39歳になってしまった。「40歳です」と言っても何の問題もない年齢である。
実を言うと職場などで年齢を聞かれる事が多い。顔が童顔の為か年齢不詳に見えるらしい。その際に38歳なのに
「37歳です」
と答えていた時期がある。アホかと思われるだろうが、なんとなく37歳である。
とは言え、年齢は隠せない。体脂肪は人並みにあるし、胃腸は相変わらず悪い。楽器も巧い人から見れば下手糞、それ以下だ。
自分が20代だった頃。
30代後半と言うのは、其れは其れは『途方もなく年上』と言うか、そう言う感じがしていた。既に楽器を手にしていたので「遥か見上げる存在」と言うか。
自分が今、そう言う存在になれているのだろうか・・・と不安に思う事がある。
私自身は20代の頃よりも遥かに『音楽』と言うモノに情熱的だと思っている。20代の頃は誰もがそうであるように、情熱とテクニックが追い付かなかった。
今はどうか?って言われると困るのだけども「出来る事」と「出来ない事」の判断が、多少なりとも出来たかなぁ・・・と思う。
私が当時、見上げていた30代後半から40代のミュージシャン達は、あの頃をどう思っていたんだろう。
で、「そう言えば29歳(10年前)はどうしていたんだろう?」と思って、懐かしのMIXIを開く。
MIXIによると私は、その日は鶯谷のライブハウスでライブだった。
その時は偽ケルト・バンドと、ジャズ寄りのファンク・バンドでのライブだった。帰りの電車の中で対バンだった『アベミキ』が溺酔していて、私に
「眼鏡だからと言って調子になるのよ!」
だとか
「オマエ!俺の隠れマニアなんだろ!」
だとか
「眼鏡ッ子萌え~の時代はあと、一ヶ月で終るんだ!」
「っは!俺は何かを勘違いしていた!」
だとか
「俺を実はストーキングしているんだろ!」
だとか
「家に来い!説教してやる!」
と怒鳴っていた。アベミキ氏はその日は偽ケルト・バンドでドラムを叩いてくれた。
帰り際にライブハウスの近所の『カトレア』と言うスナックのママが
「何ぃ?黒ちゃぁん、帰るのぉ?」
と言うので
「じゃあ、お宅に泊めてくれるんだったら留まりますよ」と言ったら
殴られた。
このカトレアのママって確か『りえ』と言う名前だった。で、何度もアプローチされたが顔立ちが私の母親の若い頃に似ているのと(髪型も似ていた)、『りえ』と言う名前は私の姉と同じ名前なので、
「クロちゃん・・・抱いて・・・」
と言われると何故か寺山修二の
『マッチ擦る/つかのま海に/霧ふかし/身捨つるほどの/祖国はありや」
と言う短歌が脳裏に流れてしまい、致す事はなかった。で、シツコイので対バンだったパンク・バンドのドラムの奴に押し付けたら、そのバンドが解散する程の爆発力だったらしく
「あー、良かった、良かった」
と思った。
最低だ。全く最低だ。
10年前が、そんな按配だから多少なりとも大人になったのかも知れない。
月がとても美しい。
10年前、練習しながら「この音よ!月まで届け!」と思いながら吹いていたのを思い出した。
当時の私には難しい音域の曲を作った覚えがある。
10年前は激しくブロウしていた気がする。
今はもっと激しくブロウしている気がする。
月まで音は届いているんだろうか。
中央警察署でDNAを採取されたり、近所の老人と揉めたり、料理の腕前が全くあがらなかったり、12時間以上も寝たり、昨日はリハーサルなのに1時間も遅刻したり、エフェクターを修理しようと思ったら、逆に壊れてしまい、古い方のエフェクターを引っ張り出したら直っていたり(ノブをグリグリと回し、ケーブルの抜き差しで直った)、愛用している下駄が激しい歩き方なので終に大破したり、『高円寺阿波踊り』で2日間、声が出せないほど叫んだり、グラインドコア・バンドに参加したり。
全く持って、一事が万事、碌でもないな私ではありますが。
皆様、もう少し付き合っていただけると幸いです。
2016年9月17日0時57分
KO.DO.NA
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