れくらいなモノで後はカラテとSM、プロレスである。
流石に全編を読むのは辛くなってくる。本当に『カラテ、SM、プロレス』だけなのである。
当時、梶原一騎がSMにハマっていた、って言う事情を察しても厳しい。ってか、俺はSMは好きじゃないし。
その最高峰が『カラテ地獄変:牙』である。
此れは『カラテ、SM、プロレス』ではない。
①カラテ
↓
②SM
↓
③カラテ
↓
④SM
と言う2パターンだけである。『読むレゲエ』『読むUKパンク』『漫画:SKA』と言うか。
梶原一騎漫画の特徴は「主人公が孤児」がデフォ。
その孤児が紆余曲折あってカラテに出会う・・・と言うモノなんだが、此の頃には既に大山倍達とは金銭トラブルもあり絶縁しているので内容が屈折している。
主人公の『牙直人』は感化院に入れられて、其処で少林寺拳法(大雑把に言えば打撃系格闘技)に出会う。其れまでは噛み付き攻撃だけだったのだが、最初のヒロインに少林寺拳法を教えてもらい習得。
で、その最初のヒロインが感化院のボスにレイプされて、激憤して殺害。
で、出刃包丁で生首切断。
裁判でも裁判官に得意のジャンプ力で殴りかかり少年院へ。
『殺人』
『生首切断』
『裁判官への暴行』
『少年院での激しい乱闘』
なのに3年で出所する(どう考えても3年では出所出来ないはずだが)。その後はヤクザの用心棒として活躍するのだが、其の際に大山倍達のカラテ(大東徹源のカラテ)に出会い、入門。
カラテに出会い、屈折した牙直人も少しづつ更生し始める。
そんな折。
ヤクザに捕まり、大東徹源に救われる。この際の名言が此れである。
「さては、その女・・・・オマ○コは金ぶちかな?!」
って、何が「さては」だよ。「もしくは」「または」「あるいは」「もしかして」でも良いんだが、「金ブチかい?」って言う意味不明な台詞もワケがワカラン。
梶原一騎の漫画には意味不明な『名言』が多く、最晩年作である『男の星座』でも、こんなシーンがある。
「ツラの印刷が良いからって、大の男をコケにしくさって〜〜〜〜〜!」
って良いな。リスペクトなのか、褒めているのか、認めているのか(英語だとリスペクトと表現される)ワカラン。
「下手な大阪弁で凄むんじゃねぇ!この『京浜蒲田』のドサヤクザが!」
って京浜蒲田をdisっているように見えて、京浜蒲田って都内だしなぁ。確かに標準語とヤクザは相性が悪い。
京都弁とヤクザ
青森弁とヤクザ
沖縄弁とヤクザ
アイヌ語とヤクザ
此れは相性が悪い。
「上司の解放をお願い致します。少年君、君主様、死出の旅に出てはいかがでしょうか?」
ではヤクザ稼業は務まらないんだろうなぁ。嗚呼、大変。
話は『カラテ地獄編:牙』だが、大東先生に助けらるが、其れで何故か破門になる。
武術家たるもの女に溺れるんじゃねーよ、って言う事らしい。
で、頑張って破門を説いてもらう為に何処から来たのか、ホモの剣術家と戦い勝利。其れで条件として
「カラテ普及の為にNYに行ってカラテを広めてこい」
と言う指令を受ける。
其処からが酷い。
ブロンクスやブルックリンが舞台になり、時代的にはDJクール・ハークがHIPHOPのプロトタイプを作った頃なんだが、牙は得意のカラテで大暴れする。
其れで、どう言う経緯だか分からないのだが体重が2tあると言う『2tガレント』と言う人物と戦うのだが、この敵も
『ホモ』
『脳梅毒』
『アル中』
『黒人』
と言う、下手すると国際問題や人権団体から激しいバッシングを受けそうな設定である。
(酷い言われよう)
(気が向いたらノンケだろうと、何だろうと掘る。因みにゲイの恋人がいる設定になっている)
(彼は両刀遣いと言う設定らしい。で、挿入すると『ズズーン!』と言う擬音)
(梶原一騎漫画では女はレイプされたり恥辱されると、娼婦になる設定)
此の辺から「勝利技は目潰し」となる。目潰しと言っても実際は相手の眼球を潰すモノでないらしいし、人体構造上、漫画のように目玉がポコーン!と飛び出すことはないんだが、兎に角、バカみたいに目玉が飛び出す。
(目玉がポーン)
(目玉がボワッ!)
(目玉がポーン!!)
空想漫画だし、フィクションなのだから、「目潰しだから飛び出るかなぁ」と言う気持ちも分からないまでもない。
ってか蹴り技でも目玉が飛び出る時点で、何かが崩壊しているのだが。
段々と「これ、目潰しじゃないじゃん!」って言うシーンが増える。
(絞首刑で目玉がポーン!)
(このオッサンも絞首刑で目玉がポーン!)
(大事な部分にコーラを入れると何故か目玉がポーン!)
(カラテの一撃必殺を考えます。)
(アナルに蹴りで目玉がポーン!!!)
(必殺技で目玉がポーン!!!)
もう、カラテなのか何なのか。ってかカラテって、こう言う格闘技なのか?。
目玉を取り出すのがカラテなのか?
何処か、此の漫画を思い出す。
因みに、大東徹源は本を出版して、鉄筋コンクリート製のビルと言うか道場。
その道場生がカラテ着で無料で働いたりする。
ブラック企業が知ったら泣きながら欲しがる人材、其れがカラテ家である。
その牙の師匠である大東徹源の扱いも良い。ちょっと立ち上がるだけで此れである。
ヌオーッ!!!
ヌオーッ!!!
ムオーッ!!!
バァァァァァーン!
ムオーッ!
シーン・・・(此の時代に褌姿)
登場シーンに擬音だと『男の星座』での力道山や大山倍達も擬音で表現されていた。
確か『巨人の星』でも、読売ジャイアンツのスカウトマンの登場シーンが擬音で「バオーン!」だった。
梶原一騎の真っ当な後継者である板垣恵介先生の『餓狼伝』にもアントニオ猪木が、主人公の御見舞をするシーンで、単行本ではカットされていたが連載では、花を持って病室に入るのだが、その時の擬音が
『華ァ!!!!!』
と言う擬音が付いていた。あと、グラップラー刃牙では花を触ると「さも・・・」と言う擬音だとか。
格闘技漫画は擬音が命なんだろうか。
しかし、擬音は良い。
漢たるもの、動いたら擬音の一つや2つは欲しい物である。
だが、此れって殆どギャグ漫画に近いレベルまで行ってしまうシーンも多いのだが本気なんだから恐れ入る。
(人種差別上等!)
(YMOではありません)
(日米の意識の違い)
で、恐らく当時のチャールズ・マンソン事件を絡めたかったのか狂信的なヒッピーと言うかカルト集団が登場する。梶原一騎作品を読んでいると、梶原一騎が如何に『ヒッピー』みたいな連中を嫌っていたか、よく分かる。
そのカルト教団がハリウッド女優を拉致して助けるのだが「嗚呼、赤軍は梶原一騎の台詞を引用したが、梶原一騎は連中みたいな奴等が嫌いだったんだなぁ」と思わせる・・・しかも、ギャグにしか思えないシーンが出てくる。
もう、最低を超えて「此れは最高としか言いようがないだろうwww」と言うか。
あと、『四角いジャングル』では実は気が弱いノッポの黒人、ウィリー・ウィリアムスすら知らなかった極真空手の地獄のトレーニングが此れだ!!!
ウィリー・ウィリアムズはカラテに邁進していたし、梶原一騎の事も知っていたが、まさか日本でこう言う紹介をされている事は知らなかったので、wikiによると
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しかし、この武勇伝の真偽をインタビューの一節で尋ねられたウィリーは「それは何の稽古ですか?」と答え、漫画で紹介されているエピソードという説明を受けると「梶原先生のコミックのお話ですか。確かにあの頃の私は若くパワーが有り余っていましたが、自動車を壊したりはしませんよ」と語り創作である事を明かしている。
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となる。第一、本人が「一番、怖かった事」ってのが
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今まで体験した最も怖い事は何か、と尋ねられた際、「大山茂先生の稽古です。とてもハードで、何より先生に叱られる事が怖かった」と答えた。
------------------------------------------------------------------------------大山茂のカラテも酷いモンで、弟子に取材が来たから貫手で畳を貫通させろ、って無理ゲーをやらせて、その弟子の指5本がタコのようにひん曲がったってのがある。
実際、素手で畳を貫通なんて出来ないワケだし、大山茂も、大山倍達もやってない(映像ではやっているけど、特撮)。
梶原一騎の作品には大山倍達、または大山倍達の弟子が大勢、登場するが(其れにより途方もない被害を受けた弟子もいるが)、読み進めながら梶原一騎にとって大山倍達は『父性的存在』だったんだなぁと思う。
大山倍達って公式戦も、公式記録も一切ない人である。だが、何処か・・・・恐らく人を惹きつける魅力がある人だったんだろう。
柳川組の組長とも親友だった位だし(空手以外での強さも破格だった。と言うか空手よりも空手以外が強かった人でもある)
で、大山倍達と梶原一騎は金銭面で衝突し(他にも色々な理由があるが、梶原一騎も大山倍達も頭がおかしいので致し方がない)疎遠になるのだが、梶原一騎は大山倍達を正面切ってdisらない。
『カラテ地獄編』
『カラテ地獄編:牙』
は大山倍達への梶原一騎のアンサーとも言えるべき作品なんだが(遠回しに「オマエは人を利用するだけの胡散臭い奴だ」と言うニュアンス)、では大山倍達のカラテを否定はしない。
カラテ地獄編にしても、カラテは最強で最高で、武人とは大山倍達的な人である・・・みたいなモノである。
ってか、大山倍達については『男の星座』での描かれ方が死ぬほど面白い。
(マス・オーヤマは照れると親指だけで逆立ちをする)
このシーンは笑った。
梶原一騎の作品に共通するのは「孤独感」である。
梶原一騎が孤独な人だったか?って言えば違うんだけど(友人も慕う人も、恋人も大勢いた)、親に感化院に叩きこまれた、って言うトラウマなのかもしれないし、一番、認めてもらいたかった父親を早くに亡くしている事も関係しているのかも知れないし(父親が純文学系の人だった)。
だから、梶原一騎は生涯に渡って
『矢吹丈』
『力石徹』
のような純粋で、気高く、美しく、そして『強いさ』を兼ね備えた人を求めた、と言うか。
其れが梶原一騎にとっては大山倍達だった、と言うか。
勿論、大山倍達は純粋でも気品があったワケでも、ムチャクチャに強かったワケでもない(そりゃ強かったんだろう。ヤクザの用心棒をステゴロでやっていた位だから。だが現代格闘技の水準だと3分も持たない)。
然し、梶原一騎にとっては胡散臭い人だろうと、純粋とは到底、言えない山師のような人物だったとしても、梶原一騎にとっては『大山倍達』と言う存在が父的であり、天皇であり、超えたい壁でもありながらも、超えたくない壁であり、常に甘える事が出来る存在でもあり、だからこそ離反・造反しても許される、と言う存在だったんだろうなぁと思う。
そう考えるとちょっと寂しい気もしないでもないが。
然し。
梶原一騎の作品の荒唐無稽さには一応、裏は取れている。
梶原一騎はあくまでも純文学路線の人である。生涯に渡って一作も小説を書かなかったが(原作の文章を読んだが、酷い文体なので小説家デビューは難しかったかも知れない)、梶原一騎にとって、目玉がポーン!とか車を破壊するカラテ家とかって、それは文学者にとって
「見えている」
と言う光景になる。
例えば、だが。
村上春樹の小説には時折、『羊男』と言う謎の人物が登場する。
羊の着ぐるみを着用し、世間とは断絶した世界にいる。
こう言う人物を書くには「なんか、居たらおもしそ~、って思って」ではなく、「実際に見た」じゃないと書けない。
村上春樹(笑)って感じだが、毎年、ノーベル賞候補になり、幾つかの作品が持つ強度は否定しがたい。
あそこまでの強度のある作品を書く以上は、何処か狂ってない無理な話なワケで。
梶原一騎が病気で死なずに、長生きしていたらどうだったんだろう?と思う。
ヘミングウェイのような小説が書けたんだろうか。
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